たとえ認知が歪んでいても・・・:共同体の論理、第一次産業、地方消滅

2025-03-01 11:32:08 | 生活

閉鎖空間と集合愚のコンボじゃどうにもならんわ( 。∀ ゜)て話やね。

 

あ、何の話かっていうと、「地元にやってきた酪農ヘルパーの女性がみんな去ってしまう理由」ってヤツで、酪農やら農業がやりたくてやってきた女性をよってたかって家業の嫁候補として無理やりマッチングしようとし、結果ほとんどの人間が逃げ去って無事終了・・・というもの。

 

これ何が深刻かって、

1.やる側にとってはそれなりに合理的行動(継承者問題は一次産業に限らず中小企業でも多く見られる)

2.しかしその行動は他者性を全く欠いている(例:秘書に応募したら勝手に嫁候補にされたら普通ブチ切れるでしょw)

3.1・2の認知のズレが閉鎖的共同体内での他者否定&傷のなめ合いで改善されえない

という構造があるため。

 

そしてこの構造については、「なぜ地方の女性は都市部、わけても東京を目指すのか?」という問いの答えにもなる。「仕事の選択肢が極めて少ない」「旧い価値観でべき論を四方八方から押し付けられる」「『嫁候補』という属性で見られ、極論一人の人間として尊重されない」といった具合に(たとえ東京には東京の厳しさがあったとしても、だ)。

 

ちなみにこの話は、以前紹介した「関西でお座敷によばれ、座主が目をかけている東大の院生というヒトと対面した。彼がいうには、生成AIで山村の地域課題を抽出し、施策を出してもらい、そのままチャットAIの吐き出したもので国の創生や観光系の助成金を申請するという。とても気分が悪くなった。」でも触れた。

 

この話は、要するにAIが出した案を元にお役人が喜びそうな施策は提出できる。しかし、「こうやったらええですやんと言う事はできるけど、それが実行可能かはまた別の話」「多くの地方在住者が不満は述べているけど積極的に変える気はない」といった事とも関連する。

 

まあ残念なことではあるが、閉鎖空間と集合愚が生み出す失策の構造を変えるには、「このまま同じゲームを続けていたら、心地よさより命の危険が勝る」と気付いていただくしかなく、そしてそこまでの状況に到るには多くの(少なくとも複数の)集落が消滅するレベルまで行かないと無理だろう。

 

それを見て脱皮を図るところは生き延びるかもしれないし、そうではないところは消滅し、いっそう都市部への集中が進んでいく、というわけである。

 

一次産業の重要性は最近の米価上昇もあって認識が高まっていると思われるが、エッセンシャルワーカーと同じで「全体として重要性がある」ということと、「自分がそれをやりたいか」ってのはまた別の話だ。そしてそれをやろうかなという貴重な人材を浪費・離脱させないという意味でも社会的に取り組まねばならない問題というのはその通りなのだが(だから自由放任主義・自己責任で済ませられる話ではない)、かと言って肝心の迎える側にこういうマインドの人たちが多いんじゃあ薬を頑なに飲まない重病人(まさに「六不治」!)と同じで匙を投げるしかねーわなと思う次第である。


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