A Slow Life of Mister Masuda

定年退職後のスローライフを公開!

日本海クルーズ・最終回 大宰府 天満宮(23)

2011年12月16日 11時55分45秒 | 日本海クルーズ
9月24日(土)最終日





9月13日から始まった日本海クルーズ旅行も今日が最終日。

入国手続きの遅れもあり午前中は船内で
最後のお茶を楽しんだりしてのんびり過ごす。

帰りの新幹線は博多発最終の午後7時なので
ゆっくり大宰府 天満宮にお参りしてゆこうと言う事になった。
幸い今日はお祭りで参道と門前町は大勢の人出だ。

人ごみでうろうろしていると声が掛かる。
先ほど船内でお別れを言いあったばかりの船内友達親子がいるではないか。

名物の「梅が枝餅」

「梅が枝餅をどうぞ」声の主は82歳の船内の友達 奇遇である

彼らはこの近くの二日市温泉で一晩骨休めして帰京の予定、親孝行な息子さんである。


太鼓橋を渡って境内へ。





牛の頭を擦ると何か良いことが起こりそう







赤い花なら「曼殊沙華・・・」楚々とした彼岸花である

社務所は入学祈願一辺倒







お祭りで「お神楽」を皆で楽しんでいる 構面白い。






歌碑の前で。

歌碑には、藤原道真の和歌
 東風吹かばにほひおこせよ梅の花
  あるじなきとて春な忘れそ
が刻まれている。

参拝後時間はたっぷりあるので門前町のお店を冷やかしながら大宰府駅向かう。
民芸的な小物を扱っている店が面白い。
然し既に色々買ってしまっているので今日は見るだけ。

西鉄で福岡(天神)地下鉄で博多 最終新幹線で新横浜 旅の終わりである。

[日本海クルーズ旅行記] 長い間 御愛読有り難うございました。


博多の長浜ラーメン(22)

2011年12月14日 20時53分04秒 | 日本海クルーズ
9月23日(金)夕方





大分県-日田・小鹿田の窯場の見学は大変満足すべきものであった。
以前訪ねた時から比べミスターマスダの小鹿田焼きに対する知識も技術も
上がっているので大変勉強になった気がする。
帰りは「湯布院の森号」で博多へ。
乗車すると客室の入り口の暖簾をくぐって客室に入るのには少しびっくり。





「湯布院の森号」用の特別仕様のディーゼル列車なので
車内の内装など興味しんしん。
運転台の上部が展望台のようになっている。








夕食は簡単に「長浜ラーメン」の屋台街へ。
一応博多の名所となっているのでミセスマスダの趣味ではなさそうだが御案内。
レモンサワーをぐっと飲んでから串焼き手羽など焼物 
最後に注文したラーメンは「とんこつ」だった。
勤め人時代に連れてこられてから15年ぶりにでもなろうか。












博多埠頭に帰ってきた。
長かった一日も終わりに近付いている。
この「レジェンド・オブ・ザ・シー号」とのお付き合いも
今晩一晩 最後の夜である。







日本海クルーズ・小鹿田(21)

2011年12月13日 23時15分53秒 | 日本海クルーズ
9月23日(金)




我々のクルーザー「レジェンド・オブ・ザ・シー」は早朝博多港に入港したが
今晩もこの船に宿泊できるのでカメラと身の回り品だけ携帯し気楽に入国下船手続き後
JR博多駅に直行 JRの特急「湯布院号」で1時間20分
湯布院の少し手前の昔の天領JR「日田駅」に午後2時ごろ到着。





