A Slow Life of Mister Masuda

定年退職後のスローライフを公開!

(25)薬局

2007年11月30日 17時36分04秒 | 地中海紀行
(10月24日  続き)

教会の出口は修道院跡の入口に通じている。
当時そこに住んでいた修道士達の住まい・生活は質素だが
図書館などは大変充実していた。

修道士達は御互いに御喋りする事は制限されており
寡黙に日々の仕事・勉学に勤しんだとの事。



修道士達は最新の書物も読め勉強家が多かったそうだ。
従ってその当時の修道院は天文学・数学・医学・薬学など
科学的にも大変進んでいた場所だったそうだ。

薬草の栽培をしていたし修道院内の薬局の充実は当時としてはトップクラス。
近隣の病気の人達を診察し薬を処方し高度の治療を施していたと云われる。
現代で云えば総合病院だったのだろう。
利益もあがり修道院経営上でも重要な部門だったそうだ。

薬局の入口のサインは陶板の絵タイル。



薬局内部は昔のままに保存されている。





しかしその薬局で汚職トラブルがあり修道院は廃止されてしまった。

マジョルカ島にやってきたショパンは結核を病んでいたので
薬局があると云う理由で貸しマンションになっていた修道院跡に
ジョルジュ・サンドと共に住んでいたということらしい。

記念に薬局入口の陶板画の様な雰囲気の絵が描いてあるマジョルカ焼の長壷をゲット。




そして孫達には地元のオリーブの木で作ったピアノ型のオルゴールの
宝石箱をお土産にゲット。
曲は何故か「別れの曲」一曲だけでノー・チョイス。







(24)チャペル

2007年11月29日 21時46分48秒 | 地中海紀行
(10月24日  続き)

ショパンとジョルジュ・サンドが住んだマジョルカは小さな小島を想像していたが
島の面積は埼玉県と同じ、人口は80万人。

島の産業は観光業、サービス業、農業、革製品・摸造真珠
などの軽工業、漁業の順である。
ミスターマスダは旅の記念にマジョルカ焼きの陶器を
何とかゲットしたいと狙っている。

またマジョルカはマヨネーズ発祥の地とガイドさんが言っていたが本当かな?
昔キューピーマヨネーズの人が技術習得に来ていたとの説明あり。
俄かには信じ難い話だ。

車は山道に差し掛かりアーモンド、オリーブ畑を通り過ぎると
港から60分 山腹に目的地「バルデモッサ村」の集落が見えてきた。



本日のハイライトはショパンとジョジュル・サンドが住んだ修道院跡の見学だ。


修道院跡と云うか元修道院には今でも村の人が通う教会がある。
ゴツゴツした石造りの立派な建物だ。



観光地にもなっており近くには御土産屋が沢山ある。

教会の入口には「バルデモッサ」の名がある。



内部は荘厳な雰囲気だ。
祭壇正面には画家の名前は不詳だが「ピエタ」が描かれている。



チャペルの天井のフレスコ画が目を引いた。
フラスコ画はゴヤの義弟のミゲル・バコエの手によるもの。



また所々にある陶板も面白い。

外は小雨 修道院跡のチャペル内は少しヒンヤリしている。












(23)マジョルカ島マルタ港へ入港

2007年11月28日 21時02分15秒 | 地中海紀行
10月24日(水)

朝7時雨のなかマジョルカ島マルタ港に入港。

我々に続きまだ明けやらぬ朝靄のなか
日本丸ぐらいの大きさの大型帆船が後を追うように入港。
ミスターマスダはヨット・キチなのでどうしても船の写真が多くなってしまう。



船名シークラウド。

この港は客船とヨットが同居している。



物凄いヨットの数だ。特に大型ヨットが多い。
地中海ヨーロッパ側のリゾートのヨット繋船料が高くなったので
繋船料の安いマルタ港に移ってきたヨットもあるらしい。
しかし流石は地中海沿岸、日本の10倍位のヨット・ハーバーが何処に行ってもある。



