A Slow Life of Mister Masuda

定年退職後のスローライフを公開!

(その8)自宅療養 完

2007年07月30日 18時29分13秒 | 前立腺癌
長い間 弊ブログ「前立腺癌」を御覧頂き有難う御座いました。
今日で一応ひとまず終りにしたいと思います



退院時 まだくっ付ききっていない手術跡 1センチぐらいの傷跡に
ガーゼ その上に防水絆創膏の様な物を貼ってくれたので
帰宅してもシャワーを浴びる事が出来た。


ガーゼの取り換えは自分でやっても良いのだが
近所のS病院の外科で消毒・ガーゼの取替えをやってもらう事にした。

3度ほどS病院に通い目出度くガーゼも取れた。
おかげで毎日シャワーを浴びる事が出来ハッピー。

手術の傷は治ったが手術の合併症と云うか後遺症は
ミスターマスダの予想に反して中々キビシイ。

心配された「尿漏れ」は無いが
下腹部の違和感は気に掛かる。
膀胱の尿の保有量が少なくなり
溜まると違和感が強くなり多少の痛みすら感じる。

「尿漏れ」は無かったが我が家の床下の水道管に
「水漏れ」が発生 

修繕が出来るまで二日ほど水が自由に使えなかった。
ミスターマスダは後遺症でトイレの頻度が多くなっている為 
少し難渋した。

7月28日(土)
下腹部の違和感は依然として続くが気分転換のためヨットハーバーへ。
ヨット仲間がヨットの整備を行っている。



ミスターマスダの元気な姿を見て皆が喜んでくれた。

ヨットのトイレを電動式に改造した。
ヨット仲間がミスターマスダが使う前に使ってはと
気を使っていたので早速「使い初め」を行なって来た。
クルーも歳をとって来たので落水の危険を避ける為にも
今後 甲板よりのトイレは禁止しなければ。


7月30日に退院後初めての診察がある。
現在の症状をよく小松医師に説明し
異常なのか当たり前なのか聞いて来なければならない。

本日30日久し振りに虎ノ門の小松医師の診察を受ける。
切り取った前立腺の病理検査の結果の説明を受ける。
癌がリンパ線にも転移していたが完全に除去されているとのこと。
手術成功でホットする。
引き続きHDの三條医師にも報告「違和感は当分は我慢せい」と
同じような話 命には関係なさそうだ。

下腹部の違和感については「二ヶ月 人によっては二年続く」と軽く云われ
我慢できないほどでもないので気長に我慢するしかないか。


帰りにデパートでお買物、
昼食は「アルポルト」でイタリアン。
トスカーナの赤ワインを飲んだかピンと来ない。
悪いワインなのか、病気でミスターマスダの舌が狂ってしまったのか心配。
もう少し良いワインを飲んで舌・喉をチェックする必要がある。

最後に御参考までに今回入院に掛かった料金を公開する。
虎ノ門病院からの14日間の入院代の請求書は

30%負担で手術・治療代は 8万円
差額ベッド代は        68万円
食事代は             1万円
合計               77万円

大きな出費は差額ベッド代だ。

弊ブログ閲覧者の皆々様 くれぐれも健康には御気を付け下さい。
何時までもお元気で。
御閲覧有難う御座いました。



(その7)退院

2007年07月26日 19時14分20秒 | 前立腺癌
7月14日(土)
今日は「パリー祭」と言うより「巴里祭」と言うべきか。
看護婦さんと話したが「巴里祭」を知っている人は一人もいなかった。
かえってこちらが変なことを言う患者と思われたかも。

看護婦は一日三交替だが12人ぐらいの看護婦が交代で来てくれるので
最後まで名前を覚えられなかった。

少しずつ良くなってきている様だが術後の後遺症か
依然として下腹部に違和感が続いている。
昨夜も3時間おきにトイレへ行った。

朝のテレビ 台風報道 沖縄・九州の人達はお気の毒だ。
明日は4号が関東にも接近。
退院するなら今日の方が良いんだけど。
週末なので朝の回診も遅め。
11時ごろとなる。
傷口も大体良さそう。
上部1センチほど傷のくっ付きがが悪い。