今日は一日かけて小鹿田焼の極意をじっくり見学させて頂く積りだ。
目指す窯場「小鹿田」はタクシーで25分 

10年ぐらい前に訪れた時と変わり道は整備されている。
特別の日を除き定期バスは朝夕数便あるだけでまだまだ秘境。

懐かしい景色・古い造り酒屋はそのまま
通りすぎてゆく。

この窯の技術の源流は勿論韓国




小鹿田の佇まいは昔と少しも変わっていない。
長閑に「唐臼」を打つ音が聞える。



水は冷たそうで綺麗



唐臼の仕事はのんびりと気の遠くなる様な仕事だ






山が深く水流が安定しているので唐臼が今でも使われている。
一子相伝の焼き物の里 10軒ぐらいの作業場が川沿いに建っている
家内工業だが当主はロクロ中心の作品つくり 
女の人達が「土つくりから釉薬の施薬」までする
大変な重労働である。



土作り 粘土を何度も水で晒し精製する

小さな窯で粘土の水分をとばす



作品は素焼きはせず徹底的に天日で乾燥させて本焼きをする。
庭先は板に載せた作品で一杯である。
3000個ほど乾きあがると施釉して登り窯に詰め込み
1250度ぐらいの高温で焼く。

ロクロは当主と後継ぎの長男の仕事 長子相伝だそうだ









奥さんが釉薬を施釉しているがこれは女子の仕事

当主が窯に入れる前の作品の最終検査





幸い本日は2基の窯に火が入っている。
一基の窯は村の共同窯で何軒かの窯元が火入れを共同でしている。
もう一基は個人窯で若い夫婦が二人で仲良く声を掛け合って
揃って窯に薪を投げ込んでいる。
心なしか村中活気が溢れている様に感じられる。








ご夫婦で窯に薪を投げ込んでいる 東京の人で遊びに来てお嫁さんになったそうだ


















作品はもう既に家に沢山あるので今回は「お買い上げ」無し。
今後の制作活動の参考になるかもと写真を写させていただいた。
「芸術は模倣である」。















窯場に若い人が増え少し活気が溢れている様に感じられた。
帰りは「湯布院の森号」で博多へ。



日本海クルーズ・帰国(20)

2011年12月10日 23時04分27秒 | 日本海クルーズ
9月23日(金)早朝



朝6時ごろ博多港に接岸、ミセスは日の出撮影方々接岸の様子を見物に行っている。









玄界灘の夜明けである



博多に近づいてきた 島々が見える















博多の街が近づいてきた









愈々接岸



埠頭の白い待合室 屋根に赤いペンキで力士と芸者さんが描かれている



長かった旅路も終わりである マリンタワーをバックに名残りを惜しむミスターマスダ

船が一日早く博多に着いたので今夜もこの船をホテルかわりにして良いこととなった。
明日は大分県の天領日田の小鹿田の窯元を訪ねる予定。



日本海クルーズ・釜山(19)

2011年12月05日 22時03分02秒 | 日本海クルーズ
9月22日(木)夕方


往復250キロのドライブで釜山の町に帰ってきた。
親切な運転手が朝鮮戦争の国連墓地
連れて行ってくれた。
朝鮮半島で共産軍に釜山あたりまで追い詰められた時
マックアーサーがインチョン(仁川)上陸を敢行し戦局が
いっぺんに変わった話など戦後史を思い出す時間であった。





米国人の埋葬者が少ないのは遺体を本国に運んだため







各墓碑には兵士の名前・国籍・年齢が彫られている
皆20歳そこそこなのが涙をそそる

朝鮮半島のカーキ色の部分まで国連軍は共産軍に追い詰められた ここからマックアーサーの反攻が始まる

韓国の人 すべての意見ではないと思うが
運転手さんは韓国が今日有るのは国連軍・アメリカ軍のおかげであると
大いに感謝していた。





運転手さんは超近代的なビルディング群やハーバーブリッジを見せてくれたが
エネルギッシュなゴミゴミしたマーケットにも案内してくれ釜山の理解が深まった。
しかし釜山の最大の自慢は港湾設備であろう。
神戸の震災後釜山が最大と言う時代があった。
今は上海だが釜山も3番である。









