今アニメ版目明し編を観終わり、改めて思った。
もし屋敷で詩音と会ったときに彼女の「わがまま」を許してなかったら、圭一と魅音(少なくとも後者)は死なずにすんだのに、と(※)。
これに鬼隠し編で圭一に殺されたレナと魅音のことも考えれば、友情が犠牲を生み出したと言えるだろう(※2)。とはいえ、その事実にひぐらしが無自覚であったとは到底思えない。それは、皆殺し編にある圭一のセリフによく表れている。
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信じるってのは…賭けろってことだ。
俺を信じろと言うのは、俺に賭けてみろということだ。
賭けろというのは他人事じゃない。
俺が負けたら、賭けた人たちもみんなコインを失うんだ。
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罪滅ぼし編以降仲間を信じることの大切さが繰り返し述べられているが、それは目明し編までの「信じることにより生まれる犠牲」という前提、あるいは複雑な様相の上に成り立つものであって、決して安易な一般化をすべきではないと思う(この問題に関しては次の記事も参照)。疑心暗鬼を症候群という枠組みで括ったことが物語的にもテーマ的にも瑕になっているという私の考えは変わらないが、ゲームの方が一段落した今、信じることが目編までどういう結果をもたらしてきたかを改めて考える価値はあるのではないだろうか。
※
ただし、その方が話の出来としてよいかと言えば疑問である。例えば、綿編における牢獄での魅音・詩音の会話は推理において非常に重要なものだったし、また
あれほど信じた圭一が裏切られるからこそ、たった一度しか使われないTheme of Ownerが強く印象にも残る。そして目編においては、魅音と圭一の殺害あってこそ詩音の自殺へと綺麗に繋がって珠玉のエンディングを演出しているのだ。
※2
鬼編は大災害になるのでどっちにしろ死んでしまうわけだが、少なくとも綿・目編は生き残りはする。まあもっとも、あの生き地獄の後で魅音が正常な生活に戻れるのか非常に疑問だけど。
もし屋敷で詩音と会ったときに彼女の「わがまま」を許してなかったら、圭一と魅音(少なくとも後者)は死なずにすんだのに、と(※)。
これに鬼隠し編で圭一に殺されたレナと魅音のことも考えれば、友情が犠牲を生み出したと言えるだろう(※2)。とはいえ、その事実にひぐらしが無自覚であったとは到底思えない。それは、皆殺し編にある圭一のセリフによく表れている。
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信じるってのは…賭けろってことだ。
俺を信じろと言うのは、俺に賭けてみろということだ。
賭けろというのは他人事じゃない。
俺が負けたら、賭けた人たちもみんなコインを失うんだ。
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※2
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