それが理由か まだシャワーの許可が出ない。
明日の朝の回診で退院決定が出る予定。
 
夕方 家内と長男が訪ねて来たので
外出許可を取り夕食は街でとることに。
「たいめいけん」で温かいボルシチと大正海老の海老フライ。



病院の食事もまずくはないが特に「汁もの」が「温かいものは温かく、
冷たいものは冷たく」と言うメリハリに欠ける。

食後のコーヒーは場所を変えて「illy イリー」。
長男お勧めの「マキアート」を頂く。



病院に帰ると多数の看護婦さんがお帰り 食事は美味しかった?
と声を掛けてくれる。
外出は皆に知れ渡っているらしい。

テレビで巨人広島戦2-8  巨人の後半守備の乱れ 
黒田投手100勝達成
中日は雨で休み。

テレビで 世界不思議発見
退屈してきた



7月15日(日)
手術後 10日経った。
そろそろ退院なのだが縫合部分がまだ完全でなく明日退院が決まった。
シャワーもOKになったので病室でテレビ・DVD三昧で過ごすことにした。

松坂君が登板 ヨタヨタしながら11勝目。
DVDのゴッドファーザーはパート3まで全編観賞の予定。

7月16日(月)
今日は「海の日 記念日」
朝 医師の一人より「退院」の内示があった。
回診前に小松医師に面接 退院の挨拶。
退院前の最後の回診 正式に退院の許可を告げられる。


退院の為病室を片付けていると グラグラと来た。
あとから知ったが新潟 中越沖地震だ。

虎ノ門病院の5階は 結構揺れる。
テレビ報道を見ると新潟はえらい事になっている。

帰宅。ホットする。
テレビが地震の被害を伝えている。
大災害だ。
現地は大変だしお気の毒だ。

明日から気ままな自宅療養となるはずだ。
散歩が出来るようになるまで
当分はテレビ三昧か。
矢張りテレビは大画面・充分な音量でなければ。
病院では個室とは言え大きな音は出せない。
それに14インチは小さすぎる。

自宅に帰って下腹部の違和感は続いている。
焦る事はない。
気長に病気と付き合わねば。




(その6)入院生活後半

2007年07月26日 09時14分41秒 | 前立腺癌
7月11日(水)
朝の回診で明日抜糸と告げられる。

泌尿器科の病棟には現在55名の患者が入院中。
26名の看護師が看護にあたっている。
平常は8名夜中は2名のシフト。

管理目標もあるらしい。
入院日数 17日
ベッド利用率 90%
現在目標値より少し良いらしい。

「日にち薬」と云うらしい。時間が経てば良くなってくる。
体もそんなに動かせないしテレビが時間潰しに一番だ。


イチローのオールスター史上は初のランニングホーマー
(インサイドパークホームランと言うらしい)で逆転。

ナショナルリーグ ドジャース斉藤も7回表3者凡退にピシャリと抑える。
斉藤はロスにいる孫息子が学校でドジャースを応援に行った時 
握手してもらったと喜んでいたそうだ。

岡島はブルペンのウオーミングアップだけで登板機会なし。
しかし日本人3選手全員テレビで見れて満足。

終盤まで波乱なく進みイチローがMVPになれる事を願いつつ観戦。
9回裏2アウトから少し危なかったが辛うじてアメリカンの逃げ切り。
アメリカン 5  ナショナル 4
最後のワンアウトを取るのが難しい。
良い試合だった。
イチローのMVPは当然。

