A Slow Life of Mister Masuda

定年退職後のスローライフを公開!

友あり遠方より来る

2005年11月30日 19時13分54秒 | 家族行事
今日は久し振りに大阪より旧知のO御夫妻が尋ねて来てくれた。
明日 何か椿山荘で表彰式典があるらしく
御夫妻で出席する為の上京だそうだ。
一日早く上京し我が家に立ち寄ってくれた次第だ。
我が家の昼食なら小生の出番だ。
メニューは下記のとうり。
今回はなるべく、マスダ窯で焼いた食器に料理を盛り付けてみよう。

お品書き
お抹茶とお干菓子
スミノフ フロム ロシア
アミューーズ
 シシリアン アンチョビー
 からすみフォーモッサ
 レッドキャビア北海道
ブルゴーニュ(白)
ビシソワース リヨン風
スパゲッティ ボンゴーレ ミラネーゼ
ベルギーサラダ
ブルゴーニュ(赤)
ボルシチ スズダリ風
 ガーリックトースト添え
クロック・ムッシューア・ラ・カリプソ
クリスマス・フルーツ・ケーキ
 アイスクリーム添え
ミント・チョコレート
アールグレー・パリジャンヌ
  平成十七年十一月三十日    亭主敬白

ベルギーサラダはママの友情出品
クリスマス・フルーツ・ケーキは毎年年末にアメリカ・バーモントから
この時期取り寄せているもの。

1時から昼食は始まり6時まで延々5時間の昼食だった。
大体 大きな失敗も無くO御夫妻も喜んで呉れたのではないか。
ママの技術指導、料理の下拵え、後片付けなど
色々御世話になっている事を申し添えておく。



Day 028

2005年11月29日 09時23分31秒 | 航海日誌
第28日目(6月17日)
船はシナイ半島を巡りスエズ運河の入り口 ポート・スエズに向っている。
例によって船内では明日通過するスエズ運河と
次の寄港地ポート・サイード上陸説明会が開かれた。

明日ポート・スエズでは運河の入り口で何隻かの船がコンボイ船団を組んで
運河を通過しなければならないらしい。
どの船団に組み入れられるかポート・スエズに行かなければ分からないそうだ。
早い時間の船団に組み込んでもらい明るいうちにスエズ運河を通過したいものだ。

ポーート・サイードはエジプトだ。
オプショナル・ツアーではカイロのツタンカーメン、ギザのピラミッド、スフインクス等愉しそうだ。



夕食後 シアターで
NHKの「プロジェクトX 日本企業が完成させたスエズ運河拡幅工事」を観る。
スエス運河通過は今回のクルーズの楽しみの一つであるが
愈々ワクワクして来た。





Day 027

2005年11月28日 09時21分16秒 | 航海日誌
第27日目(6月16日)
今日はヨルダン二日目。
世界遺産である「古代都市遺跡ペトラ」の見学である。
岩山に囲まれたペトラ遺跡。

紀元前4世紀遊牧民のナバタイ人が築いたペトラ。
19世紀にスイス人探検家によって外の世界に紹介されるまでは、
長らく遊牧民だけしかその存在を知られていなかった。
最近はインディ・ジョーンズのロケ地として有名になったのはご存知の通り。
マーブル模様の様な砂岩に刻み込まれた巨大な神殿など 
古代人の物凄いエネルギーを感じる。


灼け付く様な日差しのもと息を飲むばかりの圧倒的な光景、
遺跡を取り巻くように聳える岩石群の色彩の移り変りを確り目の底に刻み込む。
岩盤に挟まれた細い道「シーク」を辿って行くと
岩の裂け目の向こうにエル・ハズネ神殿が
突然現れて来る。
神殿入り口を入ったところのホールでは観光客の団体がホールの奥に向かい
コーラスを唄っている。
声がホールに響き渡り中々感じが良い。
最盛期には人口3~3・5万人の大都市で大型円形劇場も完備しているし
裏山には岩石を刳り貫いて御墓の団地もある。
水も6キロ先から水路を完備してひいてきてライフラインも確保されている。

ただ同じ紀元前4世紀のポンペイの方が一瞬にして火山灰で保存されて
しまった事もあり生々しく生活が残っている。
ペトラ古代人よりポンペイ古代人の方がより近代生活をしていたような気がする。

アラビアのローレンスのワディラムの砂漠を経由アカバ港への帰途につく。
帰船後、トパース・ダイニングで夕食、午後10時スエズ運河経由
エジプト・ポートサイードに向け出帆。





