時間がないと簡単な日記とか雑録ばかりになる・・・そう思っていた頃が自分にもありました・・・まあ実際には、時間がないとむしろ長くて固めな記事ばかり増えるわけですがね( 。∀ ゜)!
まあそんなわけで、時間があるうちに今回は先の話をしていこうかと思いマス。
旅行記事は、ようやくドイツのが5月で終わる目途が立った(予約投稿で5/29には完了)。そして今年の夏も長期旅行は無理っぽいので、それを利用し今年いっぱいで国内旅行を書き終えることにしたい。四国、山陰・山陽、北陸、東北、北海道2回目、近畿・・・とあって相当な分量にはなるだろうが、ここいらで記録を残しておかないとまじで忘れるのでね(;´∀`)なお、時間軸的には北海道2回目が最初になるけど、これはすさまじく長くなると予測されるので、書きやすいところから手をつけていくかもしれない(となると北陸かな・・・)。
あと、日本人の無宗教に関する話もいい加減今年でケリをつける(言うて現状書けるところまで書くってだけだが)。今まで話してきたのは、そもそも問いの立て方を間違ってるケースが多すぎじゃね?という話。つまり、「日本人は自己を無宗教と自認する人が大半」というのが観測される現象なのに、多くの人が「日本人は本当に無宗教なのか?」という問いを立ててあーでもないこーでもないって言ってるんだから、そりゃあ結論なんて出るはずもなく。
だって、仮に「私の基準では日本人は無宗教じゃない!」と唱えたところで、「じゃあどうして、それでも無宗教って自己認識する人が8割もいるんですか?」って問いに戻るだけだから。
一応補足しておくと、前者に関しては、「絶対的な基準が存在しない」ことを思い出してほしい。つまり、「Aをしたら仏教徒だ」・「Bをしたら氏子だ」みたいな基準が存在するわけではないし、ましてそれが万人に共有されてるわけでもないのだから、結局は「~という基準においては、日本人は仏教徒だ」みたいな言い方しかできない。だったらそれって究極的に「日本人は無宗教じゃないんだろう、お前の中ではな」で話が終了である(で、個人の解釈を全体に押し付けてそれが正しいと強弁するのは、究極的に「アーリア人種は優れていて他は劣等民族なのにそれをみなが認識していない」なんてのたまうのと何が違うんですかってことだ。無宗教を否定する言説の場合は、そこまで有害じゃないから放置されてるだけじゃね?と私は思う)。
一方、「日本人が無宗教だと自認している」のは80%に及ぶもの、つまり少なくとも集合的な事実の積み重ねであり、これは単に解釈の問題ではなく、「現象として分析の価値がある」ということになるわけだ(例えば、「宗教」という言葉の使われ方とか、統計データの変遷とかね)。
まあそんなわけで、「日本人は本当に無宗教なのか?」て話は「私の日本人論」なら御随意にって話なんだけど、それが (下手すりゃただの思い付きと同レベルなのに)真理と思っている感じがするところがスゲー危なっかしいと思う。それって小林秀雄の「様々なる意匠」じゃないけど、ただの信仰告白にしかならんのやないですか?と私は思う訳である。
はい、ちゅうわけで私はスタートを日本人の信仰に関する意識調査に置くわけだが、まあこれに関する話は夏休みあたりには完成させたいなあ・・・と妄想する次第である(できるとは言ってない)。
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