A Slow Life of Mister Masuda

定年退職後のスローライフを公開!

(52)噴水庭園(上)

2008年01月10日 10時48分12秒 | 地中海紀行
(10月28日 続き)

ようやくクルーズ出発港チビタベキヤに帰って来た。

いまバスの中で乗客3500人、3300キロの航海を振り返って思い出している。

ローマ フュミチーノ空港(旧称レオナルド・ダ・ビンチ)に向かう途中に
「チボリの街」に立ち寄る。
チボリは石灰岩の山の麓 温泉もあるらしい。

途中工事中の新幹線、ローマ時代の石切り場など
ツアーガイドが説明をしてくれる。

バスは幹の物凄く太い樹齢2~30年のオリーブの畑の間を縫うように登ってゆく。
街の高台から晴れているとバチカンのドームが見られるそうだが
今日がガスっていて見えない。



チボリを有名にしたのは「ヴィラ・デステ」
世界遺産のローマ時代の最古の「噴水庭園」。
35年前 ミスターマスダはヨーロッパ出張の際 この庭園に立ち寄っている。
センチメンタルジャーニーだ。



庭園の入口になっている館の天井・壁にはガイドの説明によると
ラファエロか若しかしたらその弟子が描いたフレスコ画だそうだ、
色鮮やかに残っている。







噴水庭園(中)に続く。




(54)噴水庭園(下)

2008年01月08日 21時22分26秒 | 地中海紀行
10月28日続き







手入れの良く行き届いた庭園を心ゆくまで楽しんだ。

このように水位差を利用した噴水庭園は
サンクトペテルブルグのピヨートル大帝の庭も有名だ。
あちらの方は新しいだけに豪華絢爛、水量も豊富、スケールも大きい。


近くの見晴らしの良いレストランで昼食。
グループでの揃っての食事はこれが最後。



アコーデオン・ギター・マンドリンつきでカンツオーネ。
何故かナポリ民謡。

チップも払ったが大々サービス。
楽しい最後のフェアーウエル・ランチ。

その後ローマ~インチョン~成田 
日にちが変わり日本は10月29日 無事帰国。

鶴見に帰宅は11時過ぎ。
庭の秋明菊が暗闇の中 白い花を咲かせて迎えてくれた。



以上で今回の「地中海紀行」は完。

永らく「地中海紀行」を御閲覧頂き有難う御座いました。







(51)帰港

2008年01月06日 21時38分34秒 | 地中海紀行
10月28日(日)

定刻運行。
地中海ぐるり旅
我々の地中海クルーズも愈々終りに近づく。

クルーズの出発港ローマ・チビタベキアに戻ってきた。
岸壁に将に着かんとする時 東のかなたより陽が昇る。



今回のクルーズは
穏やかな海
ゆれもなし
海の真っただ中と云う感じもなし。
クルーズした気がしない。

朝 目が覚めると次の都市に着いている。
夜中に移動するホテルだ。

港には既に色々な船が入港している。
大型帆船も泊まっている。
ミスターマスダには眼の保養だ。



満艦飾でP&Oの「オリアナ号」がいる。
今回のクルーズではP&Oの「アルカディア号」にバルセロナ港で遭っているが
このP&Oのオリアナの初代オリアナにはシドニー在住時代
家族連れでハーバーへよく見物に行ったものだ。
何か懐かしい気分がした。




