A Slow Life of Mister Masuda

定年退職後のスローライフを公開!

Day 042

2005年12月30日 12時34分43秒 | 航海日誌
第41日目(7月1日)
午前9時前フランス・ルアーブル港に入港。
フランス国旗トリコロールを揚げたタグボートの出迎えを受ける。
ルアーブルはノルマンディー地方最大の港。
かってこの地は百年戦争やノルマンディー上陸作戦の舞台でもあった。
また宗教建築、美しい景色、美味しいシーフード、乳製品、林檎 色々有るが
この地は印象派絵画の故郷でもある。
船内でのルアーブル上陸説明会ではパリ、ジヴェルニー、モンサン・ミッシェルなど
色々な観光ツアーが紹介されたが
初日今日はルーアンに行く事にした。

家内は昔ルーアンを訪れているので今日は別行動。
印象派の画家達を魅了した風景で良く知られているエトルタ観光へ行く事にした。

小生にはジャンヌ・ダルクゆかりの地ルーアンは是非訪ねて見たい町であった。
彼女が火刑に処せられたという歴史を持つこの町には
ジャンヌ・ダルク教会が建てられている。
その教会の建物がコンテンポラリーなのは大変意外に感じた。
ステンドグラスが素晴らしい。現代と中世の文化・芸術の融和を、この建物から感じるべきなのか。

印象派モネがその美しさに魅了され30点以上の絵画を描いた
ノートルダム大聖堂カテドラルが凄い。内部のステンドグラスも荘厳である。

繊細な彫刻が施された大時計も重厚感があり歴史を感じられた。

帰途シードル工場に立ち寄りカルバドスを求めた。
友人のスガさんへの土産に丁度ピッタリで良かった。

楽しい一日だった。流石にフランス。食事、ワインが美味しい。


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Day 041

2005年12月29日 12時18分05秒 | 航海日誌
第41日目(6月30日)
曇り、うねり高し。
明日はフランス。
フランス上陸説明会も行なわれている。
船内理髪店でサッパリする。。
ロシア人女性が整髪してくれたが、この店はユニセックス。
このロシア人女性はお嬢さんと一緒に乗船しており
お嬢さんはヨットクラブ・レストランのウエイターとして働いている頗るつきの美人である。

愈々ハーモニカ演奏会が7月4日に決まった。
日没遅く夜10時まで明るい。

明日の朝はフランス・ルアーブルだ。

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Day 040

2005年12月29日 11時46分09秒 | 航海日誌
第40日目(6月29日)
曇り、うねりも出てきた。
流石 大西洋か。
昨日の名画座「現金に手を出すな」に続いて本日は「地下室のメロディ」を観る。
次の寄港地がフランスなので、それに因みジャン・ギャバン物だ。
明日はノルマンディ上陸作戦の「ザ・ロンゲスト・ディ」の予定。
ママは美容院へ。
ハーモニカ練習中に船内テレビ局の取材を受ける。
皆アガッテしまいトチる。
夜はこのところ 熱心に碁会所通よい。
丁度よい碁敵も出来てきた。

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明日からはゆっくり出来ます

2005年12月28日 20時23分56秒 | 家族行事
今日は12月28日、本日のゴルフ納会でスローライフとは言い難い超繁忙の
年末スケジュールも漸く終わりだ。

22日はセントメイのヨット仲間との忘年会。

23日は長男家族と浅草散策。

24日は長男、次男家族 総勢10名でターキーを焼いて
賑々しくクリスマスパーティー。

25日は先日亡くなったO氏の49日の法要。

26日はニューヨークから一時帰国しているM夫人と我々と共通の友人のY夫人を
お招きしてロングラン・ランチョン。
お料理は小生の出番。
ブイヤベースが事のほか好評。
頂いたお花は小生の造った花瓶にしっくりと治まった。

