12/14のこと。先週金曜は埼京線沿いをチャリで戸田まで北上、日曜は環七を南下した後で中杉通りをひたすら北上するという楕円形の動きをした。で今回、久しぶりに西進しようと思い立った次第。西の方へは(結構前だが)中央線沿いを国分寺まで行ったことがあるので、趣向を変えて甲州街道を使ってみることにした。
甲州街道に入ると上を高速が通っており、普段見慣れない景色なためなかなかに趣深い。しばらく進むと
なるほど明治ってここなのか。リバティータワーの方しか見たことなかったんでなんか新鮮だわい。つか中野の方にもできるんだよね?駅近くの広大な土地が数年前から開発されてたもんな。ちなみに隣はお寺&広大な墓で雰囲気が違いすぎておもしろいwそれにしても高速沿いの照明灯と広告のせいで空が白いんですけどwでもそれがSFとかで出てくるような雰囲気を醸し出しており◎
そこから進んでいくと、下高井戸・桜上水を通過。ああ、そうなんだ。京王線って甲州街道沿いに走ってんのね。東京13年目にして初めて知ったわ(;´∀`)つーかサクラシンマチって駅もあったな。あれは確か田園都市線だったけ。この前用賀~二子玉川~溝の口あたりも歩いたし、今度はそちらへ遠征してみるのもいとをかし、だな。んなことを思っていたら、高速が別の道に逸れてしまった。
マンマ・ミーア!!アスレチック的な楽しみがなくなって普通の道になっちゃった(´・ω・`)ちゅまんない・・・(by バブルス)。そういやPPGって長い間見てると三人が自分の娘みたく思えたりしてくるけど(俺だけ?)、「ゆめにっき」でも同じ娘属性が発動していたら、最後はショックで二日くらい寝込んでいたかもwつーかゆめにっきってなんであれほど気味悪がる人多いのかしらん?いやまあ「普通のゲームとは異質」という意味でそういう反応は理解できるんだけど、自分の夢とかで似たような経験はないのだろうか?
例えば俺が高校の時に見た夢はこんな感じだ。最初謎のクイズ番組で、それに参加していた人がタイムスリップして木の上に落ちる。そこから展開がとんで処刑場になるんだが(その夢の景色を見ている俺の脳裏に鎖国時代の日本で異人が捕らえられる連想が働いていたのがおそらく原因)、その場面は神社の中に土俵があって、そこに制服を来た学生たちがずらっと並んで立ったまま顔を真っ二つ(しかも縦割りじゃなく横割りw)にされていく、というものだ。しかもその時、自分も処刑される者の列の中に加わり(=それまでの俯瞰視点から切り替わっている)、抵抗もせずに斬殺されていく人間たちを茫洋とした心持ちで眺めていると。で、自分の前に西尾(=それほど親しいわけでもない同級生)が処刑され今度は自分の番になったとき、なぜか跪かされて打ち首になる。そこでシャットダウンかと思いきや、首が地面についてるらしい感覚があって、ああなんか肌寒いなあと思いながら、「もののけ姫」の歌が流れる・・・こういう事例はいくらでもあるわけで、ゆめにっきの内容がそれほどビビるものと俺には思えないのよね(もちろんこれは質が低いという意味ではなく、それらをある種の世界観を感じさせるものとして高く評価しているわけだけど)。かつてラーメンズへの「不条理」・「シュール」という評価を思考停止だと批判したけど、ここにはまた別種の判断停止があるように思えてならない(この場合、素朴に解釈への願望に耽溺するのも似たり寄ったり)。なんて書くと偉そうだけど、もっと自由になりゃいいと思うのよねワシw
餓狼伝説2のキムのBGMなどを聞きつつさらに西進を続ける。んで仙川に到着。前に調布方面へ来た時通った気がするなあ。ああ仙川といえば、Iくんは無事卒業できたのかな?教育系の仕事をやりたいとか社会学を今ちょうど勉強しているとか言ってたけど・・・それにしても今日は靴下二枚にして正解だったわい。前の時は足先から冷えて下半身がお亡くなりになってたからな~(;´∀`)あ、「ねとすたシリアス」が始まった。
う~ん、この話は何回聞いてもおもしろわ。ツールはもちろん環境を変えるけれども、ツール自体も環境依存的に使われ、特異な変化を遂げると。