我々の船は今夜6時博多にむけ出港。
出港セレモニーは韓国式だ。








食堂のウエイター達がフェアウエルの挨拶をしてくれる。






夕食仲間との夕食も今夜が最後。お互いに記念写真を撮りあう。



明日の朝は博多。
旅もそろそろ終わりに近づいている。
ショウを観たあとベッドに付く。
船は揺れている。
名にしおう玄界灘だ。





日本海クルーズ・陶芸の里・慶州(18)

2011年12月03日 21時32分19秒 | 日本海クルーズ
9月22日(木)午後



ユネスコ世界遺産「仏国寺」の見学に続き
本日のハイライト陶芸の里の見学である。
慶州の陶芸の技術は豊臣秀吉の時代に九州に伝わり
唐津焼きなどに開花したと聞いている。

今回のクルーズ出港前に一日唐津に遊んだこともあり
今日の午後の「陶芸の里」見学は力が入る。

仏国寺から車で30分さっそく陶芸村に案内してもらった。
見学した窯元の名前は「新羅窯」。

石段を上がって行くと新羅窯の入り口の門

綺麗な花が咲いている

工房の正面で満足げなミスターマスダ

瓦を積んだ土塀

窯主の柳さんのお住まい



庭に置かれている壺



工房では窯主の柳さんが蹴ろくろで大壷を引いていた。
手際の良さには圧倒されてしまった。

窯主の柳さん





段々粘土が引き上げられてきた



大壺の形が出来てきた

うん 良く出来ている。仕事が恐ろしく早い




登り窯は2基あったがチャンバーに別れておらず煙突のようになっている。
温度のコントロールが複雑でそれだけ面白さがあるそうだ。















新羅窯のショールームで柳さんの得意は焼き閉め 
三島手の焼き閉めの抹茶茶碗を記念に求めた。







三島手・搔き落としの抹茶茶碗


隣の窯では赤い辰砂の抹茶茶碗をゲット 

見込みは赤い辰砂 外側は青磁の抹茶茶碗


 
今回は韓国訪問を諦めていたが台風15号のお陰で図らずも釜山に寄港でき
窯場を見学できた事 望外の喜びであった。

慶州でのすべての行程を終え釜山へ向かう。





日本海クルーズ・慶州・仏国寺(17)

2011年11月30日 12時21分06秒 | 日本海クルーズ
9月22日(木)午前中



釜山に上陸。
今日一日 韓国観光である。
計画としては まず慶州へ行き世界遺産の仏国寺見学
午後は釜山に戻りお買いものと云うのがお薦めコースと云われている。

気分のよい観光を望むなら 先ず第一の仕事は
黒塗り・個人・優良運転手車のサインが
書いてあるタクシー車を探す事である。
船内の友人が親切に教えてくれた。

最初に行ったロッテ免税店からロッテホテルに行き
早速目当てのタクシーをチャーターして慶州・佛国寺に出掛ける。




慶州に入るとサービスエリアの売店も
屋根が昔の韓国の建物を模して観光客を迎えてくれる。




仏国寺に到着。
釜山から100キロ以上北上した所にありユネスコ世界遺産に指定されている
仏国寺は8世紀頃、新羅の景徳王の時代に建立され、新羅美術の最高峰・集大成といわれている。

秀吉の朝鮮出兵、文禄・慶長の役により甚大な被害を受け、その後3,4百年の間に
再建立、修理がなされた。

仏国寺ではボランティアの案内人が我々2人のために親切に説明してくれた。

世界遺産の記念の大石の前で記念写真。
これから丁寧に仏国寺の境内を見て回る。









参道の木漏れ日が綺麗で印象的

この池は仏国寺の自慢の池だそうだ








天王門の中に安置されている阿吽の仁王像が素晴らしい

ガイドさんの説明も熱を帯びてくる。







軒先の下の彩色はガイドさんが熱心に説明するのでこの寺の見どころに違いない





大きな太鼓は大きな甕の上に乗っている



本当に綺麗だ





真鍮製の猪の置物 参詣人が触るらしくピカピカ光っている 御利益が有りそうなので触ってみる

修学旅行の生徒の記念撮影

石灯篭の四角い窓をとうして本堂の仏様が拝める







これで仏国寺の見学は終わり。
これから慶州のもう一つの見どころ
陶芸村に連れて行ってもらう予定になっている。




日本海クルーズ・釜山入港(16)