27日は例年の様に庭師が来て徹底的な庭掃除をしている。
これで何時でも御正月を迎えられる。
枝に残っていた枯葉もすっかり取り除かれた蝋梅には幾つかの花が咲いていた。
小鳥達も、たくさん啄ばみにやって来るだろう。
夕方からは女友達(実態は昔の勤め先で秘書をやってくれていたO嬢、N嬢)と
元同僚のAさんを誘っての恒例の夕食会。
レストランは豪華絢爛、麻布の「ヒラマツ」。
ジビエのシーズンなので皆で「エゾ鹿」を注文。
何から何まで満足のいくサーヴィスであった。

そして今日は厚木でいつものメンバーで今年最後の「納めのゴルフ」。
天候もよく充分に気合も入っており、ことし最後のゴルフに相応しいスコアであった。
Eさん87、Kさん88、ミスターマスダ89.

これで22日から連続7日間の年末イベントは終り。
お正月は孫達夫々予定があり、こちらには来ないので静かなお正月になるだろう。
陶芸三昧と言うところか。





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Day 039

2005年12月27日 14時54分12秒 | 航海日誌
第39日目(6月28日)
船は日の出とともにジブラルタル海峡に突入。
2時間半で大西洋に抜ける。
甲板の風、大変冷たい。

フルセールで航行中の3本マストの帆船とすれちがう。
何時の日か帆船での船旅をやって見たい。
小生の憧れであり夢である。

ジブラルタル海峡巾16キロメーターでマラッカ海峡より狭い感じ。
戦争映画でジブラルタル海峡を英軍の攻撃をかわして
Uボートがエンジンを止め海流に乗って通り抜ける場面を思い出した。

デッキは風が強く大変寒いが船内は暖かく心地よい雰囲気、
のんびり碁会所で少し荒れた海を眺めながらヘボ碁。

夕方からはハーモニカの合奏練習。
発表会も近づき練習に熱が入って来た。

もう船は大西洋。
今はリスボン沖か。
風も収まった。

夕食後MK御夫妻と「居酒屋なみ平」で一杯やる。
MKさんの即興のハーモニカ、懐かしのメロディーは夕日に映えて
印象的・感傷的と言うより寧ろ感動的。

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Day  038

2005年12月26日 14時52分43秒 | 航海日誌
第38日目(6月27日)
今日は全艦 休息日。朝ママは海豚を見たと言う。
午前中名画座で「カサブランカ」を鑑賞。
船が航行している辺りに関連した映画を見せる様にしているらしい。
いまモロッコ沖あたりを通過か。
大変な寒さだ。
完全防寒対策をしてデッキへ。
夕食後 碁会所へ。


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Day 037(上)

2005年12月25日 15時51分28秒 | 航海日誌
第37日目(6月26日)
朝7時バルセロナ港へ入港。
携帯が通信可能になったのでMKさんの携帯を借りて横浜・NYにメール。
また横浜・NYより先般のメールの返信を受け取る。
一応ボーダフォーンのトラブルによる音信普通の件を連絡できたので一安心。

今日はバルセロナ見物。
スペインと言うより「カタルーニャ地方の中心地」と呼んだ方が相応しいバルセロナ。
長くカタルーニャ自治政府が置かれ自分達の文化や伝統を誇りにしているところだ。
この街が生んだ偉大な芸術家アントニオ・ガウディ。
先ずお目当てのガウディの建造物。
今日のハイライトだ。屋根の階段状の家はカダファルが設計したカサ・アマトリエール。
その右隣の家が、カサ・アマトリエールが余りにも素晴らしいので、それに負けじと
新築間もない自宅を取り壊し、超一流の建築家・ガウディに依頼して
建てられたというカサ・バトリヨ。
外壁の竜の模様にちなみ”竜の家”とも言われる。
この辺りはバルセロナの建築家の代表作の展示場のようだ。 
カサ・バトリヨから3ブロックほど先にあるカサ・ミラ 石切り場から切り出した
石そのままのように建てたのでラ・ペドレラ”石切場”とも言われる。
屋上のデザインは秀逸。