誰でもアーティストになれる、と同時にそのレベルが(過剰なまでに)可視化された世界。そう言えば前に渋谷ジェムズの9階で焼肉を食っていたときに、「ゲームがシステム内で起こる予定調和的なものに過ぎない」と気づいてゲームができなくなった、とUが言っていたな。この発言だけでは「何を当たり前のことを言ってるんだ?」「その中で楽しめれば別にいいんじゃない?」と訝しがる人も多いだろうが、それなら「マトリックス」と紐付けて考えてみてはどうだろうか。全てコンピュータプログラミングされた世界であるが、それでもシステムの中で気持ちよく暮らせるならどうでもいい、とあなたは思うだろうか?人間の作ったことが明らかなゲームの話から社会システムまで広げるのは飛躍がすぎるのではないか、と言う人もいるかもしれない。なるほど確かに、そのような意識は必要だと思う(でなけりゃそれこそメガロマニアになるしかないわけで)。
しかし掲載した動画でも言われているように、ネットは今まで個別的だと思われていたものがフラットにすぎないことを可視化した。だからたとえば、頭の中で鬱々と考え込み、自分は異常者ではないかと思っていたところの苦悩が、意外に多くの人の共有するものであったと気づくかもしれない。あるいは逆に、すばらしい考えだと自分が考えていたところのものが、多くの人がはまり込む短絡的な思いつき(=牢獄内の論理)にすぎなかったと思い知ることもあるだろう(cf.『戦前の少年犯罪』)。どちらにせよ、ネットはそのような並列化した状況を目に見える形にしたわけだ。これはゲームで言うなら物語の類型性とその考察(cf.「ドラクエとかたき討ち」)、あるいはシステム解析的な問題の二つに収斂するだろう(その場にいたデオドラントスプレーはネットが普及するずっと前からダメージ計算式の算出や低レベルクリアをしてきた男であり、その意味でも意見を聞きたかったが、あいにくその日は時間がなくお開きになった)。まあ要するに、Uの言っている話は個人的な嗜好のレベルを超えて、成熟社会の宿命とも言うべき特徴に触れているわけですよと。そしてまたこのような視点は、「ゆめにっき」などの深読みに向けて書いた、「かがみんは俺の嫁」とも繋がるものである・・・ちなみに賢明なる読者諸兄は、このような認識と「サドマゾ」、「DEATH NOTE~乾いた死~」などに散見される苛立ちが矛盾していると気づくかもしれない。その答え、というわけではないが、考える材料としてグレッグ・イーガンの諸作品や「沙耶の唄」が参考になると思われる。
・・・てゆうか今どこなんだろうか?とりあえず府中まで10キロないようだからそこに到達したら考えるかなヽ(。∀゜)ノつーかなんかドーム的なものが見えてきましたよと。
おう、これは飛田給だね!東京外大のシンポジウム行った時に見た記憶があるわ。あとレアルが来た時にヤフオクで何とかチケットを取るべくケンシロウと奔走したこともあったなあ(´∀`*)で、横にあるレストランで暖を取ろうかどうか迷ったところプレイヤーのバッテリーがお亡くなりになりましたよと。ほんじゃまあ今日はこのくらいにしといたるわ(意味不明)次は八王子まで行ったるけんね。覚悟しとれよ(`・ω・´)
帰りは別の道を使おうかと思ったが、迷ってガス欠になるとウザイのでそのまま来た道を戻る。そういや来るまで「すき家」が多くなかったか?ちょっとそれをカウントしながら行くか・・・
で明大キャンパス近くで一枚。なにこの「ドルアーガの塔」的な迷路www山手通りを北上した時のことを思い出すわい・・・で結局、環七にぶつかるまですき屋三つ、吉野家一つでした。まあ多いと言えば多いかな、というレベル。もしかすると、「腹の減りは微妙だがしっかり食いたくもある」という心持ちがすき家の納豆定食という選択肢を頭の中に去来せしめ、それが同店の過剰な印象付けへと繋がったのかもしれぬな(適当)。
で、帰りは冒険しなかったのでちょっと環七を北上してみることにした。ほいで
立正佼成会の巨大な建築群やらを見た後、昔高円寺勤務の頃に謎だった入口をくぐり、妙法寺とかいうところに行ってみたりした(最初環八近くの妙正寺と勘違いしていた)。ほう、この辺は堀ノ内というのか。同じ地名が神奈川にもあるね。前に川崎駅で降りて放浪した時、入り込んだころがあるわw
今はもう使われていないらしい「チョンの間」がたくさんあって時代を感じさせる街並みだったなあ・・・昔遊郭に興味を持っていた時期があったけど、久しぶりに色々調べてみたいもんだね(´∀`*)そんなことを思いながら、四時間半の「旅」を終えたのであった。
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