2011年11月23日 18時27分04秒 | 日本海クルーズ
9月22日(木)早朝


今回の日本海クルーズは当初横浜港発着の予定が
3月の大震災の影響で博多発着と変わった。
博多から出航となったが今度は台風12号の影響で
最初の寄港地が鹿児島から長崎に変更。
そして今度は台風15号の影響で小樽から釜山に
寄港地が変わったわけである。
嵐に遭遇はご免だ 旅程変更は受け入れざるを得ない。



早朝釜山港に入港。





























釜山オーシャンターミナルでは韓国式の歓迎を受ける。







さあ 韓国観光の一日が始まる。







日本海クルーズ・船上生活(15)

2011年11月15日 19時36分15秒 | 日本海クルーズ
9月21日(水) 




台風15号の影響で次の寄港地が小樽から釜山に変わり
船は日本海を南下しながら釜山に向かっている。
釜山入港は明日の朝となろう。

船は少し揺れている。台風の影響だろう。
ミセスマスダは朝からジュエリーの講習会に参加。
綺麗なネックレスを一本仕上げてご満悦である。

部屋付きのボーイさんのスー君は
いつも我々のキャビンをクリーンアップしてくれている。
タオルも新しいものに変えてくれる。
タオルは色々な動物に折って楽しましてくれる。

ネズミ

モンキー



サイ



エイ



パターゴルフでもしよう。
皆さん今日一日 海上なので時間を持て余している。
デッキは混んでいる。
我々はパターゴルフを2ラウンド楽しんだ。






この旅行で知り合った文房具屋さん親子がジャグジーを楽しんでいる。
お父さんは88歳お伴の息子さんは65歳 仲の良い親子である。
写真を撮ってあげた。





クルーズらしい雰囲気の写真も撮っておこう。







日本海クルーズ・ウラジオストック・ダウンタウン(14)

2011年11月11日 11時31分40秒 | 日本海クルーズ
9月20日(火)午後


午後から自由行動
街でロシア人に接したが皆さん旅人には大変親切だった。

露天の土産物屋
ロシア独特のものがいいな。
マトリューシカにしよう。



ウラジオストックはシベリア鉄道の起点である。
オーシャンターミナルに隣接した大きな駅だが閑散としている。
人の乗り降りより貨物とか石炭の輸送の方が忙しそうである。







シベリア鉄道の機関手の笑顔。




中央広場はウラジオストックの見どころの一つである。
ウラジオストック駅の裏側にある。
中央に大きな銅像があるが戦意高揚のものか。
広場に面してデパートとか商店街が賑わっている。
ウラジオストック随一の繁華街であろう。





ここはアメリカンスタイル。ピロシキは売っていない

古いビルの中は化粧品屋家具屋土産物屋家電屋 新しいビルに建て替えればよいのに



上海はヨーロッパ車で溢れていたが
ここは日本車 しかし手入れは悪くワックスが掛かった車を見たことがない




広場の前にはデパートもある。
こじんまりしているがヨーロッパ風でアトラクティブ。













折角ロシアに来たのでピロシキを食べてみたい。
漸く駅前のキオスク兼食堂でピロシキを発見。






夕食はいつもの仲間と今日一日の出来事をお互いに報告しながら。
突然ニュースが入ってきた。
台風15号の影響でまたまた寄港地変更。
小樽は取りやめ「釜山」となった
我々にとって釜山は行ったことのない街なので
「また楽しからずや」。

今夜のショーは中々の見ものであった






日本海クルーズ・ウラジオストック朝(12)

2011年11月03日 21時28分25秒 | 日本海クルーズ
9月20日(火)