地中海は干満の差が10センチでジブラルタル海峡を通じて大西洋の海水と
入れ替わるのに100年掛かる計算だそうだ。
従って海を汚すと100年綺麗にならない。
沿岸各都市は海洋汚染には神経質になっている。

朝食後 観光に出発するまで皆で昨日のバルセロナの行動、
カジノの成果などお互いに報告しあう。

今日の目的地はショパンとジョルジュ・サンドが住んだ修道院跡の見学。

超大ヨットハーバー沿いに延々と行き



途中船上からも見えたパロマ大聖堂(カセドラル)を見物。
ガイドさんが教えてくれた。
教会の大きさの順位はカセドラルが一番でバシリカ、イグレシア、パローキアと
位も大きさも下がってゆくとのこと。

パローキアは人の集まる所の意で、修道院はこれに属するそうだ。



観光バスは山道にかかって来た。
間もなく修道院跡だ。




セントメイ ゴルフ

2007年11月25日 16時23分47秒 | ゴルフ
11月24日(土)

今日は夏より延期になっていたヨット仲間によるセントメイ ゴルフ大会。
昨日の寒さとうって変わり小春日和、絶好の「ゴルフ日和」。
ヨット仲間の中に日頃の行いの良い人が居たのだろう。

ゴルフ仲間のIJさんがご近所ののゴルフ友達を集めて参加してくれたので
ヨット関係者11名,賛助参加者8名合計19名。

元美少女も8名参加。
海外旅行好きで二子玉川の「兼高かおる」と言われている
IJ夫人は風邪で欠席、一同残念がることしきり。

会場はエンゼルカントリー 送迎バス、ワンドリンク付きランチ、
ワンドリンク付きパーティー、森永のお菓子の詰め合わせのお土産付き。

送迎バスはIJ邸でIJさんのゴルフ友達が乗り込みJR鶴見駅へ。
そこでセントメイのヨット仲間が合流。



バスの中はIJさんの計らいで既に飲み物が配られ陽気に盛り上がっている。
我々も直ぐにそれに同調。
IJさんが自分の畑で採れた「八つ頭」「ヤーコン?」を煮込んだ”おつまみ”も出回る。
これからゴルフをしようとするスポーツマンの態度か。

バスは大黒より高速に。
東京湾アクアラインに入ったとたんに「海ホタル」でトイレ休憩。
ビールの飲みすぎだ!
流石にカラオケはまだ早いらしい。

エンゼルカントリーには9時前に到着。
結構プレー客で混んでいる。
ゴルフ場の経営努力の賜物か。
プレーフィーは確かにお安いがこれだけプレー客が多ければ
ゴルフ場の経営も少しは上向くだろう。

スタートの10時までロビーで寛ぐ。
練習場は無料だそうだが今更練習と言う人は居ない。
旧交を温めあうのに忙しい。

我々は5組でプレー。
ミスターマスダはミセス、元会社の同僚FKさんOG嬢のフォーサム。
もうゴルフ場は紅葉だ。
皆さんカートに乗り勇躍ゴルフコースへ。



「もみじ」も良いが柿とか桜の葉っぱが赤く色付いているのは風情があって好きだ。
黄色い銀杏もアクセントになって秋の風景を引き締めている。







最終18ホール目は薄暮。
5時前なのに薄暗く電灯でグリーンてらしてくれている。
昔若いときワンラウンド半やっていた時以来の経験だ。

お風呂にゆっくり入ってからパーティ。
家に帰っても夕食はないのでパーティーでしっかり腹ごしらえ。

表彰式は御互いに持ち寄った賞品を優勝者から
順番に好きなものを取ってゆく。
お土産 交換会の様なものか。
ミスターマスダは91で7位。因みにミセスマスダは5位。
ミスターはドライバーの飛距離に難があるので
賞品はゴルフボール「トブンダ非公認球」1ダースをゲット。

帰りのバスの中もパーティの盛り上がりの余韻が続いている。





(22)クラブ・コンコルディア

2007年11月24日 14時44分27秒 | 地中海紀行
(10月23日  続き)