風呂に入れぬので看護婦に体を拭いてもらう。

午後ゴルフ仲間のEGさんKMさんのお見舞いを受ける。
同僚の病気の話 最近のゴルフの調子など
典型的な老人の話に花が咲く。

7月12日(木)
今日は家内の何回目かの誕生日。
濃いピンクのカラーにモンステラをあしらった花を持って現われた。
綺麗な花だ。

朝一番で採血 続いて朝の回診。
病室ベッドの上で抜糸と言ってもホッチキスを20個ほど取り外す。
切れ口は14センチ位か。


午後2時原はレントゲン室で造影剤注入による
膀胱と尿管の縫合箇所のチェック。
漏れなしを確認後に尿管からビニール管を抜く。
蘇えったような気持ちだ。


家内からワイン抜きのバタールとロックフォールの差し入れあり。
食べ過ぎたので夕食は控え目になろう。

夜SGさんよりお見舞いの電話あり。
明日午後病院に見舞いに来るとのこと。
久し振りの再会が楽しみだ。

尿管からビニール管を外したがどうも膀胱の収まりが悪い。
時間が経てば段々回復するだろう。

もう一つの合併症 尿漏れは無いようだ。
これは大変ラッキーな事だそうだ。


7月13日(金)
昨夜は2時間おきにトイレに起きた。
一回の量は100から150CC。
膀胱に尿を溜める能力が極端に低下しているようだ。
お陰で寝不足。
今朝の寝起きは少し眠たい。

回診では順調な回復と云われているが下腹部不快感がたまらない。 

午後最後に残っているドレーンのビニール管を抜く処置をすると告げられる。

今朝は散歩を取りやめ病室で過ごす。
衛星テレビでN響によるアシュケナージの
ベートーベンの「田園」と「交響曲第7番」を聴く。



個室なので多少音量を上げて楽しむことが出来た。

最後のビニール管 ドレーンが取り外された。
全ての管が取り外されているが 
まだ管が体についている感じで動作がぎこちない。

体に付いているビニール管が無くなったので
早速浴衣からポロシャツ・ズボンに着替える。
気分転換に無断外出で病院の周りを散歩。

そうこうしている間にSMさんが病室にやってくる
午後五時半まで四方山話。
SMさんとはシドニー時代から40年らいの付き合いだが
お酒を飲まずに3時間半も一緒に過ごしたのは初めて。

今日は株も良かった。
254円上げで1万8千円の大台乗せで今週も終わり。

テレビを見る。
巨人がもたついているのにドラゴンズが不甲斐無い。
首位奪還のタイミングなのに。

今夜はUAEのサッカー 夜更かしになるなあ。
勝って良かった。
オシムもご機嫌が直ったようだ。

週末には退院出来そうな感触を夜の回診の医師より得る。


(その5)入院生活前半

2007年07月25日 19時13分31秒 | 前立腺癌
7月6日(金)
手術後 一夜明け回復室より自分の病室に戻ってくる。
短い時間だが住みなれた我が部屋 落ち着く。

看護婦の検温・血圧測定で病院の朝は始まる。
続いて6人ぐらいの医師による朝の回診。

そして二人組の医師による傷口チェック。
ガーゼを取り外し傷口を消毒 新しいガーゼを貼るだけ。
薬もつけず今後は自己治癒力で治す事になる。

傷口を合わせ鏡で見せて貰うと下腹部 縦に14センチぐらいの切り傷。
内部は溶けてしまう糸で縫っているそうだが表面は切り傷が
なるべく綺麗につながるようホッチクスで留めてある。
ホッチキスが規則正しくならんでいる様は
YKKジッパー(チャックとも云う)のようだ。


手術後 体には現在5本の管が入っている。
抗生物質注入用
点滴用
尿排出用
痛み止め剤注入用
ドレーン排出用
の5本である。

それにエコノミー症候群を防ぐ為両足ふくらはぎに
自動マッサージ機のような器具が取り付けられている。

夕方抗生物質と点滴の2本を抜く。

病院の廊下の散歩と水を沢山飲むように医師から指示されている。
ビニール管の尿の色が濃くなると看護婦が
もっと水を飲むように注意してくる。


朝昼晩 食事は思ったより不味くない。
覚悟していたので結構美味しいお皿もある。
しかし全般的に薄味なのに驚く。

諦めているので晩酌無しでも気にならない。
アル中では無かったらしい。

ドレーンからは少量ながら体内から赤黒い液体が流れ出ている。
これが止まらなければいけないそうだ。
 
尿管にビニール管を挿し込み膀胱まで通じさせている。
膀胱と尿管が繋がったことが確認出来るまで抜けないらしい。
そのビニール管の端が膀胱の内壁を刺激して尿意をもよおさせる。
尿は垂れ流しに出ているので、出すものも無く非常に不快感が強い。
痛み止めの座薬を使う。

