今日も休みがつぶれ、4月20日まで休みが延期になった。てゆうか来週の休みがすでに無いことが判明しているってのが萎える…まあそんなわけで相変わらずのフラグメントですが、少し趣向を変えて最初に各覚書のコメントを書いておきましょうか。
<腐り>
これはエロゲーの腐り姫の覚書で、舞台設定やOPが与える印象について書いている。しかしそんなものはどうでもよく、芳野ママンのエロさとカワイさのコラボレーションが反則的に僕の悩を刺激することが最も重要なのでありますw
<サイード、ホブズホウム、アンダーソン>
内容と題名のギャップがまたすごいねコレw他は特に言うことなしw
<ぼくのてんしょくせんげん>
メガネ属性の話から悪ノリで作成。この記事のせいでアクセス数がけっこう下がりましたwみんなおバカな内容は嫌いなのかしらんw
<摩耗補遺>
こいつはコミュニケーションに関する話。「『調和』と『地雷』」などにつながるが、もう少し根源的な記事をいずれ書きたいと思っている。
<腐り>
東京から離れたレトロな雰囲気の片田舎、それは過去の住まうところ。そして沼は、封印された記憶の澱だ。かつてみんなヤリマクリだと言った熊八に抑圧と解放の背景を説いて聞かせたこともあるが、源氏の「もののあわれ」を説いた宣長も似たような心持ちだったのだろうか?冒頭子守歌と遠吠え、主人公しか認識できない→ホラーチックだが謎の少女が穏やかな曲をバックに飛び回る姿はそこまで暗いとかおどろおどろしい感じを与えない。吉野ビジュアルでインパクト。かつ主人公は何らかの病気を患ってる?冷たい潤、麦茶→母には逆らえない。余分な麦茶は「お仕置き」?
<サイード、ホブズホウム、アンダーソン> 「見えないパンチ」
五感→四巻→キスシーンでうそーん!→熱病→抑圧で鬱々→あまりにひどいのでメモ→ビール篇見たときは何も感じなかったし、五感や六感平気な理由。白ゴスも無反応→エロさからかわいさへの変化(目が横長から)→対象は限定されたが、相変わらず想像を抑圧→
<ぼくのてんしょくせんげん>
ぼくはいまのしごとをやめたらめがねやさんになります。こないだめがねをなおしにいったら、めがねおねいさんがやさしくしてくれてどきどきしたんだもの。てーいんになったらちがうかもしれないけど、めがねのひとにしかられるのはなかまでもおきゃくでもきもちがいい。めがねがあうひとにするためぼくはこおでぃねえとにがまだすにちがいありません。こないだちかくのしょくばでくろぶちおねいさんに以白粉可生黒縁!とこいちじかんせっきょーしました。でもそとではこんたくと、うちではめがねをしてくれるのがいちばんぺにせすとだとおもいます。
<摩耗補遺> 「祭の横で」、「亜空間喫茶にて」
法→ハナフィー派。大学院の時にイスラムに全く興味がないことに気付いた。中近東は今や単なるネタ。書いてもしょうがない。今のご時世志のある人にはいくらでもソースはあるし。絶望っていうのは期待の裏返しだ。だからその期待の妥当性を疑ってみたほうがいい。なぜ「普通」にしなきゃいけないのか?そもそも「普通」になることは可能なのか?人を理解できなくても全く不思議ではないし、人から理解されなくても全く不思議ではない、とかね。ちなみに今「そりゃ単なる諦めだ」と思った人。そういう無邪気な考え方が無理解なんだよ。
<腐り>
これはエロゲーの腐り姫の覚書で、舞台設定やOPが与える印象について書いている。しかしそんなものはどうでもよく、芳野ママンのエロさとカワイさのコラボレーションが反則的に僕の悩を刺激することが最も重要なのでありますw
<サイード、ホブズホウム、アンダーソン>
内容と題名のギャップがまたすごいねコレw他は特に言うことなしw
<ぼくのてんしょくせんげん>
メガネ属性の話から悪ノリで作成。この記事のせいでアクセス数がけっこう下がりましたwみんなおバカな内容は嫌いなのかしらんw
<摩耗補遺>
こいつはコミュニケーションに関する話。「『調和』と『地雷』」などにつながるが、もう少し根源的な記事をいずれ書きたいと思っている。
<腐り>
東京から離れたレトロな雰囲気の片田舎、それは過去の住まうところ。そして沼は、封印された記憶の澱だ。かつてみんなヤリマクリだと言った熊八に抑圧と解放の背景を説いて聞かせたこともあるが、源氏の「もののあわれ」を説いた宣長も似たような心持ちだったのだろうか?冒頭子守歌と遠吠え、主人公しか認識できない→ホラーチックだが謎の少女が穏やかな曲をバックに飛び回る姿はそこまで暗いとかおどろおどろしい感じを与えない。吉野ビジュアルでインパクト。かつ主人公は何らかの病気を患ってる?冷たい潤、麦茶→母には逆らえない。余分な麦茶は「お仕置き」?
<サイード、ホブズホウム、アンダーソン> 「見えないパンチ」
五感→四巻→キスシーンでうそーん!→熱病→抑圧で鬱々→あまりにひどいのでメモ→ビール篇見たときは何も感じなかったし、五感や六感平気な理由。白ゴスも無反応→エロさからかわいさへの変化(目が横長から)→対象は限定されたが、相変わらず想像を抑圧→
<ぼくのてんしょくせんげん>
ぼくはいまのしごとをやめたらめがねやさんになります。こないだめがねをなおしにいったら、めがねおねいさんがやさしくしてくれてどきどきしたんだもの。てーいんになったらちがうかもしれないけど、めがねのひとにしかられるのはなかまでもおきゃくでもきもちがいい。めがねがあうひとにするためぼくはこおでぃねえとにがまだすにちがいありません。こないだちかくのしょくばでくろぶちおねいさんに以白粉可生黒縁!とこいちじかんせっきょーしました。でもそとではこんたくと、うちではめがねをしてくれるのがいちばんぺにせすとだとおもいます。
<摩耗補遺> 「祭の横で」、「亜空間喫茶にて」
法→ハナフィー派。大学院の時にイスラムに全く興味がないことに気付いた。中近東は今や単なるネタ。書いてもしょうがない。今のご時世志のある人にはいくらでもソースはあるし。絶望っていうのは期待の裏返しだ。だからその期待の妥当性を疑ってみたほうがいい。なぜ「普通」にしなきゃいけないのか?そもそも「普通」になることは可能なのか?人を理解できなくても全く不思議ではないし、人から理解されなくても全く不思議ではない、とかね。ちなみに今「そりゃ単なる諦めだ」と思った人。そういう無邪気な考え方が無理解なんだよ。
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