船はマジョルカに向けて航行中。

夕食はいつものツアー仲間と同席の「ミラノ・レストラン」ではなく
「コンコルディア・クラブ・レストラン」へ。

この船には、3500人の食事に対応するべく、
「ミラノ・レストラン」 「ローマ・レストラン」 いずれも700人収容、
ファースト・シッティング、セカンドシティングとあるほか
一日中オープンしているブュッフェ・スタイルのレストランやカフェが数多くある。

「コンコルディア・クラブ・レストラン」及び「サムサラ・レストラン」の二箇所は、
20ユーローのカヴァーチャージを取り、より優雅な雰囲気の中で、
スペシャル・メニューの夕食のサーヴィスを提供している。
たまには雰囲気を変えよう。



モッツァレラ・チーズの前菜がよく冷えたソアーベによくあう。



テーブルからオープンキッチンが見える。

主采はスペインのイベリコ豚。



主采が終わったところでコンプリメントのシャンパン

ところ変われば品変わる、
変なタイミングで出てくるものだ。

予定外にミセスマスダの分まで2杯飲んで酩酊。

ドルチェはチーズスフレ





仲間達と別れ二人だけの静かな夕食だった。

食事後テアトルアテネのショーを覘く。



10月23日はこれで終わり。




(21)さらば バルセロナ

2007年11月24日 12時56分32秒 | 地中海紀行
(10月23日  続き)

美術館見学から帰船。
そろそろ出港だがキャビンのベランダから見ていると
我々の船の前を色々な船が通り過ぎてゆく。

モーターボートを積んだ貨物船。



カーフェリー



観光船が見物にも来た。



ちっぽけなダブル・スカルが行く。




朝停泊していたP&Oのアルカデア号も
デッキに鈴なりの乗客が手を振りながら出て行く。




我がコスタ・コンコルディア号も,追いかけるように薄暮の中 
マジョルカに向け出港。




(20)ピカソ美術館

2007年11月23日 12時38分08秒 | 地中海紀行
(10月23日  続き)


ミロ美術館よりタクシーで「ピカソ美術館」へ。
市内ゴシック地区の細い路の奥にあり
歩いては中々捜せない場所に美術館はある。

今回のように時間に制限のある場合はタクシーで正解だった。


パリのピカソ美術館はピカソの住居をそのまま美術館にしているが、
バルセロナは、昔の宮殿を美術館にしたそうで、ごつごつした凄い建物だ。




コレクションはピカソ15歳ごろの確りとしたデッサン力をもった作品群がよい。
昔NYのMOMAでピカソ大回顧展を見たがそれらである。
ベラスケスが描いている「ラス・メニーナス」に画想を得て描いた
一連のシリーズは見ものであった。



確かにフェリペ四世の皇女マルゲリータに似ている





(参考 ベラスケス 「ラス・メニーナス」)






なお此処カタルーニア地方の英雄は「3人のパブロ」と言われ
パブロ・ピカソのほか音楽家のパブロ・カザルス、
政治家のパブロ・イグレシアスである。

帰りの車の中より2年前にバルセロナを訪れた時と同じ景色を見て大いに満足。
無事帰船。




(19)ミロ美術館

2007年11月22日 21時20分50秒 | 地中海紀行
(10月23日  続き)

船内で昼食を早めに済ませて上陸。
バルセロナには有名な美術館が二つある。
薄暗いゴシック地区にあるピカソ美術館。
そして、忘れてならないのがモンジュイックの丘に建つジョアン・ミロの美術館。

まずモンジュイックの丘の「ミロ美術館」。
ミロ美術館の入口でミロも彫刻と記念撮影するミスターマスダ。



ここではミロの作品を見ることができる他に
若手アーティストの作品展を積極的に行っている。
天気のいい日はカフェのテラスでのんびりとするのも格別。
贅沢な時間と空間を楽しむことができる。

