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フラグメント25:共感という認識、高校生のバイト

2008-02-01 01:51:34 | フラグメント
色の好み。共感は自然なものか>
色彩…赤い車の危険性?[自分の]好みの変遷…赤→青→赤、子供の頃バスは一番前に乗るのが好きだった(今は乗車口付近=動くのがめんどくさい?)。前に座りたかったとか、景色がどうこうではない。[バスの運転席の]計器がオレンジなのか白なのか。オレンジの計器を見るのは楽しいが、白い計器はつまらない。[小学校に上がる頃、すなわち]産光バスから電鉄バスに変わる頃にはあまり気にしなくなった(※)。

共感は「自然な」生理現象…なぜそう言えるのか?根拠は?同じく涙を流しているとか、同じく「悲しい」と言っていることから判断するしかない。つまり言葉や表情から解釈しているに過ぎない(※2)。


色彩の好みについて述べたもの。オレンジが好きというのはわかるが、それが何故好きなのかは非常に曖昧である。

※2
例によって共感の問題だが、最近では共感という(生理)現象を云々するよりも、「共感できたという認識」を批判的に考えていく方が有意義だと思うようになっている。


<高校生バイトの効果>
欲するのは自由だ。しかしそれには対価とそれを稼ぐための労力が必要だ。今まではお小遣いという他人の金で買っていた。自分で稼ぐ、という感覚が大事では(ニート、遊ぶ金目あての犯罪)?社会性の問題。なぜ[バイトを]禁止するのか?その経緯は?

モラル?[成人の]仕事が相対的に減る?お小遣い中心の方が、馬鹿みたいに使うから[企業にとって]都合いい(家族という消費システム)?一番が成績の問題か。社会経験よか成績(部活は学校の成果になる)。ならそういう人間が大学以降に増えるのは必然。

※3
こちらは最近考え始めた消費とバイトの話。欲しければ自分の金で買え、という話から、何でバイトを禁止する学校が多いのか(あくまで印象だけど)を考えている。


<宗教と社会、明文化と非明文化>
「人を憎むなかれ」と宗教は戒律を明文化する。それゆえわかりやすいと同時に、疑問を抱くことも容易である。一方社会の方はどうだろうか?明文化されていないのだが、実は根底に流れているものは似通っている。そして明文化していないため、人はそれを疑問だと思わない、いや思えない(なぜエロがいけないのか、なぜ人を殺してはいけないのか)。これが秩序を作るカラクリなのだろう。そのカラクリを、「普通という名の暴力」と言い換えてもいい(※4)。しかし人はそれが暴力であるという事実にそもそも気付かない。それくらい、非明文化は成功しているとも言えるだろう。

※4
原文ではこうなっているが、隠蔽・単純化の合理性、という側面も考慮する必要がある。「社会的規範、狂気、歴史性」なども参照。


日本的な部分はない?
まったくの思い上がりである。それはあたかも、ある気候のもとに長く暮らしながら、他の気候を知っている程度で自分が気候の影響を受けていないと言うに等しい。
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