十八、十九日と終日二日に亘るクルーズでウラジオストックに入港。
ウラジオストックは快晴である。

朝焼けの日の出を拝みながらの入港



オーシャンターミナル・ビルには大型客船の入港は珍しいらしく
見物人が鈴なり



観光バスに乗り込む大勢の現地ガイドが待っている。

我々の乗る観光バスの現地ガイド・イアン君

イアン君のアシスタントのアンナさん


早速観光バスで市内観光に出掛ける。
先ず小高い丘(鷹の巣の丘)に登りウラジオストックの湾の眺望を楽しむ。
昔からロシア艦隊の基地となっているが湾が入り組んでいるので
防波堤もなく見るからに天然の良港。










ウラジオストックの街は目下至る所で工事・建設中。
この街で来年APECが行われるのに間に合わそうとしているのだ。
進捗状態はあまり良くない感じがする。









展望台には大きなモニュメントが建立されている。
色々由緒がある建造物なのだろうが
ガイドの日本語が覚束無く説明不能。







モニュメントを支えているワイヤーにハート型の南京錠を掛ける、と、そのロマンスは・・・・

喉が渇いたのでアメリカのコカコーラを一本


観光ルートには寺院・博物館・凱旋門から潜水艦まであった。

凱旋門の周りは緑の公園になっており
静かな佇まいである。女性達が手作りのテーブル・クロスなどを売っている。
ミセス・マスダは美しい刺繍の品物を買おうと手振り身振りで奮闘するが
叶わず諦めた模様。









ロシアらしいネギ坊主の建物も見える。
ロシア正教の教会だ。以前、モスクワや古都スズダリでは沢山
見たが、ここの教会は小さいが同じように美しい。













ウラジオストックはロシア海軍の唯一の不凍港として
歴史のある軍港。
アメリカでいえばサンディエゴの軍港の様なものだろうか。








海軍のモニュメントと第二次世界大戦時代の
ソ連の潜水艦の展示があった。
ドイツの潜水艦Uボートを何隻も撃沈させた最強の潜水艦だそうだ。
俄かには信じられないガイドさんの説明である。













潜水艦の艦内 魚雷発射室の前で



ガイドの若いロシア人がたどたどしい日本語だが一生懸命説明してくれて
好印象を持った。

これから博物館の見学があり午後からは自由行動で
ウラジオストックの市内見物となる。


日本海クルーズ・北朝鮮沖航行中(11)

2011年10月23日 19時31分25秒 | 日本海クルーズ
9月19日(月)




朝から依然 船は揺れている。
曇っている日の日の出も中々見応えがある。


















特に計画もないので朝食をゆっくりとる。



同席の神戸のご夫婦と旅談義に花が咲く。



船の中心に位置する12階まで吹き抜けのロビーでも
乗客が飲み物をとりながら穏やかな午後を楽しんでいる。






夕食時 船長が我々のテーブルにも挨拶にやってきた。
海が荒れているので航路変更 チェジュ島に寄らずに
直接ウラジオストックに向かっている旨の説明があらためてあった。
歓談後 船長を中心に記念撮影。




ショウは「スイング・シティ」
ブロードウエー風の歌とダンス
この間は船の揺れでダンサーが転ぶといけないとショーが中止になったが
今夜はそれほどの揺れではなくショは行われた。

司会者は英語の達者な中国人 日本人乗客が多くなったので片言の日本語の一言、二言

シアターの緞帳は不釣り合いなぐらい立派







船は依然として揺れている。
北朝鮮沖を通過中だと誰かが言っていた。
明日の朝にはウラジオストックに入港予定。





日本海クルーズ・船長主催のウエルカム・レセプション(10)

2011年10月22日 19時26分22秒 | 日本海クルーズ
9月18日(日)



船は一路ウラジオストックに向けて20ノットで航行中。
今日明日と走り続けて明後日の朝ウラジオストック到着の予定である。

今朝の日の出も中々見応えがあった。。

洋上の船の朝は遅い。
人出がパラパラである。





昨日上海で乗客が入れ替わり中国人800、日本人350、
シンガポール人300、オーストラリア人200、アメリカ人35人
その他を含め30ヶ国1800人の乗客だそうだ。

