退屈な、あまりに退屈な

2012-02-03 18:35:54 | 生活

巖頭之感」から話は変わって年末の忘年会
忘年会にいたある奴が俺のブログの記事を「色々すごいよね」と評していた(会社の人間も複数見ているそうな)。それに対して、「どのへんが?」と聞いてみると何とも言いにくそうにしていたので、「通り魔とかやりそうって?」とニヤニヤしながら突っ込んでみると、当たらずとも遠からずという感じだった(まあ俺自身、「デスノート」の記事なんかはそう解釈されるのを計算して書いてるので)。

 

だとしたら、随分舐められたモンタナw大震災と放射能問題でさえ変わらなかったこの社会(国)が、通り魔やテロごときで変わるかよwそういう現実への無理解さを、「山岡士郎のなく頃に」でネタにしたんだがな。つまり、変わらなさを無視した思考・行為=不全感など自慰識の問題を社会の問題と短絡させる様をね(ちなみにこの話は「嘲笑の淵源」とも関係が深い)。現場で必死になっている人たちはともかく、社会の雰囲気としては、復興とか新しい環境とか言っても、全部「ノリ」だしね(「精神主義という名の病」)。

 

とはいえ、もし俺が凶悪犯罪をやったら、このブログの内容を含めてどういう扱われ方になるか容易に想像できはする(チャートが作れるくらいにw)。そして、先の解釈も含めた予測可能性というか予定調和ぶりが、退屈に、あまりに退屈に感じられることが時折ある(なお、そういう解釈のあり方は「ソウルイーターとエヴァンゲリオン」で書いた思考停止・「風景の狂気」と非常に親和性が高い)。あえて言うなら、その退屈さ(=「終わりなき日常」ってやつだ)が俺を殺すことは、まああるかもしれんね。

 

なんて記事を書きながら、「そういや岡崎京子の作品に『退屈が大好き』ってのがあったな。今度読み返してみるか・・・」などと思う今日この頃。

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