まず入り口正面の超大型タペストリーに圧倒される。
幅6メートル 高さ9メートルぐらい。

1979年



修行時代から爛熟期まで彫刻も含め展示されている。
ミロは歳を重ねる毎に若々しい画になって行くようだ。

1926年


1940年


1968年



建物の屋上にも出られるようになっている。
運がよく天気に恵まれれば、ミロのカラフルな作品と真っ白な空間、
バルセロナの青い空の色の競演を楽しむことができる。

ミロ美術館のあるモンジュイックの丘の上から
街に帰るにはロープウエーがある。
空からバルセロナの街が俯瞰出来るし少し魅力的。

そちらのほうへ歩いてゆくと偶々タクシーが来た。
時間の節約もありロープウエーを諦めタクシーでピカソ美術館へ。
結果においてこれは正解だった。







(18)バルセロナ入港

2007年11月21日 20時34分29秒 | 地中海紀行
(10月23日  続き)

我が船はもうスペイン沖であろうか
キャビンに帰りベランダ゙から陸地を遠望しながら過ごす。
我々のキャビンはスタボード側(船の右側)なので
船が地中海を左回りしている関係上、何時も陸地が見えている。
これも好いが、何一つ見えない海の中にポツンと言う感じがない。

もうバルセロナ沖だ。
漁船のお出迎え?



パイロットボートが近付いきた。
水先案内人が乗り込んでくる。



12時正午 我が「コスタ・コンコルディア号」はバルセロナ港に接岸。
見慣れた丘の上の砦が見える。



バルセロナ港には先客がいる。
P&Oの「アルカディア号」
容が新しいので二代目だろう。
先代のアルカディアはその昔、
シドニー港で「いつかは乗ってみたい」と憧れを持って眺めたものだ。



陸を眺めていると我々も眺められていた。
観光船が我々の船を見学に来た。



昼食を早めに済ませて上陸。
まずモンジュイックの丘の「ミロ美術館」へ。




(17)ブレックファースト

2007年11月20日 18時22分05秒 | 地中海紀行
(10月23日  続き)

日の出を拝んだ後 上部甲板のお散歩と洒落込んだ。



ミスターマスダが首に掛けている紐はICカード。
キャビンのキーから乗下船管理そして船内の買物。
勤め人時代にICカードを首にぶら下げたことがないので
一度やってみたかった。
ちょっといい気分だ。


上部甲板にはプールもあるが螺旋のウオータースライドもある。



子供達はもうゲームで遊び始めている。



自動車のシミュレーターもある。
実際ガタガタ揺れて本物そっくりなので大人たちにも人気がある。



キャビンに戻り一杯きこし召してから今朝は時間の余裕があるから
ミラノ・レストランで本格朝食。

ポーチド・エッグはハム抜きのエッグベネディクトのようで大満足。
ヘリングは焼いてあって辛口の塩鮭のようでイマイチ。






紅葉狩り

2007年11月18日 22時17分21秒 | 家族行事
「紅葉狩り」(1~5)

1 1月15日~16日

35年来の友人SG御夫妻が秋の「秩父」に誘ってくれた。
SG御夫妻の三男のE君がデザインし長男のY君が建てた山荘に泊って
その近所を散策しようと言う計画だ。
ミスターマスダの前立腺癌の全快祝いの意味もあるらしい。

SG御夫妻は前日より山荘に泊まりこみ前準備をしてくれている。
御夫妻は西武秩父駅までで迎えに出てくれる。
我々は池袋からレッドアロー号なので前もってインターネットで座席予約。

池袋に向かうJRの車内でインドの好青年に席を譲られる。
有り難く席を頂き彼が下車する新宿まで四方山話。
最近は時々若い人に座席を譲ってもらう事が多くなった。
年寄りだと顔に書いてあるのだろうか、有り難いようで情けない。

レッドアロー号は「西武秩父」に近付く。
三菱セメントの工場が見えてくる。秩父の大企業なのだろう。

12時38分に「西武秩父」到着、SG御夫妻の出迎えを受ける。
何はともあれ昼食。SG御夫妻が捜しておいてくれた評判の蕎麦屋へ。
店は質素、価格も安いが美味しい。
“蕎麦がき”も旨かったが“蕎麦がきの唐揚げ”が秀逸。
蕎麦は二八で少し硬茹で。

