A Slow Life of Mister Masuda

定年退職後のスローライフを公開!

マレード・チャヤ

2007年12月30日 23時03分17秒 | 家族行事
12月30日(日)

家人との年末は相模湾の海を見て、
それから食事はいつも葉山のレストラン「マレード・チャヤ」。
横横道路を逗子方面に向かうが高速道路の横風が激しい。
ハンドルを取られるので少しスピードを落としてのドライブ。
葉山の海は結構荒れている。




繋留しているヨットが文字どうり木の葉のように揺れている。
ミセスマスダは揺れているヨットを見ているだけで船酔いしそうだと言う。



目の前で強風の為ウインドサーフィンを操っていた若者が突然チン(沈)した。
ヨット言葉で風で横転する事だ。
ウエットスーツを着ていてもさぞ寒かろう。



何とかセールを立て直し何事も無かったように風を受け
ウインドサーフィンは再度帆走を始める。
若者は元気が良い。



予約の時間が来たのでマレード・チャヤへ。



今日の日経新聞のコラムに若山牧水の歌の引用があった。  

「人の世に 楽しみ多し 然れども 酒なしにして なにの楽しみ」

ミスターマスダはスズメ医者(やがて藪に行く)にポリープ摘出で
当分禁酒を言い渡されている。

今日のマレード・チャヤはシャンペンもワインも無し、ノン・アルコールのビールで我慢。
初めてトライしたがミスターマスダはノン・アルコールのビールはお気に召さない。
牧水の歌の通り酒なしでは楽しみは半減。

仕方なし、今年一杯は禁酒しよう。
と云っても あと24時間だ。

今年も明日は大晦日。
ジャンボー宝籤の抽選を待つばかり。
もうそろそろ当たる頃ではないかと内心予感している。
果報は寝て待てと云うからね!








(46)大聖堂

2007年12月29日 18時04分08秒 | 地中海紀行
(10月27日 続き)

パレルモ港より60キロ、
ティレニヤ海に面し岩山の麓の「チェファル」。
街の中心は「大聖堂」。
シシリー島は色々な国の侵略を受けたので
自衛上 教会も武装した時期があった。
チャーチ・フォートレスと呼ばれ要塞にもなったそうだ。



5人の聖者の銅像が大聖堂を守っているのだそうだ。



大聖堂の外装は石でごつごつしているが
内部は天井まで金をふんだんに使ったモザイク、ビザンチン風の仕上げ。



正面天井のモザイクのクローズアップ。



窓にはステンドグラス。
教会らしくないシュールリアリズムな
ステンドグラスに戸惑いを感じる。
何故コンテンポラリーのステンドグラスが
古い大聖堂にはめられているのか理由は不明。






(45)チェファル観光

2007年12月28日 16時07分03秒 | 地中海紀行
(10月27日 続き)

今日のシシリー島は快晴。
我々は早速観光バスに乗り込みパレルモ港より60キロ、
ティレニヤ海に面する岩山の斜面に位置する町「チェファル」を訪ねることとした。

高速を走ること一時間岩山の麓に目指すチェファルの街は見えてきた。



我々のバスは街の外側にパーク、其処からは徒歩で街の中心へ。
とは言え小さな街なので丁度良い散歩だ。



街のメインストリートから横に建物が立て込んだ小路が伸びている。
狭い場所に人々がひしめき合って住んでいる感じだ。



奥まった所に教会がある。



そこで人形劇のオペラを上演しているらしい。
小さな街だが住民の文化的な楽しみだ。



数年前のシシリー島中心の旅行と世界一周の船旅でシシリー島は大方見学し、
州都パレルモも相当丁寧に歩いている。
行く所が特に無かったのでチェファルの街を選んだが
不勉強でこの街の事は何の知識も無い。
パンフレットに書いてある大聖堂、ローマ時代の洗濯場を見学し
帰りにチーズとかパンチェッタなど購入したいと思っている。



今年最後のゴルフ

2007年12月27日 20時20分09秒 | ゴルフ
12月26日(水)