クリスマス・ツリー

2005年11月27日 16時59分37秒 | 家族行事
今日は孫の「あやぴー」と「ゆうちゃん」に来てもらいクリスマス・ツリーの
飾り付けをして貰った。
これから年末にかけ我が家では何組かの御夫婦をクリスマス・ランチに
御招きしているので、お客様をお迎えするのに
どうしてもクリスマス・ツリーは必要だ。

ツリーはNY時代に買った物。
高さ1メーター60センチで飾りのオーナメントは長年かけて集めた物だ。
ポインセチアも綺麗に赤く色付いている。
ランチの料理人は小生なので、これからメニューを考えるのも楽しみの一つだ。

ただ、お亡くなりになったO氏の事を思い出すと寂しい気持ちになる。
明日・明後日と通夜・告別式となる。
O氏はお若くして亡くなられ享年67歳、御親族に御同情申し上げる。


武蔵

2005年11月26日 22時12分38秒 | ゴルフ
一時間四十分かけて武蔵カントリー豊岡コースへ。
流石名門コース 手入れが行き届いている。
コースのアンジュレーションは殆ど無い。
今まで経験をしたことの無い平坦さである。
バンカーでコースに変化を付けているのかバンカーは多い。
距離が長く砲台グリーンだが意地悪のところが全く無い気持ちの良いコースだ。
ショットの調子が良い時 再チャレンジしてみたいコースである。


クラブハウスに帰って来ると家人よりの電話。
訃報である。
入院中のO氏が亡くなったとの知らせ。
この所 立て続けに人が亡くなっている。
会社の同僚のN氏、叔母、そしてO氏。
帰りにO氏宅を訪問 夫人、娘さん家族に御悔やみを申し上げる。
長男御家族は目下インドネシアより帰国の途にある。
O氏御家族とはシドニー、ニューヨークで近所付き合いをした仲。
及ばずながら御遺族の御力になって上げなければ。
合掌


ミスターマスダの優雅な一日(下)

2005年11月25日 21時46分28秒 | 家族行事
ミスターマスダの優雅な一日(上)に続く・・・・
食後の散歩を兼ねて虎ノ門の菊池智美美術館へ。
15代の楽吉左衛門の作陶だ。
この間三井記念美術館で国宝の楽茶碗を拝見したし、
京都ではO氏宅で13代楽惺入の紅白茶碗を実際に手にとって観賞させて頂いた。
現代の楽茶碗は如何なるものか。
小生の頭の中にある楽茶碗とは全然違う。
あれは実用的な茶碗ではない。
茶碗と言えるのか。
御点前には使えないのではないか。
完全にオブジェである。
新しい多彩な色彩感覚で物凄い強烈なインパクトを感じた。
ただ次の世代の人、その次の世代の人にもインパクトを与え続けることが出来るか、
それが出来れば楽家の先代達に肩を並べられると思う。

SG御夫妻との最後は何時もマルガリータだ。
芝のプリンスのパークタワー最上階33階のバーで暮れなずむ夜景を愉しむ。
間近かに見えるライトアップした東京タワーが美しい。

SG御夫妻と別れた後、陶芸教室の作品展を覗く。
拙作も二点展示してもらっている。
小布施の窯で焼いて貰った高さ40センチぐらいの壺に過分の好評を頂いた。
窯の中の壺の位置、灰のかかり具合、多分に偶然性がある。
火の神様からの御褒美だろう。
夕食は寿司を軽くつまんで帰宅。

明日は武蔵カントリーでゴルフ。
迎えの車が6時15分、朝が早い。
早く寝なければ。



ミスターマスダの優雅な一日(上)

2005年11月25日 21時38分19秒 | 家族行事
今日はSG御夫妻と来年のスキー行きの打ち合わせの日だ。
折角だから打ち合わせだけでなく
食事、カルチャーのコースで行こうと衆議一決。

先ず新宿・伊勢丹で落ち合い「魚谷清兵衛の経木手備前展」を見学。
魚谷先生と暫し歓談。
先生の命名だそうだが「経木のように薄く」という事で「経木手」備前と称している。
ぐい飲みなども薄く軽い。轆轤だと水を使うので割れるらしい。
全作品 手捻りの焼き絞めと言う事らしい。
昔我々が買った先生の作品の値段に比べ、
もう手の出ない芸術家の値段になっていたのに驚きを感じた。

