A Slow Life of Mister Masuda

定年退職後のスローライフを公開!

景徳鎮

2007年08月30日 13時22分07秒 | 家族行事
8月28日(火)

手術後のリハビリとして今日は外出日。
夕方会食の予定があるだけで、それまでは気楽なお散歩の様なもの。
目的が無いのも張り合いが無いので景徳鎮の陶器鑑賞を主目的とした。
地下鉄で渋谷まで出て駅前で「ハチ公」の銅像前で記念撮影。



坂を登って松涛に向かう。
「渋谷区立松涛美術館」では”景徳鎮千年展”を開催中。
渋谷の繁華街から近いわりには美術館の佇まいは静かだ。

鉄筋コンクリート造 地上二階地下二階建て
外壁は花崗岩割肌野積み。



内部は坪庭のように建物の略中心に吹き抜けの噴水付きの丸池がある。



設計は白井晟一氏 ユニークなデザインで建物その物も面白い。

地下一階の展示場は「景徳鎮千年の作品」の展示。
中国江西省に位置する景徳鎮窯は陶磁器の良いクレーと薪に恵まれ
10世紀頃から今日まで窯焚きの煙を上げている。
骨董陶磁器に興味のある向きには「景徳鎮」は聖地だ。

北宋時代の景徳元年(1004)に其の元号を冠して
「景徳鎮」の名が誕生したそうだ。
会場が小さいので展示品数は少ないが初期の青磁・白磁から
色彩豊かな装飾を施した五彩磁器と
時代の好みやスタイルに合わせて進化している様が良く判る。



第二会場は2階 「7501工程」の作品展。
1975年 中国中央政府から毛沢東の為に最高の食器を作るよう命令が下ります。
景徳鎮きっての名工が集められ最高の材料を使用し革新的な技術を開発して
それまで実現できなかった1400度C以上の高火度で焼き上げ
遂にこのプロジェクトを完成させた。
このプロジェクトの名称は「7501工程」。

毛沢東が詠んだ梅や桃の花を図案にした食器が半年間という短期間に
1万4千点が焼成されたが成功率は30%、完成品のうち約千点余りが
北京に送られ国賓などの接待の食事に使われた。
其の食器を使ってのニクソンとの会食の写真も会場に展示されていた。

小腹が空いたので近くの馴染みの「ビロン」で一休み。
タルトタターンがこの店のお勧めだが
季節的にまだ良い林檎が入手出来ないので今日は駄目。
さこでサラバン 中々美味しかった。

ここで家内と別れ銀座の「松島」へ。
年に3~4回行っているミスターマスダお気に入りの割烹。
今日は現役時代の仲間との清談会。
現役あり隠居あり気のあった友人達だ。
日頃社会性のある生活をしていないので、このような集まりは刺激になる。



お土産に貰った鮑は次ぎの日 早速ワイン・バターをタップリ使って「鮑ステーキ」
腕を振るったシェフはミスターマスダ。
デザートはこれもお土産の千疋屋の柿 夏に秋の果物 寿命が延びるかも。





07城ヶ島クルージング(下)

2007年08月19日 13時03分03秒 | ヨット
07城ヶ島クルージング(上)より続く・・・

セントメイ・ヨット夏季クルージングの城ヶ島三崎港大宴会
までの時間がある為 もう一箇所訪ねる事とした。
昔メンバーだった「佐島マリーナー」
一種のセンチメンタルジャーニーだ。

佐島マリーナーの入り口には40年前と変わらず
玩具の北原照久さん(開運何でも鑑定団)の豪邸がある。

マリーナーのハーバーは昔どうりで小さい。
昔は森繁久弥さんの大型鉄製帆船「ふじやま丸」が鎮座ましまして
居ましたが今はそんな事想像も出来ないくらい船がひしめき合っている。
まあマリーナは小さいが周りの施設は新しく機能的になっていた。



周りを散策すると昔子供達と貝などを拾って遊んだ
海岸・岩場・浜木綿も昔のまま健在だった。



時間も来たのでそろそろ城ヶ崎に向かう。
三崎港に到着するとすでに突堤にはセントメイ号が着岸している。



波止場のマーケットで海産物店をひやかす。
「釜揚げしらす」を保冷剤付きでお買い上げ。

愈々ヨット仲間の親睦会・宴会が始まる。
三崎館には海路セントメイ号で9人 陸路ミスター・ミセス・マスダの2人
合計11人の大宴会。



料理は場所柄 マグロ尽くし
錦上花を添えたのはONさんが乾杯用に持ち込んだドン・ペリニヨン。
中国のホンコンで買ったそうで多少その素性に疑念はあるが
一本のドン・ペリを11人で正確に平等に分け和気藹々のうちに宴会は始まった。



ミスター・ミセス・マスダは9時ごろ帰宅の途に付く。

船の絵の展覧会を見たり佐島の海を眺めたり
ヨット仲間と大いに喋ったり充実した一日であった。

次の日 セントメイ号は無事 横浜の母港に帰投したが
途中トローリングで「シイラ」をキャッチ。
写メールでお刺身になったシーラの写真を送られ
ミスターマスダ大いに羨ましがる。

(完)


07城ヶ島クルージング(上)

