先日『AI原論』の話に絡めて「『癒し』のバイオポリティクス」という記事を書いた。
それを見て随分遠い未来の話のように思われた人がいるかもしれないが、ダイアモンドオンラインで折良く対照的な記事があったので紹介しておこう。
「中国の仰天『監視社会』事情、人々は行動規範の再構築や規制とどう付き合うか」
「日本人の『飲食店マナー』が崩壊の危機、中国人に冷笑される日も近い」
まず前者から言うと、データが集まっている中国では、もうここまで「現に人・社会の動きをコントロールできている」という話。言い換えれば、状況さえ整えば他国でも可能という話である。もっとも、「賢明な読者諸兄はマイナンバーですらあれだけ騒いだのに、こんな網の目のような監視社会化を日本社会が容認するのか!?あくまで強権的な支配体制の中国だからこそやれるシステムではないか?」とすぐに疑問に思うだろうが。繰り返すが、重要なことは「やろうと思うえば技術的にはもう可能な状態にある」という点である。あとは、私たちがどのような社会を今後構築していこうとするかにかかっているわけだ(ちなみにYahooニュースに転載された方ではコメントが結構書き込まれているが、監視と犯罪抑止についてはかなり肯定的なものが多い印象である。それを見るまでもなく、煽り運転や通り魔のニュースからその必要性を感じる人は少なくないだろう)。
そこで後者の記事。前者と比べれば一目瞭然だが、こちらは「努力目標」とでも言うような、徳治主義・人治主義全開の内容は微笑ましくすらある(ある種、川島武宣『日本人の法意識』を思わせたりもする)。もちろん食事の仕方や飲食店の振る舞い方について事細かに法律があるわけもないから前者のようにはいかないにしても、「皿を重ねるのは店側にとって逆にマイナスである」など、そもそも周知されていないことをマナー違反のカテゴリーに入れられてもねえ・・・という話である。そこに加えて、「昔よりマナーが悪くなった」というアンケート結果だけ提示して「昔は今よりマナーが良かった」・「今はマナーが悪くなっている」といういささか眉唾の分析をされるとさすがに苦笑を禁じえない(『「昔はよかった」と言うけれど:戦前のマナー・モラルから考える』などを参照。要するに、いつの時代も同じような問題が取り沙汰されているわけであるが、特に現在の社会については価値観が多様化して齟齬が生じやすくなり、しかもそれがSNSなどで即座に可視化されるため、コンフリクトが起きやすくなっていると感じる→マナーが低下・生きづらくなっている、という感覚を生じさせやすい、という構造だと考える方が妥当なのでは?)。ちなみに、価値観が多様化しているのに旧来型の暗黙知で乗り切ろうとする発想では、このような状態に掉さすことはできないわけで、そうやっているうちに、さらなる社会的ディバイドの加速、景気後退による犯罪率の上昇(外国人の犯罪率云々よりこっちを気にしないんですかねえ・・・)、不満・不全感の増大といった要素が重なると、日本も中国みたいになっていく可能性は十分あるなあと思う次第である。
まあその場合でも、「金ねえからメンドクセー(・∀・)!」と増田レポートよろしくどんどん見棄てられる地方は放置されて中世っぽくなり(これの対策はまた別の機会に)、都市部は今の中国のようになって監視社会化するという二極化が進むって感じになるだろうなあ・・・と予想しつつこの稿を終えたい。
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