昨晩はシドニー時代の友人御夫妻達と
広尾のイタリアン「インカント」で忘年会。
大いに盛り上がったが
本日のゴルフがあるので帰宅後ベッドに直行。

今日のゴルフはミセスマスダと二人の忘年ゴルフ。
東名が交通集中による自然渋滞。
あまりのノロノロ運転に知恵を働かせた積もりで
海老名パーキングエリアの入口から出口に抜ければ
少しは前に出られるかなと浅はかな考えを持ったのが完全に裏目。
パーキングエリア内は出口に向かう車でニッチモ・サッシモいかず。
本線を真面目にストップ&ゴーで走っていればよかった。
30分以上のロスだ。
善からぬ事を考えた天罰か。

お陰でゴルフのスタートは10時半。
最終スタートなので後続組はない。
キャディーさん無しで二人で気侭にラウンド。



お日様も出ているし風も無し。
陽だまりにいるとポカポカ気持ちが良い。
池には鴨かオシドリか気持ち良さそうに泳いでいる。



ミスターマスダのゴルフは本日で今年は打ち止め。
馴染みのキャディーさんやコースの茶屋のおばさん達に一年のお礼を言う。
今年はクルーズに2回 入院もしたりしてゴルフの回数も激減。
数えてみたら今日で25回目 



運も「つき」もなく技術的にも不本意なゴルフ・イヤー。
鬼の高笑いが聞こえそうだが来年は充実したゴルフ・イヤーにしたい。

今年は本当にお医者さんにはお世話になった。
「3者を遠うざけろ」と云うそうだ。
医者・芸者・役者の3者である。
いずれも金が掛かると云う事だろう。
明日は内視鏡で大腸の検査だ。
ポリープを摘出する事になれば一泊入院。
来年は医者を遠うざける積もりだ。



(44)パレルモ入港

2007年12月26日 21時35分49秒 | 地中海紀行
10月27日(土)

船はシシリー島沖に到着。
特徴のあるパレルモの港の入り口にある
モント・ペレグリー山が現れてきた。



霧の掛かったパレルモの日の出を見ながら8時入港。



今回の観光はパレルモの街それと有名なモンレアーレは
前回見学しているので古い田舎町を訪ねることとした。

我々の船に文字どうり横付けして観光バス群が待機している。



中々立派な港だ。
埠頭の奥には大きなヨットハーバーがある。



埠頭の入口広場には女神の銅像が
ローマの方を向いて建っているのが印象的だった。




サイバー陶芸展(10)

2007年12月25日 09時46分35秒 | 陶芸
今日はクリスマス。
友人御夫妻達とイタリアン。

昨晩はヨット仲間の友人の庭より頂いてきた柚の実で
数日遅れの「柚湯」にもつかった。

年賀状も360枚出状した。

ジャンボー宝籤も購入、神棚に供えてある。
大晦日の抽選日を待つばかり。

植木屋さんが来て庭も綺麗にしていってくれた。
年末の気分が段々盛り上がってきた。

このところミスターマスダは結構熱心に陶芸工房に立て篭もっている。
年末年始に友達に差し上げる作品の制作に没頭と云うところだ。
釉薬の「黄イラボ」を何とか上手く使いこなしたい。

何度も試し焼きの後 何とか満足の行く作品が出来たと思う。
これら作品を「お嫁に出す」前に記念撮影をしてみた。
友人に差し上げる時は「箱書き」はおこがましいので
せめて黄色い布で包んで「花嫁衣裳」の代わりにしたい。

黄イラボ大井戸茶碗
15センチX7センチ



黄イラボ小鉢
12センチX5センチ



黄イラボ酒器
徳利
12センチX9センチ
ぐい飲み
7センチX4センチ



黄イラボ角皿
18センチX18センチ



黄イラボ角突き角皿
16センチX16センチ





(43)BAR

2007年12月17日 21時21分01秒 | 地中海紀行
(10月26日 続き)

船の中には教会をはじめカジノまで色々人の集まる所が在るが
夕食後に覗いて見たい所はバーだろうか。
船内には静かなバーもあるが
音楽が入っているバーが多数ある。

今まで撮り溜めた写真をご披露したい。

個性溢れるエンターテイナーのパフォーマンス
毎晩の楽しみだった。











10月26日はこれで終わり


(42)フェアウエル

2007年12月17日 16時39分20秒 | 地中海紀行
(10月26日 続き)

マルタ島の観光を終え船に戻る。
今晩はディナーはフェアウエルディナー。
フォーマルデーなのでタキシードを着用。
皆さん思い切ったお洒落でレストランに集まってくる。