グエル公園 20世紀初頭、60戸の集合住宅を建造する目的で計画されたが、
住宅は2戸程しか完成せず、広大な敷地には、グエル公園のメイン・ビルディングの
この建物の他、ギリシャ劇場や曲線の見事な手摺り・柱・壁・道、
またモザイクのベンチや蜥蜴の噴水など遺され、
1922年,市に寄贈され、公園となった。

バルセロナでは何と言ってもサクラダ・ファミリア聖堂(聖家族聖堂)を
見逃す訳にはいかない。
サグラダ・ファミリア聖堂外観
サグラダ・ファミリア内部。
1882年に着工されて以後、未だに建造中。
建築途上の建物が、世界遺産に指定されているのは、ここだけ。
入場料は、全て建築資金に当てられている。

バルセロナ午後の部
Day037に続く・・・



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Day 37(下)

2005年12月25日 09時28分03秒 | 航海日誌
Day37(上)より続く

第37日目(6月26日)
昼食はオリンピックのヨットハーバー脇のレストランでスペイン料理。
午後からはゴシック地区の見学だ。
先ずステンドグラスや彫刻も見事なカテドラルの見学。
ビルの外壁に描いたピカソのモノクロ壁画。
夕食は若き日のまだ無名だったピカソがよく通ったと言うレストラン「4CATS」。
ピカソが書いたメニューが今も使われている。サングリアを飲みながら軽い食事。
スペインには3人のパブロが居るが、一人はパブロ・ピカソ、
二人目はパブロ・カザルス、三人目は政治家だったと思うが思い出せない。
船への帰り道、ランブラス通りのフラメンコへ。
エネルギッシュな男性の踊り手が印象的だった。
なお、あれほどフラメンコを観たがっていたMKさんはサングリアで
良い気持ちとなり座席に付くなり居眠りを始め全然フラメンコを見学出来ず。
午後11時フランス・ルアーブルに向け出帆。
これから4日半の船旅。


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クリスマスパーティー

2005年12月24日 22時21分30秒 | 家族行事
今日はクリスマス・イブ。
我が家に長男・次男夫婦、孫四人が来訪、、
我々二人の総勢10人が集いクリスマス・ディナーだ。

孫達は久し振りの再会に興奮気味で大騒ぎ。
先ず手始めに孫息子と将棋の手合わせ。
角道を開けて飛車の頭の歩を突く中々の本格派だ。
途中孫娘達が皆で遊ぼうと騒ぎ出したので勝負途中で対局中止。
皆で「人生ケーム」となる。
モノポリーの様なゲームだが小生は苦手なのでゲームには参加せず見学に回る。

そうこうしている間にキッチンではターキーが焼き上がった。
12パウンド、即ち5キログラム強の大きなターキーだ。
勿論ターキーの切り分けは小生の役目だ。
グレービーとクランベリーで熱々のターキーをワイワイ大騒ぎしながら頂く。
ワインはナパ・バリーの赤のキャバネースベニヨン、ひと際美味しく感じられる。

孫達は子供用のシャンペンで気勢を上げている。
ファイアー・クラッカーも景気良くパンパンと大きな音を立てて炸裂している。
従兄弟どうしになるのだが孫達は本当に再会を楽しんで居るようだ。

チーズはブルーチーズのロックフォール、ブリー、24ヶ月物のミモレット。
24ヶ月にしては好評であった。
洒落たチーズプレートは以前、次男に貰った物だ。
重宝している。

デザートは長男の嫁の心尽くしのニューヨーク・グラマシーのクリスマスケーキ。
チョコレートと生クリームの2種類は大層な美味、エンジョーイアブルであった。

楽しい時間がBGMのクリスマスキャロルと共にゆっくり流れて行く。
子供達家族も色々予定が有るので今年はこれでお別れである。



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年の瀬・浅草

2005年12月23日 17時15分23秒 | 家族行事
今日12月23日は天皇誕生日で休日。
長男家族と久し振りに浅草へ。

昼食は最初から「今半」と決めていた。
長男家族が浅草吾妻橋に住んでいた時、
一緒によく行った店だ。
長男の嫁は7年ぶりだと言う。
「今半」は近年「ふぐ」も始めたのには驚いた。
早速「ふぐ刺し」を注文、メインは「すき焼き組」と「しゃぶしゃぶ組」に分かれた。
孫達は何時もの肉より美味しいと言う。
日頃の経済料理と比較しても主婦が気の毒。
店内はもう御正月気分なっており
1メーターぐらいの高さの大きな羽子板が15本ぐらい飾られている。