近くに「鄙には稀なパン屋さん」ラパンノアール、
明日の朝食用にめいめいが好みのパンを買う。
ミスターマスダはブール。



西武秩父駅から徒歩8分の所に「秩父鉄道御花畑駅」がある。
休日・週末にはSL列車が運行される。
そこから三峰口行きに乗り一つ手前の駅「白久(シロク)」まで20分の乗車。
下車してなだらかな坂道を荒川の支流 谷津川に沿って徒歩10分、
少し薄暗くなった頃 山荘「白久の家」に到着。

山荘には立派なお風呂があるが近くに旅館”谷津川館”があり
近所の誼で温泉に入れてくれるという事で「貰い湯」に皆で出かける。

アルカリの良く温まる温泉だ。
旅館は掃除が行届いており結構泊り客も多い。
昔はこの辺り「月の輪熊」が出没したそうだが
大きな剥製が玄関で我々を出迎えてくれた。



受付にはスキャンダルで辞任した土屋埼玉県知事の
温故知新の書の額縁が飾られていた。

山荘への帰り道 三日月はともかく 
満天の星が都会では見られぬ綺麗さだ。

山荘では夕食が始まる。
イタリヤから持参したソーセージや
パルミジャーノレジャーノやゴルゴンゾーラがおつまみ。
メインは「すき焼き」 SG家は今半の「割りした」を使っている。
贅沢だ。
すき焼きにボジョレーヌーボーは中々のもの。
本日はボジョレーヌーボーの解禁日。
今年のボジョレーヌーボーは芳醇で新酒らしからぬ味わいだ。
食事が終ってもお喋りは続く。
気が付けば夜中の1時半 慌ててお布団へ。
床暖房だそうで暖かい。
良い睡眠がとれそうだ。


一夜明けて11月16日 
山の朝はひんやりしている。

建築デザイナーE君の設計はユニーク
卒業記念に設計した図面の内の一つで今回具体的にそれを実際に建築したのだ。
ログハウスとモダンハウスのコラボレーションだ。
もしE君が将来名を成したらこの建築は彼の記念碑的な建物に成るだろう。
太い丸太を組み山の中でも充分自己主張している。

左側が来客用アネックス右側は山荘で
二つの建物の間に板張りのデッキの中庭。



ここが玄関、近くの温泉客が喫茶店と間違って入って来たのには驚いた。



暖房は床暖房と薪のストーブ。
壁が塗り壁なので暖房効果は良好。



続く・・・



紅葉狩り2

2007年11月18日 21時51分35秒 | 家族行事
山荘の中二階のスタディよりの俯瞰。
建物そのものは長方形だが丸太の壁の間仕切りは平行ではなく斜め。
それに合わせる大工さんや建具ヤさんは御苦労した事だろう。



台所のテーブルは一枚板の造り付け。
IHヒーターも組み込んである。



ラウンジでミスターマスダはウトウト。



横を流れる川を借景。
せせらぎの音も心地よい。



山荘の周りは紅葉真っ盛り。



続く


紅葉狩り3

2007年11月18日 20時07分32秒 | 家族行事
朝食後SG夫人が部屋の跡片付けをしている間に
近くの秩父札所30番法雲寺を参拝に。
焼失して現在は「観音堂のみ残っている。
御本尊は如意輪観音 唐の玄宗皇帝が戦場で
楊貴妃を偲んで作ったと伝えられている。
境内は紅葉真っ盛り。





何処かのツアーガイドがお祈りを上げている。
色々な家の名前を言ってから家内安全とか
入学祈願とかメモを見ながら唱えている。
お客に頼まれ代理参拝しているらしい。
お客さんは下の旅館で朝湯なのかな?
紅葉を見ながら清々しい気分でお参りすればご利益も倍増するのに。

12時ごろタクシーが来て秩父観光に出発。
荒川に沿って上流に上ってゆく。






眼前の山の向こう側は「御巣鷹山」だそうだ。



続く