夜中に悪寒 歯がガタガタ震えがくる。
手術後 前回胆嚢炎手術の時と同じ。
看護婦を呼ぶ。
寝汗がひどい、下着を取り換えてもらう。

7月7日(土)
今日は七夕。
病院の外来はお休み。
 
手術は終ったし特に薬も服用していない。
自己治癒力で手術の傷跡を治す以外ない。
辛抱強く時間を過ごす事が肝心か。

しかし段々合併症というか膀胱・尿管の違和感・痛みが
強くなって不愉快極まりない。


病院正面入り口ホールで七夕コンサート。
気分転換に家内と聴きに行く。




結構大勢の患者がトークとキーボードの弾き語りを楽しんでいる。

夕食も七夕メニュー
豆御飯 鯛?の御吸い物 天麩羅 デラウエア。
勿論入院代とは別に食費代もとられている。



夜 東京タワーが オレンジ色の照明から夏用の涼しげな白い照明に
変わったのが病窓から眺められる。



7月8日(日)
長男家族が皆で見舞いに来てくれる。
孫達は元気、嫁は体調を少し崩しているらしく無理させてしまったのではないか。

入浴・シャワーの許可はまだ出ない。
看護婦に洗髪をしてもらう。


7月9日(月)
依然として膀胱。尿管の違和感・痛みが続いている。
痛み止めの座薬と誘眠剤をとり就寝。

7月10日(火)
昨夜のカタール戦は惜しいところで一点入れられ引き分けとは残念。
オシムの最高に機嫌の悪いゲーム後のインタビューが面白かった。
八つ当たりされたインタビュアーのアナウンサーは相当面食らっていた。
これから宿舎での反省会は揉める事だろう。

しっかり睡眠をとるべく睡眠薬を服用お陰で朝7時までクッスリ。

朝の回診の話 
「水をもっと飲むように廊下の散歩を怠たらずに」。
よほど重要な事らしい。

昼食には鮎の塩焼き。
天然ものではないだろうが中々美味しい。

OK夫人、末弟夫婦が見舞いに。
痛み止めの座薬のお陰で気分良く対応が出来た。

昨日は家内から中トロと長男よりプリンの差し入れ。
今日は大トロの握りと葡萄の差し入れあり。
 
あと二本残っている管はいつ抜けるのか。
そろそろ退院予定日を医師に聞いてみよう。

 



(その4)手術

2007年07月24日 19時11分28秒 | 前立腺癌
7月5日(木)
朝6時目が醒める。
看護婦が浣腸をして呉れる。
それから斎戒沐浴 心を清め身を洗う。
そして静かに手術室からの迎えを待つ。

8時過ぎ看護婦が迎えに来て2階の手術室に連れて行ってくれる。



今から死刑執行に行く気分だ。
手術室の入り口は患者と看護婦をその家族が囲んで
4・5のグループでごった返している。

見送りに来た家内と長男に別れを告げ手術室より迎えに来た看護婦に
導かれて中に入ると約12ぐらいの手術室が並んでいる。
相当奥の方の部屋がミスターマスダの手術室。

前回東京医科大学での胆嚢摘出手術では車椅子だったが、
今回は其処まで歩いて行く。

部屋に入ると小松医師以下 顔を知っている医師が6人、
麻酔医師他総勢10人ぐらいの人が にこやかに出迎えてくれる。

8時30分愈々手術開始アーメン。
ベッドに横になると点滴の管を付けられる。
横になって海老状に背中を丸めたところで腰に「腰推麻酔・硬膜外麻酔」の注射。
そこで下半身麻酔となるが睡眠薬を点滴に入れたらしい 何も判らなくなる。

手術後小松医師より手術の経過説明が家内と長男にあった。
摘出した前立腺を見せられ驚いたそうだ。
手術は予定の2時間より長引いたそうだ。
太っていることと骨盤が狭かったことが原因だそうだ。
看護師から聞いた話だが手術中「痛い」と言ったそうだ。
眠っていたので全然覚えていない。