昼食は神楽坂のフランス人がオーナーのフレンチレストラン。
前菜はキッシュ、メインは黒ブーダン(豚の血のソーセージ)、
デザートはクレーム・ブリュレ。
大変美味しいフランスの田舎料理だ。

そこでコーヒーを飲みながらスキー行きの打ち合わせ。
今年も北海道・ニセコが良かろうと言うことになった。
ホテルには温泉もあり将に極楽、極楽だろう。



Day 026

2005年11月24日 21時03分22秒 | 航海日誌
第26日目(6月15日)
朝8時ヨルダンのアカバ港に入港。     イスラエル遠望

港にはギネスで世界最大と認定された
馬鹿でかいヨルダン国旗が掲揚されている。
アカバには二日滞在だ。
今夜は我々は船に泊まらずホテルに外泊だ。

今日は第一日目、「死海」見学だ。
車でイスラエルとの国境沿いに砂漠の中の国道を行く。

死海付近は大型リゾートホテルが点在、
我々のホテルは五つ星だ。

死海は琵琶湖の約1倍半の大きさだそうだ。
世界で一番低い所にあると言われている死海。
そのため、流れ込んだ水が蒸発を繰り返し、極限まで塩分濃度が高められている。
生物が全く棲めない為、死海と名付けられた。
温暖化の影響か年々水が干上がり少しづつ小さくなって来ているらしい。

36度の塩分でよく浮く。
足のキックが効かず泳ぎづらい。ママは溺れかけた。
死海で長時間居る訳にもいかずホテルのプールサイドでゆっくりする。
船上と違い足元も揺れず穏やかな良い時間をMK御夫妻と過ごした。




Day 025

2005年11月23日 21時01分39秒 | 航海日誌
第25日目(6月14日)
明日はヨルダンだ。
コロンボを出港してから13日、明日は漸く陸地に降りられる。

日本から持ってきた「ダビンチ・コード」を朝から読んでいる。
上巻を貸してあげた人から下巻の催促が来ない内に読み上げなければならない。

夕方からハーモニカ合奏の練習だ。
小生が主宰しているのだが「ハーモニカの腕」がついて行かず
J子さんが練習の方は取り仕切っており
小生とMKさんは世話役に成り下がっている。

J子さんは3年前に御主人を肺癌で亡くし一人参加である。
関西の高槻でハーモニカを習っており船内でも習おうとこの会に入ったが
組織的なレッスンを受けているのは自分だけだと悟り
トレーナー役を買って出てくれた訳です。

一時間ちょっとの練習だが心地よい疲れを感じる。
練習後デッキに出てホッとする。
遠くに見えるのはシナイ半島だろうか。
夕日が美しい。

ママは船内で開催されている「般若心経の勉強会」に出席、
清々しい気分でキャビン戻って来た。



Day 024

2005年11月22日 20時59分49秒 | 航海日誌
第24日目(6月13日)
船上では次の寄港地での入国手続きの手順をはじめその国の概要説明、
見所、オプショナルツアーの説明会を行う。
今日はアカバ上陸説明会だ。
アカバ港はヨルダン。
ヨルダンはイラクなどへの入国ルートでもあるし
またヨルダンは鉄条網ひとつ隔ててイスラエルに隣接している。
大変政治的にもホットな地域である。
一方観光地としては泳ぐと体が浮いてしまう「死海」
それに映画インディ・ジョーンズのロケ地として有名になった
世界遺産のペトラ遺跡がある。      死海に沈む夕日    ペトラ遺跡の岩を削って作った宮殿

夕方からはハーモニカの練習、夕食後は囲碁教室。
紅海に近づき海は静か、うねりも無く船は安定して航海を続けている。


鳥の唄

2005年11月21日 22時33分53秒 | 家族行事
今日は叔母の告別式。
約束していたゴルフはキャンセル。
11時より葬儀と初七日の法要を続けて行なう。
身内中心のしめやかだが大変充実した御葬儀であった。

夜は目黒のパーシモン・ホールでコンサート。
谷口節夫さんのチェロ・リサイタル。
谷口さんは家内の友人の弟さんで聴かせて頂くのは二回目。

曲目は「ドイツ3Bチェロソナタの夕べ」と題し
バッハ、ベーートーベン、ブラームスのチェロソナタ。
何か難しい、馴染みの薄い曲だったが
やはり「生の音」は中々良かった。
ただ素人考えだがピアノの音が勝ちすぎていないか少し気になった。

