A Slow Life of Mister Masuda

定年退職後のスローライフを公開!

修善寺

2010年07月26日 13時32分02秒 | 家族行事
7月13日(火)


昨夜から我々が泊まっている宿「蓬莱」は15組しか泊まれぬ
伊豆山の小さな温泉宿。
宴会場もなく食事は全てお部屋でとることになっている。
丁寧な食事のサービスが嬉しい。

朝食もお部屋で頂く。
脂ののった鰺の開きの和食。
温かいものを温かく、冷たい物を冷たく
食事はこれが一番だ。

今日は修善寺を回って帰ろうと云う計画。
途中網代にある和菓子屋さん「間瀬」でお土産を買う積りだったが
宿の仲居さんがその店なら熱海に支店がある教えてくれたので
熱海の街中をドライブ。
突然花屋の店先の紫睡蓮がミセスマスダの目に入った。
無理やり道端に車を止めて睡蓮をゲット。
昨年のインド旅行で魅せられて以来、
探していた睡蓮だそうだ、それは良かった。



予定道り「間瀬」でも土産の和菓子をゲット。



錦ヶ浦、熱海城をあとにいよいよ修善寺へ。






山伏峠に差し掛かったところで偶然陶芸ギャラリーを発見。
覗いてみると外人ディビット・アタマンチャックさんの陶芸工房。
「楓窯」と言って日本在住35年、バーナード・リーチの孫弟子と自称している。
奥さんはインターネットで知り合い10日前に結婚したロシア人。
新婚ホヤホヤの筈ずだがその雰囲気はなし。











ディビットの作品を一つ購入。
大振りの「ぐい飲み」
「炭彩黒焼き締め」 木屑や木炭と一緒に高温焼成し、
炭化で黒く色を出すが、入ってくる空気の影響で
一部酸化して白くなり景色となる。
北米大陸の原住民の陶芸手法にヒントを得たそうです。







ディビット・アタマンチャックさんとの語らいは大変楽しく
陶芸の勉強にもなった。






ディビットのところで予定外の時間をとってしまったが
愈々本日の目的地修善寺に向かう。



修善寺観光は桂川から始まる。



桂川の中の「とっこの湯」
今は足湯になっているようだ。
河原で病気の父親の体を洗っている少年を見て
その孝心に心を打たれた弘法大師が手にした(とっこ・仏具)で
岩を砕き霊泉を湧出させたとの言い伝えがある。



弘法大師の「とっこ」修善寺蔵





続いて修善寺に参詣。



修善寺の宝物殿をじっくり見学。
岡本綺堂の名作「修善寺物語」に因んだ展示が多数。











安田靭彦画








宝物殿にはそれ以外にも横山大観など色々なお宝が展示されていた。


川端粒子による天井画






桂川を少しのぼってゆく。



旅館「新井」。
老舗旅館は矢張り良い場所に建っている。



竹林を散策してみる。







指月殿 母北条政子が 暗殺された二代将軍頼家の霊を祀った













骨董屋も冷やかしてみる。甲冑から蓄音器まで
何でもあって、話し好きの店主と話が弾む。



能舞台で有名な「あさば」旅館に少し立ち寄り






帰途15号線 小田原の手前の石橋で夕食。
とろろ専門の食事処。
見晴らしは素晴らしい。









夕食で早速ディビットのぐい飲みを使ってみた。
以後運転はミセスマスダに替わる。
二日にわたるミセスマスダ古希記念ドライブは無事終了。



コメント (2)
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古希

2010年07月21日 21時36分05秒 | 家族行事
7月12日(月)




梅雨の真っ盛り 今日7月12日はミセスマスダの誕生日。
それも「古希」  近々子供達、孫達とお祝いの会食をするとしても
とりあえず古希を記念してミスターマスダと二人で熱海・伊豆山に行くこととなった。

午前8時半ごろ我が家を出発。
国道一号線を藤沢まで一般道 目的は「無料化社会実験区間」を走ってみようという試みだ。
もう一つの目的は海を見てみたい。
まず「新湘南バイパス」続いて「西湘バイパス」以前と変わらずスイスイ。
どんよりとした梅雨空 暗い空に静かな相模湾の海。





小田原を過ぎ石橋 今日の第一の目的地。
海に突き出したフレンチ・イタリアン ここで朝食だ。
伊豆に行くときはよく朝食をとる馴染みの店だ。



店の周りは絶景の岩場。





レストランの玄関ではビンテージカーもどきの「フォード・ティファニー」がお出迎え。
エンジンはマスタングで現役バリバリだとオーナーの自慢。



窓際の席に着いたが客席はまばら。
ビールは飲まずに水で我慢。





レストランのオーナメントに何故自転車があるのだろう。








国道から脇道に逸れ真鶴海岸真鶴漁港。
真鶴岬の先端にある「中川一政美術館」が次の目的地。



中川一政美術館の看板は画伯の自筆。
昭和の三大能筆は
高村光太郎
會津八一
中川一政
という事だ。



この美術館には所蔵作品800点のうち1割ぐらいを展示しているそうだ。
97歳で亡くなったそうだが90歳をこえても百合・向日葵・薔薇を描いていて
歳を取るほど元気な絵を描かれている。
マジョルカの「マヨリカの壺」が大好きだったようで、しばしば
中川の絵には現れる。





福浦は画伯お気に入りのスポット。

アトリエの復元





真鶴駅前の「ひもの屋」で京都の友人にお中元
「鰺の開きをはじめ近海魚」のクール宅急便。




愈々本日のお宿 「蓬莱」
玄関に続くロビーもこじんまり。
お香の香りが我々を気持ちよく出迎えてくれる。
客室は15 エレベータもなく現代から取り残されたような
古い出(い)で湯の宿である。











中庭を通りトントンと2階に上がると我々の部屋。
仕切りも夏の雰囲気で襖から よし戸となっており涼しそうだ。
何はともあれ早速ビール。




床の間のお軸は
高浜虚子の筆
女将が自ら選んで掛けるそうだ。







 



それでは温泉に行こう。
この宿には温泉が二つある。
その内の一つ「古々比湯」は
10年ぐらいまえに出来た温泉でモダンと云うよりコンテンポラリー
見方によっては反場の掘立小屋の風呂場のようだ。
高名な建築家・隈 研吾氏の設計だそうだが そのことを知っていないと恥をかきそうだ。








もう一つの風呂場は昔からある伝統的な風呂場 「走り湯」だ。

風呂場へは大木が生えている長い長い廊下を降りてい行く。

続いて長い長い階段を下りて行く。

今は時節柄近代的な施設となっていると思うが
終戦直後スキーで行った志賀高原「熊の湯温泉」のようだ。





湯船からはうっそうとした木々が見える。




風呂上がり  仲居さんと一緒にパチリ。




入浴が終われば愈々夕食。
仲居さんにミセスマスダは本日 古希であると話していたので
女将さんがランチョンマットに「文月 祝・古希」と書いて祝い膳を飾ってくれた。





お祝いと云うことで宿よりシャンペンのサーヴィスもあった。
シャンペンはエトシック・モノポール
ピノノアールの比率が高くエレガントな味。

日本ではシャンペンといえばドン・ペリニオンだがフランスではこれはトップ5に入っている。
あのタイタニック号の公式シャンペンになっていたのは有名だ。










道中事故もなし。
計画道りの旅程をこなしたが
少しお酒を飲みすぎたようだ。
明日は修善寺ドライブの予定。



















コメント (1)
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