お昼頃 5階のナースステーションの前の回復室に戻ってきたところで
目が覚めたが再び夕方まで眠った。


手術が終わったばっかりなのに夕食は普通の食事、ただし御飯だけは御粥。
胃腸・消化器系統は今回の手術と関係ないので正常の食事で良いそうだ。

殺風景な部屋にクレマチス。



手術が終ったのでミスターマスダの前立腺癌も一山越えた気分。
後はゆっくり術後の回復を待つばかり
明日から気楽な少し退屈な入院生活が待っているのだろう。
化膿止め・痛み止めの薬の所為だろう手術後の痛みも不快さも無い。
睡眠薬の効きも残っていたのだろう浅い眠りだが眠り続ける。
夜中じゅう看護婦が2時間おきに懐中電灯を持って見回りに来る。
御苦労様の事である。



(その3)入院

2007年07月23日 11時04分52秒 | 前立腺癌
7月3日
愈々入院の日。
何時もと変わらずの朝食。
オーバー・イージーの玉子焼きとベーコン、トースト、果物。
それに缶ビール一本。
家人よりの完璧な「アル中」と云う非難も多少気にしながら聞き流し
車を運転する予定がない限り毎食缶ビール一本相当のアルコール摂ることを
長年の習慣にしている。

午後2時入院
幸いなことに希望していた個室が取れた。
シャワー付バス ウオッシュレット付トイレ テーブルとソファー 勉強机 小型金庫 
冷蔵庫 テレビ 家具什器は安物だがベッドは背中と足の部分が電動で上下する。
ビジネスホテルより大分広々としており これから2週間 何とか我慢できるだろう。

病室担当の看護師さんが早速挨拶に来る。
三人の看護師さんがシフトで面倒看てくれるそうだ。

早速検温・血圧測定 そして採血。
お昼の飲み収めに少し多めに頂いたビールが検出されてしまう。

一段落すると看護婦さんが来て
手術そのもの以外の術前・術後の段取りの説明お受ける。
手術の執刀はは5日8時15分から2時間半の予定。
あさ6時の浣腸から始まる。

手術する医師団に一人の医師が来て
現在までの病歴・健康状態など色々聞いてゆく。

薬剤師が来て病歴・今服用している薬など聞きに来る。
 
小松医師がふらりと病室に現れる。
外来で看て頂いている先生だ。
虎ノ門病院の泌尿器科の診療責任者。
執刀医だ。

小松医師の著書“医療崩壊”を地下の売店で買って読み始める。



慈恵医大の前立腺癌の腹腔鏡手術で執刀医師が逮捕された医療裁判で
小松医師が検察に提出した意見書を素人に判り易く書き直したものだ。

小松医師とはもう何度もお会いしているのでその人となりは判っていたし
医療に対する考え方 フィロソフィーは承知している積りだった。

現代の医師には人間本来の寿命を延ばすような大それた能力は無い。
いくら「早期発見・早期治療」を心掛けても高齢になると次々に病が襲ってくる。
細胞分裂の回数が生物の種ごとに概ね決まっているからだ。
一定年齢を超えると生物は生命を維持出来なくなる。
健康に注意して早く手を打てば健康を保てると云う訳ではない。
死は不可避だ。
高齢者では病気が次々と出て来ますので健康管理に熱心になり過ぎると
「早期発見・早期治療」のみの余生になってしまう。
しかも最終的には失敗するので心理的にも辛いものがある。

「早期発見・早期治療」がしばしば無用な焦りを生む問題のある標語だと思っている。
賢い大人の行動指針とは思えない。
日本にも「無常観」という年月に磨かれた「死生観」がある。
「早期発見・早期治療」が どう云う場合に役立つか、
どうi云う場合に有害か冷静に判断すべき。

