レバノン料理屋を出た時には満腹で移動も億劫な状態だったので、すぐに電車へ乗り込み空港に向かう。予定より一時間ほど早いが、まあ空港で食休みする分には大きな問題はなかろう・・・
なお、社内の優先席マークに仏僧が含まれていたのを今更ながら気づく。これは裸足・托鉢といった制約のある仏僧を社会的に保護(と書くとちょっと違う気もするが)しようとする意思の表れなのだろうか。こういう表記を他では見たことがなかったので非常に興味深かった。「バンコクナイツ」でもあったように若者は軍隊に行くor出家するというのが(もちろん社会システムに組み込まれているという事実は前提として)一種の通過儀礼的な意味合いを持ってもいるようだが、仏僧が社会的にどう位置付けられているのかという点には興味が湧いた。
それにしてもすごい人である。足が地面につかないってことはさすがに無いが、ほぼぎゅうぎゅうに近いぐらい詰まっている状態。平日の夜7時なのでこれから帰宅という人が多いのだろうか。パヤタイ駅でBTSからARL(エアポートレイルリンク)へ乗り換え。まあ平日の夜だし、空港へ行く鉄道はそんなに多くねえだろうとか予測してたら、別にデカい荷物を持っているわけでもない人たちが大量に乗っている。東京モノレールとは違って空港近くにも割と人が住んでいるのかな?
途中でラマカムヘン駅を通過。ここはマンモス大学があり、学生街としてマーケットが充実していると聞いていたので、一度は訪れたみたかったなあ・・・しかし人がやはりほとんど減らない(降りる人も多いが乗ってくる人も多い)ってどういうことなの!?などと考えているうちに空港到着。
到着の時にも書いたが、見ればわかる通り羽田や成田と何ら遜色ない。改めて東南アジア=途上国=日本の後塵を拝している国という感覚が否定されていくのを感じた。そう言えば5年ほど前に渋谷で仕事をしていた時、IT企業の社長をしている人が「東京は10年後地方都市の一つになっているよ」と言っていたが、この風景と日本の後退を思えばそれもむべなるかな、というものである。
ちなみに保安検査は前にテロがあったからだろうが靴まで脱がされてねっとりとチェックされました。まあG7も使い果たしたワシにとっては死角なぞないがな(゚∀゚)アヒャ
ところで、空港はゲートを抜けた先に有名ブランドの店がいくつもあるが、ほとんど人が入っている様子はない。まあ一週間定点観測したわけじゃないが、多少利益を度外視しても(あるいは出にくくても)、ブランドイメージの構築を優先して主要空港には出店するという戦略なのであろうか?
さて、搭乗口近くまでくるとさすがに静かである。なお、ここには搭乗一時間前に来て待っていたのだが、機内に案内されたのは出発10分前で、出発自体は予定より15分遅れとなった。一瞬TGにイラッとしたが、よく考えると乗り遅れたヤツがmother fuckerなので、その者たちを地獄の火の中に投げ込みたくなった(©又吉イエス)(゚∀゚)アヒャ
機内では、苛立ちを抑えつつ映画を見ようとしたが、タイ・英・日による機内放送がいちいち邪魔をする。ええい、この程度の英語すらわからんチンカスはそもそも海外旅行すんな(横暴)とはいえまあ緊急時の際にちゃんと機内アナウンスが伝わっていたかというのは損害賠償などの際に航空会社の側のエビデンスとなるだろうから、多言語で伝えるのはリスクヘッジという意味合いもあるよなあと納得。つでに言うと、今のような背景や理屈づけを考慮することなしに(# ゚Д゚)を生のままSNSに書くと、不見識な炎上記事のハイ出来上がりというわけで、なぜアップする前にそのことに気づかないのか不思議である。
あとは「世界に一つのプレイブック」や「バードマン」を見つつ、ジェニファーの漲るエロさやエマの今にも壊れそうで守ってあげたくなる雰囲気でぺニセストになりながら、余った時間は無理やり寝るという挙に出た(さすがに隣人がいる状況でのコックネルはリスキーであると言わざるをえない)。
およそ50分後、飛行機は羽田に到着した。
そう言えば国際線ターミナルに来るのは初めてだったな。入国審査が自己申告でOKな瞬殺モノだったので本当にコレ大丈夫なのか(まあ出国の際に検査されてるからね、ということもあるんだろうが)。
眠いのとWi-Fiをとにかく忘れず返却せねばという意思が私を支配していたので、大活躍の小さな黒い巨人を返却をしてトイレとペットボトルを購入した後は、とっとと空港を出てモノレールの駅へ。
とにかく印象的だったのは、東京って静かだなあ・・・ということである。海外旅行をすると日常の自明性が失われてものを見る目が変わる、というのが一つのおもしろさであるが、今回の旅行はもっぱらバンコクという大都市に居続けたことによって、東京が存外大したことのない街だということが肌感覚で理解できたのが最も大きかったように思える(もちろん、細かいところの技術は相当レベル高いと思うけどもね)。
これから急速に拡大していく街とこれから衰退していくであろう街を見比べることによって、ある種数字ではわかりにくい自国の現状を実感することができた(とはいえ、これが100%正しいという話にはもちろんならないが)。これによって、たとえば最近話題となっているカンボジアの人身売買の摘発でも、それを見る時には途上国の貧しい女性たちが生活のために止む無く・・・というイメージが強いかもしれないが、実はそう単純ではなくむしろブランドモノを買いたい・よりラグジュアリーな暮らしがしたいといった欲望が背景になる、とも言われている(もちろん、それは人身売買を全く正当化しないことを付言しておくが)。
そのような構造転換や多様性の認識は、日本内の性風俗を考える上でも有用なので、非常に印象に残った次第である(AVも含め昔よりはハードルが下がったことによって、ラグジュアリーなものを求めたり承認を求めるための参入も少なくなく、つまりは貧困だけを軸に語れない。一方で、経済の地盤沈下や教育費の高騰の影響によって高学歴の人間が参入したりするケースも見られ、多様化が進んでいる。それらの影響もあって、今や「最終手段として身体を売るしかない」どころか、その「市場」に参入すらできない人もどんどん出てきているご時世なのである)。
この手の話はバンコクにおける対戦記録を通じてまた触れることもあるだろう。ともあれ、そのようにして東京や日本の現状が立体的に見えた部分を提示しつつこの旅の記事を終えたいと思う。
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