A Slow Life of Mister Masuda

定年退職後のスローライフを公開!

バリ2 繁華街 クタ

2015年01月31日 20時16分39秒 | 老後
1月26日(月)


朝食はバイキング 卵は大好きなオーバーイージー 
健康を考え卵は一つとした。
そしてシリアルとパンケーキに果物、ランプータンが美味。


着いたばかりで特別な予定も立てていないので、
とりあえず午後から街に出てみた。
旅行会社HISのシャトルバスを利用すると便利だ。
絵画・陶器・織物・染物・銀細工・籠などバリ特有なものを作る人が
集まっている芸術家の村、ウブドウへと思ったが
旅行社の人の話だとかなり遠いようなので明日行く事にする。

先ず「クタ」昔からある下町の繁華街ようなところへ。
アルカイダによる爆破事件が起こったディスコが近くにある。





信仰深い島、道端・街かどこにもここにも神様へのお供え物が
供えられている。







ミセスマスダは16年前に比べて店の建物が立派になったが 
以前方々で見かけた手作りの雑貨や民芸品中心の商品から
ブティック・スポーツ用品、眼鏡、携帯電話等、島特有なものでなく
どこにでもあるような品物がが目立つようになったとの感想。


ミセスマスダはテーブルセンターと小さな篭を早速見つけた。
興味を持っている人にはあちらから声を掛けるらしい。

何しろミスターマスダは43年ぶりの「お登りさん」で
今昔の変りように驚くばかり。
バリ島には水道網・配電網はなく
自家発電ながら電気が点いているのは
我々が泊まっていた日本の戦後賠償で作った村唯一の高層ビルの
バリビーチホテルとデンパサール飛行場だけ
村民は昔日本でも「縁日」で使っていたような「カーバイト・ランプ」
で明りをとっていた。
(炭化カルシウム(カルシウムカーバイド) CaC2 と水を反応させ、
発生したアセチレンを燃焼させる単純な構造のランプである。)
本当に田舎の農村であった。

我々の乗った観光用の外車シボレーにトラブルが置き、道端でボンネットを
開けたときは村中の人、百人もの人が見物に集まってきたものだ。
頭に水甕を載せ水を運んでいる女性達は暫し仕事は休み男性はもう興味津々。
車に首をつっこんでワイワイガヤガヤ、大層なエネルギーである。

今は日本の車・バイクで道路は混雑している。
こんな事は当然であるがミスターマスダは驚いてしまった。




バリ1 バリ島へ避寒

2015年01月30日 19時39分31秒 | 老後
1月25日(日)

朝まだ暗い6時 迎えのタクシーでYCATへ。
リムジンで90分 成田空港へ。
成田に8時着 丁度ガルーダ航空の
チェックイン・カウンターが開いたところだ。

ミスターマスダ 歳を取ると病気の治り方も遅い。
もう3カ月以上軽度だが風邪をひいているように思う。
葛根湯を飲んだりしているが変化なし。
横浜は寒いし温かな所に行く「転地療法」も良いのかなと
思い立ってインドネシアのバリ島へ行ってみることになった。

到着地インドネシア・デンパサールで入国税のようなものを
USドルで一人当たり$35払わねばならないらしい。
インドネシア・ルピアしか用意してなかったので早速空港で両替を行う。
旅には手違い予想外はつき物だが予想外第一号。

機内は混んでいる。最近空いた飛行機に乗ったことがない。
航空各社による共同運航コードシェアーが効いているのか。

ガルーダの機内サービスはイマイチだがボルドーの赤
キャバネスーヴェニオンは素晴らしくついつい飲みすぎてしまった。

午後8時過ぎインターコンチネンタルホテルにチェックイン。夜のバリ・インターコンチネンタル・リゾート&スパ

ミスターマスダは42年ぶりのバリ
ミセスマスダは42年前と16年前で今回は3度目のバリだが
あれからどのように開けて来たか昔の場所を訪ねるのが楽しみだ。

7時間のフライトだったが疲れが相当激しく
CNNでニュースをチェックして直ぐ就寝。



初セーリング

2015年01月18日 18時19分06秒 | ヨット
1月18日(日)

早朝 車は横横線を磯子に向けて走っている。
高速道路からは真っ白な富士山が良く見える。

ミスターマスダは病み上がりの為ミセスマスダが車の助手席には乗っている。
今日は初セーリング ヨット仲間が集まって来ているはずだ。
例によってメンバーが全員集まるまで一杯飲みながら出航の時を待つ。


今年は羊年 ミスターマスダの拙作「羊の焼き物」を縁起ものなので全員に貰って頂く。
今年も干支の焼き物を50個ばかり作った。

(撮影者)大加田幸子さん

ミスターマスダは体調を考え2月いっぱいは海に出る事を控えている。
今日は浮き桟橋から初セーリングの出航をを見守る事とした。風も無く青空 静かな日曜日のハーバーである

バンザーイ









港を出て行ったが発電所の煙突の煙は無風状態でまっすぐ上がっている。
ヨットは風が無いと走らない。沖に出たら風が吹いていてくれ。


ヨットを見送った後ミセスマスダと二人スパニッシュ・ブランチ

ビールはスペインの「マオウ」 瓶の口から直接飲むのがスペイン式

パエリヤはサフランもたっぷり 中々良し


そごう百貨店の美術画廊で平松礼二「モネへのオマージュ展」を見学平松画伯は軽井沢のアトリエの庭に「睡蓮の池」を作り
いつも写生していたそうだ。
ジュベルニーのモネと通じるものがあるのだろう。
画伯の日本画は江戸時代に一世を風靡した「琳派」とみがもうばかりで
印象派のモネとは両極端にある物の様に思われるが
フランスのジベルニーの個展では好評を博したそうだ。
オマージュと言われてモネがどう思うか知らぬが
現代の一級の日本画であることは間違いない。


