A Slow Life of Mister Masuda

定年退職後のスローライフを公開!

新国立美術館

2007年04月28日 21時49分16秒 | 家族行事
4月27日(金)
例の黒川紀章さんがデザインしたと言う「新国立美術館」を
SG御夫妻と連れ立って見学に出掛けた。

外見 見た感じは なぜか「繭」を連想した。
またイサム・ノグチの提灯ランタンに非常に似ていると思った。
鉄骨とガラスのこのコンテンポラリーな建造物は時が経てば
ランドマークと呼ばれる建物に成り得るのだろうか?





建物内部に入ると天井まで吹き抜け。
外部からの日の光でスケールの大きな空間がど肝を抜く。
ただチョッと巨大な温室のような感じがしないでもない。
好意的に云えば「障子を通して入ってくる日の光」をイメージしたものか。
ガラスが汚れる事もあろうしクリーンナップは大変だな。



その明るい大空間と絵画展示室の間を区切っているのがこの回廊。
入場者はこの少し薄暗い回廊をゆっくり歩きながら
芸術鑑賞の心の準備が出来るのだろう。



館内3階には有名シェフがやっているレストランがある。
なにか御盆の上に乗っている様で不安定な感じ。
大変な人気で何時テーブルに有り付けるか全然目途も立たない。
諦めて近くの馴染みのイタリアン「ニノ」へ。
芸術鑑賞もまた次の機会に。





久し振りのセーリング

2007年04月28日 21時33分02秒 | ヨット
今日4月28日 久し振りにヨットを楽しんだ。

ヨット仲間のOさんがバングラデッシュから一時帰国中で
セイリングに参加すると言う。

Oさんはバングラデッシュの空手ナショナルチームの監督さんをやっている。
JAICAから外交官ビザで派遣されているのだ。
出航前 例によってビールで軽く宴会をしながら
Oさんのバングラデッシュ報告を聞く。
夜間外出禁止とか治安に問題ありと聞いていたが大したことは無いらしい。
あちらでの生活はハッピー・ハッピー 唯一の不満は単身赴任。
バングラデッシュは住み易い、インド・パキスタンへの旅行は楽しいよ
と奥さんを目下説得中との事。

風は南西の風なので寒くは無いが少し強い。



クルーも結構真剣にセーリングに集中している。



今日はキャンティの赤 御機嫌のミスターマスダ。



天気予報どうり午後から風が強くなってきた。
風速は10メーターを超えているようだ。
リギンがヒューヒュー鳴り出した。
安全第一 早々に帰港。



今日は強風のもと豪快なセーリングが出来
一同 大満足。




(42)デューン

2007年04月15日 17時24分56秒 | 南半球膝栗毛
第19日目 2月28日 (下)
ナビヤ砂漠のハイライト 遂に砂丘・デューンにやって来た。

贅沢なオプショナルツアーなのでサービスも至れり尽くせりだ。
砂丘の前にシャンペンと生牡蠣のテーブルが用意されている。
丁度喉も乾いてきた所だし
どちらも良く冷えていて大変よろしい。
ウォールビスベイの牡蠣はシドニーの牡蠣に似ておりオイリーではなく
あっさり淡白で好きな牡蠣だ。



デューンを前にして暫しの一休み。



ミスターマスダはデューン登山を試みるが途中でリタイヤー。
頂上まで登ると大西洋が見えるらしい。
残念な事をした。



砂漠の風紋が印象的だ。



ナビヤ砂漠にもう来ることは無いだろう。
しっかり眼に焼き付けて置こうと時を忘れて砂漠の景色に見入っいた二人ずれ。



港に近づき住宅地に入ると昔のドイツ支配の名残のドイツ風の建物が
所々に見られた。

帰船後 夕食は今ニューヨーカーに評判というNOBUの寿司カウンターへ。
外人向けメニューを中心に注文。
カリフォルニア・ロール、ソフトシェルクラブとか海老の天麩羅巻き、
アボカドや牛肉の握り 中々ユニークだし楽しめた。
ただしNYでも「すしでん」の本格的江戸前のほうがミスターマスダは好きだ。

我がセレニティー号は午後6時過ぎ 我々にとっては最後の航海
南アフリカ連邦 ケープタウンに向け出航。



(41)ナビヤ砂漠

2007年04月15日 09時15分19秒 | 南半球膝栗毛
第19日目 2月28日 (中)
キャラバンサライがあったのかなと想像されるオアシス跡でカメラストップ。



溶岩の岩肌の山 あまり見ない光景。



あたりのブッシュにはサソリ、サイドワインダー、ジャッカルが潜んでいるらしい。
月の表面(誰も実際に見たことはないが)にそっくりな景色と云われている。

ヴェルヴィッチア・ミラビレスというこの植物は、
ナビア砂漠にしか育たない木と草の合いの子の植物。
1500年位生息しているものもあるそうだ。
1年に15センチから20センチしか成長しないそうで、
この写真のもので、200年ぐらい経っているとの説明を受けた。



