犬山たまき師匠とクリムゾン女史の二人については、他の仕事をやっても大成するフィロソフィーを持ってるよな。有能な人が、たまたまセンシティブな領域の仕事で身を立てようとしただけ、とでも言おうか。
その意味において、二人の邂逅はまさに運命的であり、むしろこれまで出会ってこなかったことが不思議なくらいだと言えよう。こないだ紹介したライフ先生の企画もそうだけど、これから生き残っていくには、こういう分析力と実行力が必要だってはっきりわかんだね。
ちなみに、クリムゾン先生の作品って女性視点(女性が主人公)なことが多いんだけど、男性が射精に向けて直線的に快楽を追い求めるのと違い、「何かしら抵抗できない背景があって追い詰められていく際、螺旋状に快楽が高まっていき徐々に変性意識へと追い込まれて自己の変容を経験する」っていう構造にその特徴が表れていると感じる。そして、特に男性は普段強気なキャラクターが徐々に屈伏していく様にエロスを見出し、そして主に女性はキャラクター視点に自身を重ねつつ、痛みを伴う描写は慎重に排除された世界で少しづつ自己が侵食されていくことにエロスを感じるのではないか(螺旋状の快楽描写という意味では、女性向けAVなどと似ている感じもするが、一方そちらは変性意識=非日常の描写というよりは日常の関係性描写の方に重きが置かれているって点が大きく異なっていると思う)。
かかる具合に両性を引き付ける魅力を持っている点がクリムゾン作品の強みの一つだと思うわけだが、そんな先生のmasterpieceに私が現役でお世話になっておることもまた言うまでもない、と述べつつ筆を置きたい(・∀・)
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