小松医師の本を読み進むうち先生の医療に対する真摯な真面目さが感じられ、
この先生なら信頼して
手術を御願い出来るという気持ちが強まったことは良かった。

麻酔科の医師がやってきた。腰椎麻酔・硬膜外麻酔をやるそうだ。
部分麻酔なのだが手術中の様子を知りたくもないし
気の弱いミスターマスダはそれに耐えられないだろう。
手術中は睡眠薬を一服盛って貰うことにして眠っている間にやってもらう事とした。
手術中は付き添ってくれているそうだ。

夕食後 主治医 村田医師ほか4人の医師団の回診を受ける。
執刀医はいつもお世話になっている小松先生だがこの医師団が
グループで手術を行うことになっている。

夜 テレビで何でも鑑定団、報道ステーションを観て就寝。

7月4日
午前7時起床と言うより目覚める。
今日はアメリカでは独立記念日。
ベッドでテレビを見ていると早速看護婦さんが検温に来る。

朝食後 9時ごろ 主治医 村田医師ほか4人の医師団の朝の回診を受ける。  

テレビを見始める。株は上値の重い展開。
レッドソックス松阪君が健闘8回まで0点に抑え10勝目。

11時 理髪師が来て手術部位の毛を剃ってゆく。
地下の床屋から来たのではなく体毛専門の理髪師だそうだ .
今日は手分けをして50人ぐらいの患者を剃るらしい。
と言うことは明日の手術は50人。

平均的にはこの病院への外来患者は一日当たり3000人。
手術は40から60人。
 
午後2時 看護婦さんが来て検温・検脈。血圧は少し高いそうだ。

少し暇になった。テレビで「日本アマ」の予選中継を観戦。
石川遥君苦戦 予選通過は2アンダー、ハーフが終わってイーブン。
15歳の青年は健気にプレッシャーをはねのけている。
トーナメントリーダーは9アンダーらしい。

午後5時家内立会いの下 手術室内での手順を手術室担当看護師より聞く。
あんまり詳しく聞かされたので実際に手術をしている気分だ。
詳しいのは有り難いことだが気分が滅入ってきた。

続いて小松医師から総括的なまた技術的な説明あわせて
合併症の可能性に関しても説明を受ける。

前立腺は膀胱の出口の下に付着しているクルミ大の臓器。
尿道が前立腺の中央部を貫いています。
下腹部に15センチ縦切開手術、前立腺と上部尿道の一部を摘除。
膀胱と尿道上部を縫合の予定。

合併症として尿漏れ、下腹部の違和感が多少続く。

手術・治療法等 診療行為同意書にも納得の上 署名。

明日は愈々手術だ。


(その2)摘出手術決定

2007年07月22日 19時08分51秒 | 前立腺癌
昨日久し振りに幣ブログ「前立腺癌」をアップしたところ
日本以外にアメリカやバングラディッシュからも昨日の幣ブログを読んで
「手術だったのか、よく療養するように」とのお見舞いのメールを頂いた。
外国にも幣ブログの読者が居て嬉しい。
「俺も前立腺癌適齢期 よくブログを読ませてもらうよ」と激励をも受けた。



5月23日 骨シンチグラフィーとMRIの検査の結果を虎ノ門小松医師に聞きに行く。
今回の検査の限りでは
骨転移はなし骨盤内リンパ節の腫大、前立腺被膜外への転移はなし
臨床病期Bになるそうだ。
何ら自覚症状は無いが癌と云うことでしょうがないなあ!

小松医師の話では
前立腺癌に対する治療方法は色々な選択肢があるとの事。
   
A)無治療経過観察   
 少し長生きする積もりなので、これは選べない。  

B)前立腺全摘除術
 早期前立腺癌の進行は遅いので根治手術は10-15年後の生存率を
 高める事を目的とする。
 75歳を超える人は手術の対象外。
 開腹手術腹腔鏡手術があり技術的には難しく執刀医の技量の良し悪しは大切。
 尿失禁が最大の合併症。