今は半分枯れているように見えるが季節になると綺麗な花を咲かせるという。

砂漠と云うより荒野にちかいが開発も進んでおりパイプラインと単線の鉄道が
首都まで敷かれている。



偶に走ってくる列車に偶々ラッキーにも出会った。







(40)ウオルビスベイ

2007年04月14日 09時05分46秒 | 南半球膝栗毛
第19日目  2月28日  (上)
7時半ごろ海豚のジャンプの歓迎を受けてナニビア国ウォルビスベイに接近
目の前に広大な砂漠が現れる。
ナニビアはアフリカの小国と言う以外 何も知らない。
海上から簡単に砂漠が見えるのに驚く。
ウォルビスベイは遠望するに砂漠の中に造られた街(村)の様だ。



パイロットボートが近づいて来る。



9時 ウォルビスベイ埠頭に接岸。
早速砂丘見物に出発。
人の生活圏は植樹したり道路を敷いたり開発している。



鄙にはまれな立派な自動車道路だ。
暑い荒涼とした乾燥した荒地を4輪駆動の三菱デリカで疾走。
この国でも日本の工業製品は圧倒的に人気がある。
ドライバー兼ガイドのジェームス君は三菱デリカが砂漠で如何に信頼性があるか
高速で運転しながら延々と「演説」は続く。
逆らうと運転の手許が狂ってしまうと困るので
三菱がリコールで問題を起こしている事をつい云いそびれてしまった。



車は砂漠の奥深く入って行く。
ゴツゴツした岩山に近づく。
オーストリッチの群れが歩いている。
その昔 オーストリッチ(駝鳥)を食用に飼育していたが
今は野生化して砂漠に生息しているそうだ。
卵一個から50人分のスクランブルエッグが出来るそうだ。







(39)ファッションショー

2007年04月13日 09時27分44秒 | 南半球膝栗毛
ファッションショー
2月27日
船内の貴金属・時計店、ブティックなどの共催で
「船上大ファッションショー」の開催のはこびとなった。

モデルは乗船客のボランティア。
子供から成人、老人まで25人 バラエティに豊んでいる。

衣裳、アクセサリーは店頭に展示してある物を全て貸し出す。
フアッションショウ出演者に限りファッションショーで使ったものを
15%引きで購入できる”特典”がある。

姉妹での参加、チビチャンの方はずっと顔を伏せたまま。



ミスターマスダもモスグリーンのシャツを借りて舞台を歩く。
ハット、グラス、パンツ、ウオッチ、シューズなどは自前。

ファッションコーディネーター・スタイリストは勿論ママ。
仲間からは御世辞もあり大好評。



ピンクのパンツスーツ、カジュアルウエァとは思えないエレガントな雰囲気。





フィナーレは、夏のタキシードと華麗なドレス、
俄かモデルとは思えない,堂々たる姿。  




(38)グランド・ガラ・ビュッフェ

2007年04月13日 06時53分31秒 | 南半球膝栗毛
グランド・ガラ・ビュッフェ
2月27日



ブリッジ操舵室見学の後はランチ。

今日のランチは特別、「グランド・ガラ・ビュッフェ」。
フレンチ、イタリアンほか各料理部門のヘッド・シェフやパテシエが
一堂に会しての腕に撚りを掛けた大ビュッフェ。

料理は勿論 見た目にも充分気を使った演出だ。
綺麗に並べられた料理を取り崩すのは勿体無い気がするほどだ。

要所要所には立派な”盛り花” 氷柱や大型野菜の”彫刻”。
シャンペン・ワイン等酒類・前菜・スープ・主菜・サラダ・デザート・チーズ・果物
パン・コーヒー・紅茶 50余りのテーブルに、
これでもかこれでもかと並べられている。
世の中には,充分な食べ物に恵まれていない人の方が多いのに・・・・・。

シェフのユニフォームを着たミュージシャンの生演奏が続くなか、
優雅なランチタイムはいつ終るともしれない。









さあ ランチが終ったら次は午後4時から
ミスターマスダが出演するファッションショーだ。
初めての経験なので多少緊張している。




(37)ブリッジ見学

2007年04月12日 09時26分08秒 | 南半球膝栗毛
ブリッジ
2月27日
セキュリティの問題でブリッジ操舵室の見学は中止となっていたが
突然 船長より日本人乗客有志をブリッジに招待すると連絡あり。
早速 仲間を誘い合ってブリッジに出掛ける。

先ず 船長さんが貸して呉れた船長帽をかぶって船長さんと記念写真。
船長さんはスエーデン人、海の男で右の腕には刺青もバッチリ。



船は4年前にフランスで建造された新鋭船でハイテク装備。
見学に行った時 広いブリッジに見張り役の下級船員(?)が二人だけ、
船は時速18ノットで自動操縦オートパイロットで順調に航行中。