今朝の朝食のテーブルでも英語が飛び交い
漸く外洋船に乗っている実感がわいてきた。

今日はドレスコードはフォーマル 
夕方より船長主催のレセプション。



船長の英語の挨拶に続いて日本語の翻訳
最後に中国語の翻訳。
乗客の構成比率が変わり日本人が多くなった為のサーヴィスか
「数は力なり」









ショウは船が揺れるためミュージカルは中止 
マジックの再演になった。

海の荒れはまだ収まらない。
チェジュ島入港を諦めたのは正解だったのだろう。
船は揺れながら釜山沖を北上中。




上海(9)

2011年10月20日 21時15分09秒 | 日本海クルーズ
9月17日(土)



上海郊外のコンテーナ・ターミナルに早朝接岸。
ロスのロングビーチのコンテーナーターミナルより大きいかも知れぬ。 



中国の底力を感じる

コンテーナーが山積みになっている一方
輸入・輸出手続き待ちの乗用車から
トラックターまで見渡す限りに並んでいる。



小型車は輸出 高級車は輸入。




簡単な中国への入国手続きを受けて下船 観光バスに乗って
今日一日上海観光である。
ガイドさんは日本語ができる中国のお嬢さん。






街への道路は4斜線 この辺りは深圳(シンセン)のような経済特区を
計画しているそうだ。
揚子江の支流・黄補江沿いにある戦前の所謂,租界・バンド地区は
10年ぐらい前に来た時と新しい高層ビルは増えたが
全体の印象はあまり変わっていない。



バンド地区のシンボル テレビ塔

街中にはこんなオアシスもある。
沢山のベンダーが並んでいる様は、日本と変わらない。




ひと際 高いビルがある。JNMA・088ビル即ち金茂大厦ビルである。
88階の展望台で空から上海を見物する。



ビルの入り口

展望台内部

展望台よりの眺望









左上が「上海万博」の会場だった場所との説明があった




今 上海で一番背の高い「森ビル」 
上部に窓が開いているユニークなビル。
隣に更に高い第二森ビルを建設中。





観光バス旅行だから良いところばかり見せてくれるのかもしれないが
そこここに、中国の底力を感じさせるものがあった。




上海万博のマスコット



以前来た時にはこれだけの施設をちゃんとメンテ出来るかと思ったが
今日来てみてしっかりやっているなあと感じた。
植え込みにも雑草はなくごみも少ない。



道路を走っている車の綺麗なのには驚きである。
皆ワックス掛けしてあるように見える。
ヨーロッパ車が多い。
よその国では日本車を多く見かけるが
ここ中国と勧告は日本車が出遅れている.
道路が広いためか車の混雑は目立たないが
マナーの悪さは昔と変わっていないようだ。
何処でも平気でUターンしている。



最大の繁華街「南京西路」と「南京東路」の歩行者天国辺りを散策したが
銀座と変わらぬ有名ブティック 国際的と言うか
土産用に中国的なものを見つけるのに苦労する。
  












この屋台では、何と「たこやき」を作っている。
道具一式も日本と全く同じである。


昨日から体調が悪かったが何とか持ちこたえて
上海観光をする事が出来てよかった。
船に戻り甲板でそよ風に当たるとホッとする。




船が出て行く。
東シナ海に沈む夕日が綺麗だ。






夕食後は特に予定も無いので
習慣的にショーを見て過ごす事になっている。




台風が接近しているらしい。
明日のチェジュ島寄航はテンダー下船が危険なため中止。
直接ウラジオストックに行く事になった。
チェジュ島のロッテの大型免税店を期待していた向きには
残念がる事しきり。


とっぷりと日が暮れた。漁船とすれ違った。
電気を煌々と灯して「烏賊取り漁業」をやっているのだろう。
因みにこれらの電灯はすべてLEDである。