考えてみるとミスターマスダは船中泊のあるクルーズを8回している。

関西汽船で四国への修学旅行 1泊

天保山から阿波踊り 1泊

オーシャンモナークでシドニー~ニューカレドニア~シドニー 8泊

シドニー~ホバート(タスマニア) 2泊

神戸~別府 1泊

北半球 107泊 

南半球17泊

そして今回の地中海クルーズ。

船内で朝食を済ませた頃 下船の準備も完了。
チップは一括して事務所経由支払ってあるが
お世話になった部屋係りには別途チップを渡し労をねぎらう。

下船タラップ前には船員達が整列して見送ってくれたが
日本の温泉宿の美人女将のお見送りとは多少趣が違う。



用意されたバスに乗り込みローマに向かうのだが
途中寄り道してローマ近郊のチボリ・ヴィラデステ庭園を観光、
その近くで昼食も摂る事になっている。

バスが高台にさし掛かると目の前が開け地中海、
いま船を下りたチビタベキア港が遠望出来た。
沢山の大型客船が停泊している。






(50)アルベデルチ・シシリア

2008年01月03日 20時57分36秒 | 地中海紀行
(10月27日 続き) 


午後5時定刻 我が「コスタ・コンコルディア号」は
最後の寄港地パレルモ港の大桟橋離れる。

我々の船は定期観光船の様なもので「出航」に付き物の
「別れ」とか「哀愁」と言う感覚は無い。
時間が来たら着岸し,時間が来たら離岸する。
見送りの人達は3800人乗りの船にしては極端に少ない。



我が船はクルーズの出発港ローマ・チビタベキアに向け最後の航海。
これでシシリーも当分見納めだ。

ヨット・ハーバーはオーシャンターミナルに隣接した旧港。
外国ではどこに行ってもこの様な施設があって羨ましい。
日本は明らかにヨット後進国だ。

大桟橋の見送り人は少なかったが船の周りにはヨットがウヨウヨいる。
まるで我々の出航を見送って呉れている様だ。
大胆に我々の船の近くまで接近してくる。
思わずシャッターを切る。









生来のヨット・キチなのでヨットの写真ばかり、乞う御容赦。



夕食は最後なので大変な盛り上がり。

キャビンに帰りミセスマスダはパッキング、
ミスターマスダは邪魔にならぬようカジノ。
残念ながら博打は向いていない様だ。

明日から冬時間に、時計を1時間遅らす。

10月27日はこれで終わり




(48)パレルモ市内

2008年01月03日 20時45分45秒 | 地中海紀行
(10月27日 続き)

船内で遅めのランチ。
夕方の出航までパレルモ市内の散策に出かける。

街の出入り口には門の様な物がある。
其処から内側が旧市街らしい。



ローマ時代の遺蹟 石橋 
これほど古い物ではないがこの様な石橋を
オーストラリアのタスマニア島で沢山見たことがある。
子供達がまだ小さかった時代の家族旅行の事を懐かしく想い出した。



土曜日なので野外市場が大賑ぎあい。




7月の「サンタロザリア祭」の山車が公園に展示されていた。



街の中心部 十字路になっていて
四つ角の四つのビルが夫々彫刻で飾られている。
観光名所の一つだ。




(続)パレルモ市内に続く





(49)続パレルモ市内

2008年01月03日 19時36分05秒 | 地中海紀行
(10月27日 続き)

パレルモ市内散策は続く。
丁度シエスタでブランドショップは昼休み。
ミセスマスダは少し落胆。
陶器店は開いていたのでミスターマスダはハッピー。

ライオン像のあるオペラハウス地中海最大。
前のカフェで前回来た時もお茶をしたが今回はピスタチオのアイスクリーム。



街には新しいビルはあまり見当たらない。
公共の建物も市役所、図書館など歴史を感じさせる建物ばかり。





ホテルも古い街に溶け込んだ古い建物。
内部も重厚、家具もアンティーク
古いものを大事に使っている。





パレルモの街の中にはあまり近代的なビルは見当たらない。
背の高いビルも全面ガラス張りのビルも無い。
歴史のある古い街なのかな?