 「開腹手術」
 2時間半程度の手術。翌日より歩行・食事が可能。全身麻酔をせず下半身の麻酔も可能。
 器官内挿管をしなくて済むので色々なトラブルを防げます。
 「腹腔鏡手術」
 出血量が少なく術後の痛みが小さい事がメリットと言われているが
 開腹手術でもこの問題は解決されている。
 デメリットは手術の道具を入れる腹部の孔の位置が決まっている為、
 手術操作に大きな制限が加わる。
 また手を使ったような柔らかい操作が出来ません。
 どうしても開腹手術と同じような丁寧で精度の高い操作が出来ません。
 事故の可能性が開腹手術より大きくなります
 炭酸ガスでお腹を膨らますので全身麻酔も必要となります。

C)放射線治療
 「一般的な放射線治療」は前立腺に対する線量を増やし直腸に出来るだけかからぬように
 一人一人に個別的に計画を立て治療する。40日間の照射。
 最も進んでいる技術が「ガン研」のIMRT.
 新しい医療方法なのでまだ実績が少なく保険が利かない。
 時間はかかるが痛くなさそう。友人の何人かがこのIMRT診療を受けている。

D)内分泌療法
 薬で男性ホルモンの働きを抑える。
 ホルモン注射のことか。
 根治性がない事から臨床病期Bに対しては勧めない。

小松医師は治療方法の選択肢の説明の後 意外な事を言った。
どの治療方針を採るか患者自身で決めろ。
本でもインターネットでも情報が載っているので色々勉強しろ。
セカンドオピニオンを求めるなら、どんな資料も提供する。
このまま放置しても5年以内に前立腺癌で死ぬ事はまずない。
考える時間は十二分にある。

どうも小松医師の話から開腹手術かIMRTに絞られて来たかな
よく考えてみる事として虎ノ門病院を出る。
チョッと変わった医者だな 小松医師は。

まあHDの三條医師に相談にのってもらうか。
三條医師は虎ノ門の回復手術かガン研のIMRT放射線治療
どうも開腹手術のような感じだったが
小生は痛くなさそうな照射線を選んだ。


5月28日
虎ノ門の小松医師に「ガン研」へのIMRT放射線治療の紹介状を書いてもらう。

5月31日大塚から有明に移って来た「癌研究会」病院の
建物は大きく新しく綺麗。
係りの対応も親切。
医師の診察の前に尿・血液の採取・分析を待っている間に行い
テキパキ敏速・迅速で感じが良いし信頼が置けそう。

しかしながら残念な事に
「ガン研」IMRTは大人気というかウエイティングリスト。
治療開始は年末になりそう

待てない事も無いが臨床病期Bと診断された以上余り待たされたくない
開腹手術で早くスッキリしたい気分。

またまたHDの三條医師に相談。
虎ノ門でスッパと切りましょう。
取ってしまえば後は心配することは無いから。
小松医師は東大の後輩で腕は確かと
HDの三條医師も言ってくれたのでこれで決定。


6月13日
虎ノ門の小松医師に面談 「ガン研」を止めた理由を説明し
やっぱり開腹手術をお願いした。
手術日は7月3日入院7月5日手術と決定。
賽は投げられた!

6月21日
虎ノ門での前立腺癌の手術では輸血の必要があるほどの出血は予想されないが
万一に備えて副作用が殆どない自分の血を用意しておくのだそうだ。

自己採血は少し太めの注射針で手短に行われた。
しっかり朝の食事をしてくるように云われていたので
栄養タップリの力強い血が採れたことだろう。
400ccの血を採ったが体内の血液の一割になるそうだ。
血を抜いた後 同じ分量の生理食塩水を血管に注入して終わり。
着々と事態は手術に向かって進んでいる。
ルビコン河をもう渡ってしまったのだ。