フェアウエル・セレモニーは電気を消した暗闇の中
ベークド・アラスカで始まり大騒ぎ。



近くの廊下では旗を持ったお姉さんに連れられて子供達のパレード。



フェアウエルディナーのためにベビーシッターに預けられた子供達のお遊びだ。
この船では同室なら12歳以下の子供は無料。

フェアーウエル・ディナーも佳境に達し
バルコニーではレストランのウエーター達のパフォーマンス。
乗客に大受け。



お酒も充分回って来ると外人得意の「百足踊り」が例によって始まる。
飽きずに何時までも続く。



食事後 運試しに「ルーレット」。
ミスターマスダは今年は年男だが勝負事はどうも駄目らしい。




(41)兵どもが夢の跡

2007年12月17日 10時05分07秒 | 地中海紀行
(10月26日 続き)

マルタは聖ヨハネ騎士団が宿敵オスマントルコとの連戦の後
転々として1530年ついにたどり着いた土地。

騎士団の名前も聖ヨハネから「聖マルタ騎士団」と改称、
イタリアから技術者を招いて難攻不落の城壁を築き都市計画を練る。

城塞都市内部はマルタストーンとも呼ばれる特産の蜂蜜色の
石灰岩の建築物が300以上ある。

海岸線には高い城壁を、またその付け根に当たる場所には
幾重にも深い壕(今はパーキング)と強固な砲台を巡らす。







街中には縦横に整然と区切られた街路に沿って様々名建物が建設されている。

聖ヨハネ騎士団の迎賓館も今は首相官邸になっている。



正面玄関に大砲があり海を見渡せるバラッカ公園の前にある。
公園からの海の眺望は要塞を背景に素晴らしいの一語だ。



見学が終わったところでブレーク。
マルタのビールは中々のもの。
ソフトドリンクの「キニ」はビターオレンジ・ハーブを炭酸水で割ったマルタ名物。

ツアー終了後オーシャンターミナルの売店を冷やかす。



船内に戻ってのディナーはフェアーウエルディナー。
タキシード二度目の御出座し。







(40)カラバジオ

2007年12月16日 21時55分19秒 | 地中海紀行
(10月26日 続き)

聖ヨハネ教会堂の一部がカラバジオの絵画展示場になっている。
カラバジオの画は教会の至宝である。



騎士団員はヨーロッパの裕福階級の次男以下の子弟によって構成されている。
金の掛かる騎士の装備、また幼少からの騎士としての鍛錬は
経済的に恵まれた人々のみ果たされたものだろう。
親からの経済援助、あるいは相続などによる領地からの収入は
マルタにもたらされ、様々な建造物の建築や装飾に使われた。
騎士団員になるためには応分の経済的貢献も期待されていた。

カラバジオも騎士団に参加したい思いを持っていたが中々許されず
5枚の絵画を寄贈する事で漸く入団を許可されたそうだ。
「物納」と云う事である。

現在はその内 3点がここ聖ヨハネ教会堂に所蔵されている。
いつもは貸し出しなどで3点揃っての展示は珍しいのだが
今日は3点揃っての展示となっている。

「ヨハネの首を所望するサロメ」 はカラバジオの最大の作品。



「聖フィロエムス」 はヘブライ語だったバイブルを初めてラテン語に翻訳した聖者



初代ヨハネ騎士団長バレッタの肖像画
胸の十字架の模様はマルタの国章。



カラバジオの絵画は光と影を巧に表現した画家で
後年レンブラントが手本にした「光と影」の手法は見事。








(39)聖ヨハネ教会堂

2007年12月14日 21時48分55秒 | 地中海紀行
(10月26日 続き)

十字軍ゆかりのマルタ共和国バレッタの街は200年余にわたって繁栄した。
その黄金時代の名残は現在でもバレッタの城内に色濃く残っている。

聖ヨハネ騎士団長バレッタによって築かれた城砦都市で
特筆すべきは歴代の騎士団長が何代にもわたって心血・財産を注いで
建築し完成させた「聖ヨハネ教会堂」。

教会の入口の壁など流石に手の込んだ精緻な彫刻で飾られている。



正面祭壇に行く前に聖者を祭った幾つかの小さい祭壇がある。



正面祭壇はバチカンのサンピエトロほど大きくはないが
煌びやかさ飾り物の豪華さは一段上だ。
金と時間を充分掛けたことを窺わせる。



天井も金ピカ。
マルタに立ち寄った十字軍兵士や
立ち寄った旅人の度肝を抜くのには充分だ。



床には大きなプレートが埋め込まれており
その下に歴代の騎士団長の棺が安置されている。



大変荘厳な教会である事は間違いない。



(38)マルタの地下神殿

2007年12月14日 21時30分28秒 | 地中海紀行
(10月26日 続き)