食後のお散歩は先ず浅草寺にお参り。
上の孫のあやぴーは、まだ少し先だが、受験成功を祈願したようだ。
下の孫のゆーたんは小学二年生だが入学以来 皆勤だそうで
二年生も、三年生も皆勤が取れる様に御願いしたと、誇らしげに話してくれた。

超大型の「線香たて」の前では
御線香の煙を陶芸とゴルフが少しでも上達する様に腕と指先に掛ける。
孫達には勉強が出来るようになる様に頭の髪の毛に掛けてやる。

それから仲見世を雷門の方へブラリブラリ。
人形焼屋の店頭で、暫し、人形焼を焼く職人さんの妙技に見入る。
一袋買って、その店先で食べた人形焼は美味であった。
孫達と「雷おこし」の試食もし、ここでも、一袋お買い上げ。
長男達は昔住んでいた所なので裏道にも精通している。
方々歩き、随分と寄り道もした。
裏通りにも「今半」という店が幾つかあり支店かと思ったが、そうでもないらしい。
我々の行った店は「浅草今半」と言って元祖「今半」との事だ。

アイスクリームと言い出したので雷門の近くのイタリアン・ジェラートへ。
ところがもうその店が無くなっており、それではと言う事で
オレンジ通りのアンジェラスへ。
古い所謂喫茶店だが大繁盛の大混雑。
ショートケーキには満足。

孫達が少し、買い物をすると言うので浅草松屋で別れた。
少し昼酒をやりすぎた事もあり心地よい疲れを覚えながら地下鉄でウトウト帰途へ。 

孫達はこの寒い中、水上バスに乗って帰ったそうだ。

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Day 036

2005年12月21日 14時49分44秒 | 航海日誌
第36日目(6月25日)
明日はスペインのバルセロナなので上陸説明会が行なわれた。
ガウディーの建物をじっくり見てみたい。
たった一日の上陸なので明日は忙しそうだ。

船上碁会所でヘボ碁。
夕食後、ブロードウエィ・ショーラウンジで「マジック&トークショー」。
隣の座席の明日一緒にバルセロナの町を歩こうと約束していたMK御夫妻が
バルセロナでフラメンコを是非観たいと言い出した。

早速、船から電話で予約を試みたがスペイン語で話しが中々通じない。
漸く英語を話せる人が電話口に出て来てくれた。
観光立国としてはどうなっているのだろう。
結局ホテル滞在とか身元がはっきりしていないと予約は受け付けられないとの事。
船からの予約はプカプカ浮いていて身元がはっきりしないらしく予約不可。
バルセロナに着いたら先ず一番にフラメンコのレストランへ予約金を払い込まねば。



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帰郷

2005年12月19日 21時53分16秒 | 家族行事
今日は今年最後の田舎行きだ。
90歳で静岡の病院に入院している義母の御見舞いと我が家の墓参り。

朝7時半ごろ愛車で出発。
田舎に車で行く時は何時もの事だが朝食は海老名サービス・エリアでとる事にしている。
今日の東名は名神が大雪で麻痺している為か、以外に通行車両が少ない感じだ。
風もあり少し寒いが青空の良い天気だ。
富士山がとっても綺麗に見える。
休憩の為、立ち寄った富士サービス・エリアで、親しくしているT夫人に
偶然バッタリお遭いしたのには驚いた。こんな事ってあるんだなあ!