昼食は六本木リッツ・カールトンのダイニングで友人御夫妻たちと
伊勢海老のパスタと鶉 ワインは今日一日は禁酒と
申し渡されていたのでグラスワイン一杯で我慢。




(その1)前立腺癌

2007年07月21日 19時02分20秒 | 前立腺癌
昨年秋ごろからホームドクターに
前立腺癌の疑いを指摘されていた。

色々紆余曲折があったが7月5日虎ノ門病院で前立腺癌の
摘出手術を行い7月16日退院することが出来た。

今までの経緯をこれから何回かに分けて
弊ブログでご紹介する。



昨年の春先よりホームドクター(HD)の三条医師より
マーカーによるPSA値に動きがある
当分観察が必要と言われる。

HD三条医師の薦めで虎ノ門病院の小松医師の診断を受ける。
小松医師の診断では
「前立腺癌は進行が遅いので少し様子を見ようとのこと。
前立腺癌ではほかの癌と違い早期発見・早期治療はない。
前立腺癌に罹っていてもそれに気付かず他の病で亡くなる人も多い。
前立腺癌を発見されない幸運と言うのもある。
暫くHDの三条医師の処で経過観察をして下さいとの事。

昨年の夏から秋にかけて前立腺癌の自覚症状も無いまま気ままの隠遁生活。
陶芸・ヨット・ゴルフ それに美術館とかランチなどのファミリービジネス。

年の暮れになり経過観察してもらっているHDの三条医師より
やっぱり専門医に診てもらおうと言われた。
その時PSA値は14になっていた。平常値は4以下と言う事らしい。

年が変わり今年1月15日 再び虎ノ門の小松医師の診断を受ける。
HDの三条医師からの連絡も入っており
「前立腺生検」で正確に調べる事となる。

前立腺の部分に針を刺し8箇所より検体を取り出し病理検査するものだ。
人により検査後 発熱する事があるので検査入院となる。

2月10日より南半球クルーズを計画して居たので
帰国後の4月13日の入院と決定。
13日の金曜日だが余り我儘も言えぬのでまあいいか。

前立腺癌の自覚症状が無いまま気楽な日々が過ぎて行き
4月13日(金)の検査入院日を迎えることになる。

南半球クルーズから帰国後 旅のストレスの為か
背中にヘルペスを患い往生したがそれも治り
4月13日(金)の虎ノ門病院の検査入院日を迎える。

午前中に入院 午後2時ごろから検査開始。
産婦人科の様な診察椅子に座って針先で8箇所ぐらいの検体を採取してゆく。
ブッス・ブッス・ブッスと針が刺されてゆく。
痛くは無いが何とも気持ちが悪い。
30分ぐらいで全てが終わり病室へ。



幸い夜中に発熱する事も無く次の日 長居は無用と早々に退院。

後日虎ノ門病院から請求書が送られて来たが部屋代2日分請求されたのには
アレ!と一瞬思った。
温泉なら一泊二日なのだが病院は一泊でも部屋を二日使ったという事。

4月25日虎ノ門の小松医師のところに検体の病理検査の結果を聞きに行く。
残念ながら前立腺癌が生検で証明されたと宣告される

そこで
骨転移を調べる為 骨シンチグラフィー検査
骨盤内リンパ節の腫大や癌が前立腺被膜内に留まっているかMRI検査
を5月7日行う事になる。

続く・・・・




大平皿三点

2007年07月01日 15時55分51秒 | 陶芸
7月1日(日)

の間 幣ブログで 花器に紫陽花を活けた写真を御紹介した。
紫陽花が映え花器も満更でもないような感じで満足している。

ミスターマスダの作陶は生活雑器なので
その器に「活ける花」「盛り付ける食べ物」などが映えるよう
器自体が極度に自己主張しないよう作っている積もりだ。

今日は大平皿に到来物のサクランボを盛り付けてみた。

カリフォルニア産サクランボを盛ったのは
直径39センチ 釉薬は「卯の麩」。





これもカリフォルニア産だが色が濃くて少し小ぶり。
2種のサクランボはロス在住の次男家族から「産地直送」されたもの。
ミスターマスダの思い入れもあるのだが
日本のスーパーで売っているのとは一味も二味も違う。

昔 NY時代に美味しいと思って食べていた味を思い出した。
サクランボと云うより「チェリー」と云う味だ。

平皿は直径50センチ 釉薬は薄めの「黒天目」の上に「乳濁釉」。





この平皿には「佐藤錦」を盛ってみた。
毎年 山形から御奇特な方が贈って呉れる。
嬉しい事だ。

直径36センチ 釉薬は「黒天目」に「乳白釉」の掛け流し。