マルタ騎士団の集会場が今は博物館になっている。



博物館を見学したが巨石文明の展示にビックリ。
巨石文明は5000年も前から起こり
地中海ではある時期まで一番進んでいたそうだ。
展示品の巨石はマルタの地下神殿からの出土品。
ローマのカタコンベより古いそうだ。



地下神殿の巨石文明の事はガイドの説明を聞いても良く判らない。
直径2メートルぐらいのコーヒーカップのような石器がある。
一同からこれでカプチーノを飲みたいと言う冗談が聞こえて来た。



下の巨石は豊穣とか子孫繁栄を祈念している像。





それにしても巨石文明は兎も角
地下神殿とは何のことだろう。
当時は密教だったのだろうか。
ミスターマスダの勉強不足。






(37)バレッタ旧市街

2007年12月13日 09時59分38秒 | 地中海紀行
(10月26日 続き)

何と言ってもバレッタの見所はマルタ(ヨハネ)騎士団の築いた要塞。
海に面している城壁の上には今でも当時の大砲が置いてある。
とは云え内部に入れば人々の居住地、由緒あリげな建物が沢山ある。
サンフランシスコよりもっと急勾配の坂の街だ。



街の中央広場は往時の面影はなく
フリーマーケットになっている。



それと騎士団の住家。
大変豪華なアパート・マンションだった様だ。
貴族の次男・三男坊が高額な義捐金と共に
イギリスから送られてきていた。
騎士団長の許、規律の厳しい大変統率のとれた
闘争集団だったようだ。



騎士団長は絶対的な権力を持っておりマルタ島を支配していた。
騎士団長の館はその権威の象徴、大変壮大で豪華なものだ。
現在「国会議事堂」として使用されている。
通常は見学が許されているのだが本日は国会開催中につき
建物内部は見学禁止、庭と建物の周りを見るだけ。








(36)バレッタ上陸

2007年12月12日 22時38分19秒 | 地中海紀行
(10月26日  続き)

マルタの人口は40万人 島の大きさは淡路島より少し小ぶり、
首都は今我々が着岸したバレッタ。

毎年100万人の観光客。
オーシャンクルーザーも400隻寄港する。
今日はあまり観光船が多くないが2・3見受けられる。





産業も観光、船舶関連が主なもの。
マルタ島本島以外に周りにも小島があり
その島々には観光フェリーが就航しており
人気のあるリゾートとなっている。

マルタは共和国なので当然入国手続きが必要。
多少時間が掛かっているので船上より街を眺めて過ごす。
キャビンのベランダで寛ぐミスターマスダ。





サンデッキでは上陸予定のない人達が日光浴を楽しんでいる。
ヨーロッパ人は地中海クルーズを何回もやっている人達もあり
入港中も観光に行かず船内生活をエンジョーイしている家族ずれも多い。



午前10時 下船・入国の許可が下りる。
出航予定の午後5時まで旧市街地を見物して歩く事になる。






(34)マルタ・バレッタ港

2007年12月12日 18時43分50秒 | 地中海紀行
10月26日(金)

朝8時すぎチェニジアはバレッタ港沖に到着。
パイロット・ボートが迎えに来た・



バレッタの城砦都市が段々近かづいてくる。



防波堤をかわすとバレッタ港へ入港。



バレッタは世界遺産にも登録されている城砦都市。
その昔より巡礼・交易の中継地として栄え
近代でも当時英国支配のマルタ島は独逸ナチの物凄い空爆を受けた。

ミスターマスダはハンフリー・ボガードの名作「マルタの鷹」の映画を
何回か見ているのでマルタには特別の興味を持っている。

バレッタ港への入港は圧巻、
マルタ騎士団が構築した要塞をまじかに眺められる。
こんな景色が存在するのだろうか圧倒される。
夢中でカメラのシャッターを切り続ける。







バレッタ港風景 次に続く