成人の日

2015年01月15日 19時37分28秒 | 家族行事
1月12日(月)

今日は成人の日。長男のSクンの長女Aチャン
ミスターマスダの孫娘の栄えある成人式。

会場は「横浜アリーナ」でAチャンは午前の部の式典に出席。
テレビニュースで会場の様子が流れて居りAチャンらしい人影を
捜したが残念ながら一万二千人の中からAチャンを捜すことは出来なかった。
Aチャンは成人式の後ホテルオークラでの高校の同窓会に出席したので
我が家に顔を出したのは午後8時。
早速記念にパチリ。
ミスターマスダは今年は傘寿だが「熟年成人式」でもあるらしい。
干支が一回りして再び生まれた年の干支にかえる還暦から20年
孫娘と良い写真が撮れた。

昨年12月にはミスターとミセスマスダは金婚式を迎え、
ささやかな祝いの会を催した。
年が明けてミスターマスダの傘寿の祝いがあり、孫娘の成人式と続いた。
健康に恵まれ家族がこの様に幸せな日々を重ねてゆける事は誠に有り難い事である。
 
健康な身体を授けてくれた両両親や家族を大切にしてくれる子供達家族には
ただ、ただ感謝あるのみと、ミセスマスダも大層な喜びようである。



初仕事

2015年01月06日 09時59分29秒 | 老後
1月5日(月)


突然急に体温が40度に上がり救急車
済生会横浜市東部病院に緊急入院。
救急車も救命救急センターも初めて、驚いた。
昨年の11月下旬の事だ。

腎臓に大腸菌が入り炎症をおこした「腎盂腎炎」と
その菌が血管に入り込み体内を巡る「菌血症」と言う
感染症で2週間入院となった。

病室では 抗生物質を点滴し続けて4日目ぐらいから体温が下がり
その後も点滴を続け完全に菌を体内から追い出し無事完治、
2週間後の12月6日無事退院した。

ミスターマスダは昨日の1月4日の誕生日で目出度く80歳 
中々「80越え」も大変だ。

本日は退院後 一カ月 済生会横浜市東部病院の外来で最終チェック。
これが本年の「初仕事」である。
採血、採尿の結果もOK。
これで目出度く無罪放免となった。





傘寿

2015年01月05日 14時09分44秒 | 家族行事
1月4日(日)

ミスターマスダは今年の誕生日で80歳
色々あったが漸く80歳に辿りついた。
いつもの誕生日は寄席にいった帰りに神田の蕎麦屋そして 
近くのお汁粉屋で粟善哉を食べていたが
今日の誕生日は特別。 
横浜の山下町のニューグランド・ホテルの5階ノルマンディ・レストランで
家族揃ってミスター・マスダ「傘寿の祝いの膳」と言うことに相成った。
有り難いことである。
次男家族は海外駐在の為写真参加となった。

ホテルのロビーで撮った誕生日当日のミスターマスダ




ノルマンディレストランよりの眺め



長男のSクン家族とフレンチ 大変エンジョーイアブルであった。


次男Jクン家族はヨーロッパから写真参加
リバプール ビートルズ博物館前にて

フォアグラのソティ

真鯛のムニエル

牛フィレ肉と頬肉のステーキ



ニューグランド・ホテルは歴史ある古いホテルだし料理は一昔前のフレンチ
今のヌーベルクイジーンに馴れている若い人たちに気に入って貰えたかな。
ここニューグランドは50年前・1964年にミスター・ミセスマスダが
結婚式を挙げたところ。

傘寿のカードを貰って御満悦のミスターマスダ

出席した家族の傘寿お祝いの寄せ書き

フィンランドから送られてきたJクン家族よりの傘寿お祝いの寄せ書き
フィンランドのグリーティングカードだがあちらでも
80歳のお祝があるらしいな。

帰宅する頃を見計らってJクン家族から傘寿お祝いの
国際電話が掛って来た。
今日一日皆から健康に注意して元気に暮らせと言われているような気がする。
健康に心がけ皆に心配をかけぬようにしなければならない。



夜フェースブックを見ていたら長男のSクンが書いたフェースブック
に65の「いいね」が来た。

親父の誕生日。齢80歳、傘寿の御祝いで家族が集合。
これからも元気に長生きして下さいな。
my dad turned 80 years young today.
celebrating his birthday with family at a french restaurant in yokohama.
happy birthday! — 場所: Hotel New Grand Le Normandie

(コメント)
海外時代のライバルの社長の息子(S君の同級生)
うちの父が増田の親子は元気か、と気に掛けてたよ。
そう言っている本人は今年歳男。

シドニー時代の秘書
Shota, please wish your Father happy birthday from Tony and me.
Lovely photos of the occasion.
Best wishes to your Mother and all the family.


I/Yさん
おめでとうございます。
ココ、我が家も父の還暦のお祝いに行きました。
元気なら今年80。ご一緒だわ。
いつまでもお元気で!