前回は真逆の肯定が常識といった一般的枠組み(以下「枠組み」)をかえって強固にすることを述べた。しかしそういった関係性ゆえに、「枠組み」とは真逆の枠組み・状態を想定してみることが「枠組み」の合理性などを考える際非常に有効である場合が多いのである(あたかも夜の闇が昼の光を際立たせるように)。以下、それについて記す。
其の1:焼肉屋の看板
まず軽い内容から。こないだ某駅の近くで焼肉屋の看板を見たのだ . . . 本文を読む
前回、鬼隠し編(以降「鬼編」と略す。他編も同様)や綿流し編(≒目明し編)で友情がむしろ余計な惨劇を生み出してきたことを述べ、それゆえに解答編、特に皆殺し編の圭一のセリフなどが際立つといったことを指摘した。ここで祟殺し編の構造を思い起こしてみると、あれも沙都子を巡る友情・仲間という問題が本質にあり、鬼編や綿編と同様最後には友情がカタストロフ(圭一曰く「狂った世界」)へと繋がっていくのであった(※)。 . . . 本文を読む
突然の人事発令から一週間が経ち、新天地大宮への出勤が始まった。狭いアーケードや人ごみ、それと相反するような四階建てのブックオフと相変わらずアンバランスな街並も印象的だけど、新しい勤務地が勢いと言うかパワーに溢れていて同じ会社でこうも違うのかと驚いた。
まあずっとこの会社で働く気はないけど、ともかくこの一年が新天地とともに勢いに乗ったものになればと思う。 . . . 本文を読む