今さら前回の選挙の話かよ!と思われるかもしれないが、まあダラダラトークの中にも、結局55年体制からそうそう変わってないくさい日本の状況が述べられたり、あるいは家族制度とユートピアのことが出てきて非常に興味深かった。
たとえば前者だと、自民党一党体制とそれに反対する人たちにとっての共産党系勢力という図式だが、結局今もそれが有効であるという話。与党がお痛をした時の「お灸を据える」意味での野党への投票行動とか、あるいは野党が分裂した時は与党が圧勝しているといったデータなどを思えばまあそうだろうとも思うが、今の与党が「革新」、野党が「保守」とみられているなどの背景となる認識の変化はあれど、結局政権構造はそう変わっていないというのがおもしろい(ロシアの喩えはなるほどねーという感じ。まあ動画にも出てくる「世間」に裁かれるとでも言うべき状態は、ロシアにないものだろうが)。
後者では、私が興味を持っている人工知能の話題ともリンクするが、果たして家族が今後どうなるかは非常に興味深いところではある。スパルタの話が出てきているが、まさに国家が子供を管理する社会を理想としたプラトン、あるいは国家より家族を優先してしまう人間の心性を「二コマコス倫理学」で言及したアリストテレスの例を出すまでもなく、これは非常に古く論じられてきた問題である(ちなみに宗教でも、出家などでしばしば家族や共同体=世俗社会との相克は問題とされてきた)。さて、人工知能が発達して暇になるであろう人間は、その「余暇」を子作り・子育てに充てるようになるだろうか?はたまた人間以上にスマートな存在となった人工知能と過ごすことを選び、人間関係を厭わしいものとして避けるようになり、大きな出生率の低下を招くだろうか?あるいは人工知能が提案したBIの上限により「神の見えざる手」的に調整されるのか?
仮に子供を作ったとしても、もはや「将来の夢」などというものが(人工知能が運営するスマートな業務を邪魔しないようVRの中でのみ「仕事」が許されるような状況になるとしたら、という意味で)まさしくただの「夢想」でしかない社会が生まれた時、そもそも人間形成はどのようなものとなるのだろうか?そして子作りや子育てといったものはどのようなものとして受け止められるだろうか?「趣味」の一貫?厭うべき労苦?みんな古代ギリシアの哲学者みたいになるんかねえ?とかあれこれ妄想してみたり。
私ははっきり言って(それが平等な消失であるならば)人類が滅びること自体を何とも思ってないのでどっちでもいいのだが、たとえば「散歩する侵略者」での「家族」概念の喪失であったり(同監督の「クリーピー」と通底しているテーマは同じだ)、「ブレードランナー2049」でのレプリカントと家族にも出てくるように、境界線がますます曖昧になっていく社会で、一体人の営みがどのように変化していくのかというのは大変興味があるところである(ちなみにそんなわけなので、性の境界線とかにも大変興味があるわけだが)。
そんな取り留めもない感じでこの稿を終えたいと思う。
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