以前高校世界史と地図について書いた。今回は高校英語について少し述べてみたい。
高校英語と一口に言っても色々あるが、最初に習う「文型」(SVOとかSVCってやつ)についてイヤーな記憶を持っている人も多いのではないか(あるいは全く忘れてしまったか)?俺について言えば、習った当初から「何で文型判断なんてやるのか」と疑問だった。「文型というのは五つあります。この動詞は~文型をとって…さあ覚えろ」とかい . . . 本文を読む
さて前回、常識とそれに支配される人々、そして常識の歴史性について触れた。とはいえ、このまま『人間失格』について述べれば完全に主人公の立場で論じているように思われる危険性を感じる。それはまた非常にウザイことなので、カイジの中でも特に有名な利根川節を掲載することでその防衛線としたい(「人間」繋がりの涯から本当は引用したいところだが…)。それでは利根川プロモーションビデオ、すたぁぁぁぁーーーーとぉぉおー . . . 本文を読む
私は常識や規範そのものを嫌っているのではない。その拠って立つところを考えず、平気でそれを人に押し付ける人間を憎むのである。
フーコーは、『狂気の歴史』の中で経験やイマージュそのものが狂気ではなく、それを「非理性的」「非論理的」に解釈する異様な言語活動が狂気なのだと述べている。この考え方によれば、他者に理解できない場合において始めて、狂気は成立することになる。
我々は、自分の感覚や感情をどれ . . . 本文を読む
徹マンで遅くまで寝ていたため変な時間に更新、と。
今日は一日中本の整理をしていた。本棚にうまくスペースを作ったり押入れの中に入れたりしつつだいぶ片付けたが、それでもまだ3割くらいの本が置きっぱなしになっている。というかこれ以上は本棚に入らないので、本を売るかするしかなさそうだ。とりあえず、いらん服が詰まっているケースを整理して本を入れようかと画策中。
芥川の『侏儒の言葉』(岩波文庫)、『河 . . . 本文を読む
以前「作品、作者、そして自分との向き合い方」で誤読について触れたが、作者の意図を正確に理解するという観点から見れば深読みもまた誤読の一種であると言える。
とは言っても、「作者の意図した範囲でしかその作品を考えるべきではない」と主張しているわけではない。作者の意図を理解する段階と、その作品を土台にして我々がどんなことを考えるのか、あるいはその作品からどのような時代状況が読み取れるのか、といった見 . . . 本文を読む
選挙シーズンということで選挙ネタを書くことにする。
政治家が「不満があるなら自分が政治をやるべきだ」というのを耳にしたことがある。なるほど好き勝手にさえずる大衆を見ていたら、そのように言いたくなることもあるかもしれない。あるいはまた、大衆に政治を深く考えさせるための戦略的な発言になりうるのも確かである。しかしそれでも、この発言は政治家として厚顔無恥以外に何のものでも無いのである(しかし自分の都 . . . 本文を読む