2007年08月18日 12時22分39秒 | ヨット
8月18日、19日は我がセントメイの恒例の夏季一泊クルージング。

クルー高齢化の為 今年もスケジュールは
無理をせず、メンバー親睦を兼ねた城ヶ島一泊となる。

ミスターマスダは前立腺癌の手術後なのでヨットでの城ヶ島は諦め
陸路 城ヶ島に向かい親睦会のみに参加。

18日横浜市民ヨットハーバーをセントメイ号は午前9時半出航。
曇りながら風は強からず弱からず快適なセーリングが楽しめ
城ヶ崎三崎港に午後2時半着岸したそうだ。


陸路グループと言ってもミスター・ミセス・マスダの二人だが
鶴見を午前11時出発 途中何箇所か立ち寄り午後5時ごろに城ヶ島三崎港前の
何時も馴染みの「三崎館」で親睦会に出席予定。

先ず目指したのは横須賀 軍港の町で結構大きなビルも建っているが
よく見ると土曜日の所為もあるのかシャッターが下りている小売店も多い。
地方はまだ景気が悪いのだろうか。

お目当ては横須賀美術館 横須賀市街で場所を尋ねたところ観音崎とのこと。
逆戻りして観音崎へ。
今年4月にオープンした横須賀美術館は山本理顕さん設計の
大変コンテンポラリーな白亜の建物。







展示場は三部門からなり「企画展」「収蔵品展」「谷内六郎館」。

企画展は「海に生きた素朴画家 アルフレッド・ウォリス」の港と船の油彩画。



英国のセントアイヴィスの船具商だったが余技が開花した訳だ。
ミスターマスダにとってセントアイヴィスは漁港でもあるが
陶芸家バーナード・リーチの生まれ故郷でもあり
浜田庄司が窯を持った事でも知られている興味ある場所だ。
因みにアルフレッド・ウォリスの墓碑はバーナード・リーチの陶板で飾られている。


「収蔵品展」は常設館で横須賀市の持っている絵画を展示している。
結構膨大なコレクションらしいがそれを展示する場所を作る事が
横須賀市の長年の念願だったらしい。
梅原・三岸・大観など有名画家の絵が順次展示されるそうだが
不思議に日本人画家の作品しか見当たらなかった。

「谷内六郎館」も常設館で週刊新潮の表紙絵の原画。



谷内六郎さんのアトリエが観音崎にあった縁で
原画千点余りが横須賀市に寄贈され順番に展示されているそうだ。

付属しているレストランも立派。
結構お値段も高いがオープン早々の物珍しさもあるのか大層な賑わい。
テーブルにありつくのは至難の業。


07城ヶ島クルージング(下)に続く・・・・




療養生活

2007年08月03日 20時31分50秒 | 家族行事
8月3日(金)
前立腺癌摘出手術を7月5日うけ そろそろ一ヶ月が経過。
インフォームド・コンセントの時代なので
医師からは手術後の後遺症についても色々聞かされているが
どうも納得しかねる自分の体調だ。
医者自身が手術を経験している訳ではないので
説明にも限界があるのだろう。

幸か」不幸か 関西の友人MTさんがミスターマスダより
十日程前に摘出手術をしたので
御自分の後遺症の感じをメールで知らせてくれる。

この生の情報は有難かった。
MTさんより十日遅れではあるが、
彼の症状の後を居って回復しているようだ。
MTさんより「日にち薬」とも云われた。
頻尿・下腹部の違和感は2ヶ月ぐらいの覚悟が必要だろう。

神経質になりすぎているのか素人判断だが
手術に関係ない「直腸」も調子悪し。

運動は重要 散歩がてら広尾へ。
この間 飲んだワインはどうもシックリこなかった。
手術で舌が狂ったか再度チェックするためという理由をつけて
麻布のお気に入りレストラン 「セパージュ」へ。

「セパージュ」はワイン販売店のエノティカと同じ経営。
良いワインをリーズナブルな価格で飲ませるレストランだ。



まず白ワインをテスト よく冷えたシャブリ 大変結構。
続いて赤ワインはソムリエ推奨のコート・デュ・ローヌの”パラレル”
セパージュはグルナッシュ ところでセパージュとは葡萄の品種のこと。
ソムリエはスパイシーで野性的な強さのあるワインと言っていたが
ミディアムボディーで飲み易いワインだった。
舌・喉の感覚も手術前に戻ったようだ。

「セパージュ」を出た所に「テオブロマ」というチョコレート屋さんがある。
あのちっちゃな「オランジェ」が一本100円 泥棒的お値段だが
麻布のセレブのチョコレートを偶には食べてみるかと大奮発。



対照的にその先には100円ショップ そして見るからにみすぼらしい
シャビーなビストロ
一人外人がジョッキのビールを真昼間から飲んでいる。



近くの有栖川公園を散策。
石川県の「兼六園」の石灯籠と同じような石灯籠があったのは
新しい発見だった。

 

近くのモルモン教の
シンボル塔の先端の像が鮮やかに金色に光っている。



最後にナショナル・スーパーで買物をして帰宅。
楽しい散歩であった。

帰宅後少し工房で陶芸を楽しみ久し振りに窯にも火を入れた。
少し前向きの生活が出来るようになったと言うことは
術後の経過も良くなって来たと言うことか。