何度かシシリー島を訪れているが何処にマフィアは居るのだろう。
それらしき地域も建物も見当たらない。








(47)ローマ時代の洗濯場

2008年01月02日 18時30分27秒 | 地中海紀行
(10月27日 続き)

今回のシシリー島観光はチェファル。
岩山にへばり付いている古い小さな街だ。
チェファルの大聖堂の見物の後 次はローマ時代の遺蹟 洗濯場。
近くの日当たりの悪そうな細い小路の突き当たりに
そのローマ時代の遺蹟 洗濯場がある。



川の流れを利用して岩の中に掘られたものだ。
当時の井戸端会議・社交場の様なものだろう。



今でも冷たい水が蛇口から出ている。
勿論実用に使われている訳ではない。



カフェでシシリー名物の大変甘いケーキを食べた後
肉屋で辛口のサラミソーセージやら生ハム、パルミジャーノレジャーノのチーズを買い求める。
チーズについては熟成月を聞きたいが言葉も通じず。





遅い昼食に間に合うよう一旦船に戻る。
午後はパレルモ市内の散歩でもしよう。




(46)大聖堂

2007年12月29日 18時04分08秒 | 地中海紀行
(10月27日 続き)

パレルモ港より60キロ、
ティレニヤ海に面し岩山の麓の「チェファル」。
街の中心は「大聖堂」。
シシリー島は色々な国の侵略を受けたので
自衛上 教会も武装した時期があった。
チャーチ・フォートレスと呼ばれ要塞にもなったそうだ。



5人の聖者の銅像が大聖堂を守っているのだそうだ。



大聖堂の外装は石でごつごつしているが
内部は天井まで金をふんだんに使ったモザイク、ビザンチン風の仕上げ。



正面天井のモザイクのクローズアップ。



窓にはステンドグラス。
教会らしくないシュールリアリズムな
ステンドグラスに戸惑いを感じる。
何故コンテンポラリーのステンドグラスが
古い大聖堂にはめられているのか理由は不明。






(45)チェファル観光

2007年12月28日 16時07分03秒 | 地中海紀行
(10月27日 続き)

今日のシシリー島は快晴。
我々は早速観光バスに乗り込みパレルモ港より60キロ、
ティレニヤ海に面する岩山の斜面に位置する町「チェファル」を訪ねることとした。

高速を走ること一時間岩山の麓に目指すチェファルの街は見えてきた。



我々のバスは街の外側にパーク、其処からは徒歩で街の中心へ。
とは言え小さな街なので丁度良い散歩だ。



街のメインストリートから横に建物が立て込んだ小路が伸びている。
狭い場所に人々がひしめき合って住んでいる感じだ。



奥まった所に教会がある。



そこで人形劇のオペラを上演しているらしい。
小さな街だが住民の文化的な楽しみだ。



数年前のシシリー島中心の旅行と世界一周の船旅でシシリー島は大方見学し、
州都パレルモも相当丁寧に歩いている。
行く所が特に無かったのでチェファルの街を選んだが
不勉強でこの街の事は何の知識も無い。
パンフレットに書いてある大聖堂、ローマ時代の洗濯場を見学し
帰りにチーズとかパンチェッタなど購入したいと思っている。



(44)パレルモ入港

2007年12月26日 21時35分49秒 | 地中海紀行
10月27日(土)

船はシシリー島沖に到着。
特徴のあるパレルモの港の入り口にある
モント・ペレグリー山が現れてきた。



霧の掛かったパレルモの日の出を見ながら8時入港。



今回の観光はパレルモの街それと有名なモンレアーレは
前回見学しているので古い田舎町を訪ねることとした。

我々の船に文字どうり横付けして観光バス群が待機している。



中々立派な港だ。
埠頭の奥には大きなヨットハーバーがある。



埠頭の入口広場には女神の銅像が
ローマの方を向いて建っているのが印象的だった。




(43)BAR

2007年12月17日 21時21分01秒 | 地中海紀行
(10月26日 続き)

船の中には教会をはじめカジノまで色々人の集まる所が在るが
夕食後に覗いて見たい所はバーだろうか。
船内には静かなバーもあるが
音楽が入っているバーが多数ある。

今まで撮り溜めた写真をご披露したい。

個性溢れるエンターテイナーのパフォーマンス
毎晩の楽しみだった。











10月26日はこれで終わり


(42)フェアウエル

2007年12月17日 16時39分20秒 | 地中海紀行
(10月26日 続き)