しかしながらアンコールは素晴らしかった。
ソナタと違いピアノが伴奏に徹してチェロの音を引き出している。
カザルスのカタルーニア地方の民謡からイメージを受けて作曲したと言われる
「鳥の唄」は秀逸だった。

スペインには3大パブロが居ると言われています。
一人はカザルス、二人目はピカソ、三人目は誰でしたっけ?
何か政治家だった様な気がします。
御愛想にスペインの写真を添付します。





叔母は天国へ

2005年11月20日 22時10分57秒 | 家族行事
叔母が94歳で天寿を全うした。
戦争中に一時叔母の家に縁故疎開した事もあり叔母には
可愛がって貰った記憶がある。
年老いた叔母の事は何時も気に掛かっておりお会いしたいと思っていたが
従兄弟の当たる叔母の長男が年老いた母親に会わせるのに躊躇いがあるように
感じられたので御見舞いも果たせずじまいだった。
生前お会い出来なかったのが心残りだ。

今夜御通夜で最後の御別れをして来たが
お顔もふっくらしており大変穏やかな表情をされておられた。
叔母への手向けに小生の作った花器に活けた花の写真を添付したいと思う。
写真の花は上から
白河原撫子
阿波黄金菊(菊の中では、その花は一番小さいという。)

合掌




Day 023

2005年11月19日 20時58分13秒 | 航海日誌
第23日目(6月12日)
時々船長主催のフォーマルディナーが行われる。

フォーマルディナーでは一応紅白ワインは飲み放題。
結構なフレンチでしたがデザートも秀逸。
MK御夫妻とも大いにお話が弾みました。



ディナーの後はコンサート。
船専属のバンドによるジャズからクラシックまで気楽な大変楽しいコンサートでした。
バンドのメンバーは全員ギリシャ人でギリシャ・ピレウスまで乗船し
そこからは別のバンドメンバーが入れ替わって乗船するらしい。
乗船中メンバーはコンサートはもとよりダンスホールの演奏、
夜はヘミングウエイ・バーでのソロ演奏とか結構忙しそうだ。
ディナーでの赤ワインが利いて来たのか
気持ち良いはんなりとした気分の夜が更けてゆく。


Day 022

2005年11月18日 20時56分55秒 | 航海日誌
第22日目(6月11日)

デッキでワカール・アル・クバイシさんと歓談。
女医さんである。
バグダットのアル・ナハライン大学で疫学と地域医療を専門とする医学博士。
戦争における地域医療の専門家として日本訪問後
日本からの車椅子など援助物資を持ってイラクに行くそうである。
次の寄港地ヨルダンで下船される予定。
「戦争終結」後の今も戦火の中で活動する博士に敬意を表したい。



初めて海豚(いるか)を見る。
船と平行して競争するように泳ぐと聞いていたがそんな感じは無く
沖を5~6頭でジャンプしながら泳いでいるのが眺められた。
デッキの我々は海豚の動きにつれて左舷から右舷へとドドドーと移動、
一瞬船が傾くのではないかと思える程でした。
被写体が被写体なので中々シャッターチャンスが難しい。
添付写真は丁度海豚が潜ったところ。


ボジョレ・ヌーボー

2005年11月17日 18時29分49秒 | 家族行事
今日はリタイヤーした会社の大先輩の元専務のI氏と厚木でゴルフ。
小生の前の前の事業本部長で何時お会いしても頭が上がらない。
お供は皆I氏の後輩になるK氏E氏。
大先輩に合わせた訳では無いがスコアは程々。
ゴルフより会社時代の同僚の近況、また現経営陣に対する意見など
談論風発、話に花が咲き楽しい一時を過ごす。

小生の帰宅後、程なく家人も相次いで帰宅。
ボジョレ・ヌーボーを買ってきた。
そう言えば今日はボジョレ・ヌーボーの解禁日。
小生へのプレゼントにと、朝から、あちらこちらのワイン売り場を歩いたそうだ。
ビンテージの若いワインは余り飲まないのだが
これは初物と言う事で早速今夜の食卓へ。
アイスバインにザワークラフト、それにたっぷりのマスタード。
確り茹で上がったジャガイモも新酒によくマッチする。

25年ほど前、丁度この時期フランスはリヨンを旅行した事があるが
ボジョレ・ヌーボーを当時住んでいたNYへ持ち帰り友人達にお裾分けした事がある。
今のようにボジョレ・ヌーボーは知られておらず
余りアプリシエイトされなかったほろ苦い思い出を思い出した。