東名を静岡インターで降り丸子の丁子屋でとろろ汁の昼食。

丁子屋は広重の浮世絵にも「鞠子の宿」として描かれており萱葺き屋根で
中々風情が有る。
座敷もあるが小生は囲炉裏端でお酒を飲みながらとろろ汁を頂くのが好きだ。
田舎へ行くときは何時も立ち寄る事にしている。
また売店で金山寺味噌を買うのも楽しみの一つだ。

家内の実家に立ち寄り少し雑談の後、我が家のお墓参り。
風もあり大変寒かったが墓参出来なかった人達の分の御線香も上げて来た。

病院の義母はこの間、御見舞いした時より元気そうで良かった。
10分程で病室を退出、下の控え室で帰りのドライブに備え暫しの居眠り。
その間、家内は義母とズーットお話しをしていた。
良い御見舞いになったと思う。

帰り道、完全な「赤富士」ではないが少し赤みがかった富士が
清水辺りから富士川辺りまで眺められ印象的なドライブとなった。

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Day 035

2005年12月18日 02時47分44秒 | 航海日誌
第35日(6月24日)
朝、右舷に海豚の群れ。

船内の友達に日本でベストセラーになっている小説「ダビンチ・コード」を
貸す約束をし、そろそろ下巻の催促が来そうだと、
この間から気になっている。
エジプト、ギリシャ、イタリアと上陸が続いたと言う事も言い訳にならない。
本日中には読了しよう。

何故ダビンチ・コードが面白いのか判らぬ。
聖杯伝説と大げさな出だしだが、余りにもストーリーが御都合主義。
何か事件解決の伏線かなと思っていたら、そのまま立ち消え。
ストーリーに引き込まれる、ワクワクするような気持ちが起こらないので、
読む速度も上がらない。
フレデリック・フォーサイス並の小説を期待していたが期待外れであった。

読書に疲れプロムナード・デッキを散歩。


船首の方のオープンデッキでは船客の若者がバスケットボールに興じている。乗客は千人ちょっと、その内 30歳前後の若者は300人位だろうか。
おかげで船内は何時も華やいだ雰囲気だ。

夜 図書館でカール・セーガンのコスモス」「上下2冊を借り出す。
海を眺めながら地球の歴史、宇宙の創造を知りたいと思う。

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結婚記念日

2005年12月16日 18時08分39秒 | 家族行事
今日12月16日は何回目かの結婚記念日。
ランチをワインで有名な麻布の「セパージュ」で。
昼間なのでワインは辛口の白、よく冷えたブルゴーニュはマコネのプイイ・フュイッセで乾杯。
メインはフランスはナントの鴨、大変な美味。
最後のエスプレッソまでサービスの行き届いた楽しいランチ。
ランチ・メニューなのでお値段もモアー・ザン・リーゾンブル。

隣のテーブルで元外務省の北朝鮮交渉で有名だった田中均さんがランチを
とっていたがジロジロ見ない様にしていた。

食後 有栖川公園や麻布界隈を散歩。
クリスマス気分も大分盛り上がってきている。


最後にスーパーのナショナルでファイア・クラッカー、七面鳥、
クランベリイ・ソース等を求めた。
24日に子供達家族を集めてクリスマ・パーティーの真似事をする積もりだ。


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安藤日出武

2005年12月14日 15時25分30秒 | 陶芸
師走になり御歳暮のシーズンとなった。
御目当は 岐阜多治見の陶工 安藤日出武さんからの贈り物だ。
年2回夏冬のこの時期になると心待ちに楽しみにしている。
今年も本日 多治見より宅配便で届けられた。

鼠志野椿紋様深鉢(直径20センチ)
鼠志野八角湯呑椿の季節に使ってみたい。

安藤日出武さんとは15年ぐらいのお付き合いで
多治見の工房、窯に何度かお尋ねして親しくさせて頂いている。

今年の初めに日本橋三越で「安藤日出武 作陶展」を開催された時
小生の古希の記念に家内が「古美濃大鉢」を購入。
それ以外にも先生の作品は沢山あり、日々折々、食卓の上で楽しまさせて頂いている。

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