マルタ島の観光を終え船に戻る。
今晩はディナーはフェアウエルディナー。
フォーマルデーなのでタキシードを着用。
皆さん思い切ったお洒落でレストランに集まってくる。



フェアウエル・セレモニーは電気を消した暗闇の中
ベークド・アラスカで始まり大騒ぎ。



近くの廊下では旗を持ったお姉さんに連れられて子供達のパレード。



フェアウエルディナーのためにベビーシッターに預けられた子供達のお遊びだ。
この船では同室なら12歳以下の子供は無料。

フェアーウエル・ディナーも佳境に達し
バルコニーではレストランのウエーター達のパフォーマンス。
乗客に大受け。



お酒も充分回って来ると外人得意の「百足踊り」が例によって始まる。
飽きずに何時までも続く。



食事後 運試しに「ルーレット」。
ミスターマスダは今年は年男だが勝負事はどうも駄目らしい。




(41)兵どもが夢の跡

2007年12月17日 10時05分07秒 | 地中海紀行
(10月26日 続き)

マルタは聖ヨハネ騎士団が宿敵オスマントルコとの連戦の後
転々として1530年ついにたどり着いた土地。

騎士団の名前も聖ヨハネから「聖マルタ騎士団」と改称、
イタリアから技術者を招いて難攻不落の城壁を築き都市計画を練る。

城塞都市内部はマルタストーンとも呼ばれる特産の蜂蜜色の
石灰岩の建築物が300以上ある。

海岸線には高い城壁を、またその付け根に当たる場所には
幾重にも深い壕(今はパーキング)と強固な砲台を巡らす。







街中には縦横に整然と区切られた街路に沿って様々名建物が建設されている。

聖ヨハネ騎士団の迎賓館も今は首相官邸になっている。



正面玄関に大砲があり海を見渡せるバラッカ公園の前にある。
公園からの海の眺望は要塞を背景に素晴らしいの一語だ。



見学が終わったところでブレーク。
マルタのビールは中々のもの。
ソフトドリンクの「キニ」はビターオレンジ・ハーブを炭酸水で割ったマルタ名物。

ツアー終了後オーシャンターミナルの売店を冷やかす。



船内に戻ってのディナーはフェアーウエルディナー。
タキシード二度目の御出座し。







(40)カラバジオ

2007年12月16日 21時55分19秒 | 地中海紀行
(10月26日 続き)

聖ヨハネ教会堂の一部がカラバジオの絵画展示場になっている。
カラバジオの画は教会の至宝である。



騎士団員はヨーロッパの裕福階級の次男以下の子弟によって構成されている。
金の掛かる騎士の装備、また幼少からの騎士としての鍛錬は
経済的に恵まれた人々のみ果たされたものだろう。
親からの経済援助、あるいは相続などによる領地からの収入は
マルタにもたらされ、様々な建造物の建築や装飾に使われた。
騎士団員になるためには応分の経済的貢献も期待されていた。

カラバジオも騎士団に参加したい思いを持っていたが中々許されず
5枚の絵画を寄贈する事で漸く入団を許可されたそうだ。
「物納」と云う事である。

現在はその内 3点がここ聖ヨハネ教会堂に所蔵されている。
いつもは貸し出しなどで3点揃っての展示は珍しいのだが
今日は3点揃っての展示となっている。

「ヨハネの首を所望するサロメ」 はカラバジオの最大の作品。



「聖フィロエムス」 はヘブライ語だったバイブルを初めてラテン語に翻訳した聖者



初代ヨハネ騎士団長バレッタの肖像画
胸の十字架の模様はマルタの国章。



カラバジオの絵画は光と影を巧に表現した画家で
後年レンブラントが手本にした「光と影」の手法は見事。