船員さんが双眼鏡を貸してくれたが
大西洋のど真ん中 行き交う船も無く
見えるものは海・海・海ばかり。
その昔は このあたりは「海の銀座」だったそうだが
スエズ運河開通以来めっきり往来が少なくなったそうだ。



ブリッジにある舵 舵輪(ダリン)はよく映画などで見る大きなものを想像していたが、
この船の舵輪はモーターボートのそれと変わらず、少し頼りない感じ。



これは方角を計る計器だが、これは想像どうり。




(36)楽しい船上生活

2007年04月11日 09時04分14秒 | 南半球膝栗毛
第18日  2月27日
午前9時 船長の艦内放送で船の現在位置 スピード 天候等など
何時ものように船の状況を知らせてくれる。

今朝は少し寒い。
プール、ジャグジーも「良い湯加減」でお待ちしていますとの
特別アナウンスも追加された。



11時すぎブリッジ(船橋・操舵室)見学。
ハイテク船のブリッジはすっきりしていて大変シンプル。

船内にはこのセレニティ号が訪れた各港から贈られた「盾」が
廊下の壁一面に貼られている。
シドニー港やウエリントン港 サンクトペテル港もあるが
清水港の富士山をデザインした盾を見つけて驚いた。




昼食はクリスタルコートで「グランド ガラ ビュッフェ」
各国のシェフが紹介されお国の料理が豪華に並べられ大いに楽しめた。

今日もセレニティ号は青い海を白波をたてて気持ちよく滑って行く。



午後3時より乗客による「ファッションショー」
店内売店の商品を貸し出し乗客が思い思いのいでたちで出演。
ミスターマスダもモスグリーンのシャツを借りて舞台を歩く。
25人の乗客がファッションショーに参加したが結構好評だった。

5時からは船内オリンピックの表彰式 この7日ぐらいチェス、ブリッジから
ゴルフのパター パドルテニス トライアスロン エトセトラ  
色々のゲームの優勝者の表彰式だ。
船長も出席し楽団も大きな音を奏で大騒ぎ。

夕食はクリスタルダイニング デザートのメレンゲが秀逸。
例によってギャラクシーシアターのピアノとコメディーショーを覗いて就寝。

クルーズも終わりに近づいてきた。
海をよく眺めておかなければ。
デッキに出ると日没が印象的だ。



今日は長い一日だった。
時差調整で一時間時計を進める。




(35)船上運動会

2007年04月10日 06時51分29秒 | 南半球膝栗毛
(乗組員の運動会)
2月26日
船は昨日セントヘレナを出港 ウォルビズベイに向け三日間のクルーズだ。

乗客達の御機嫌を取り結びかたがた
船員達の慰労も兼ねて「乗船員職場対抗船上運動会」が行われた。
勿論 乗客達も出場選手の中に顔見知りの船員を見つけ応援に励んでいた。

チェアーガールも出現 観衆も大騒ぎ。



一糸乱れず統制が取れて”綱引き”しているのは「エンジニア・チーム」。
これなら船のエンジンやメカは安心して任せられるだろう。



ミスターマスダが個人的に応援した「ソムリエ・チーム」。
「舌と鼻」は確かなのだろうが腕力はどうもね。



これはプールに丸太を渡たしその上での「格闘技」。
人と云うものは他人の災難、不幸を ああも喜ぶものか。
船長さんも飛び入り参加で
観衆の期待に違わず目出度く「ドボン」。





(34) ゴッドマザー

2007年04月09日 09時02分35秒 | 南半球膝栗毛
第17日目  2月26日
快晴 船は快調にウォルビズベイに向けて航行中。
我々は朝からプールサイドで寛ぐ。



ママはジャグジーがお気に入りだ。

今日は船員たちの船上運動会。
馴染みのウエイターを応援。
最後は船長さんも出場して大いに盛り上がった。
観衆の乗客も大喜び。

続いて パームコートでアメリカン・ハイティ、
バンド演奏とダンスの午後だ。



今夜はフォーマル・ディ。
クリスタル・ダイニングの入り口の所にある 
ジュリー・アンドリュースの肖像写真の前で記念撮影。



彼女はこの船の「ゴッドマザー」名付け親、サウザンプトンで4年前に
この船を「クリスタル・セレニティ」と命名したそうだ。


ディナーのあとはギャラクシー・シアター(ダンスショー)。

カジノではスロットマシーン、戦果はトントン。








(33)パッティング・コンペティション

2007年04月08日 19時41分39秒 | 南半球膝栗毛
(パッティング・コンペティション)
2月25日
船はセントヘレナを出港 大西洋をウォルビズ・ベイに向って航行中。
また平穏な船内生活が始まった。

この間から「船内オリンピック」が開催されている。
競技種目はデッキ・テニス、輪投げ、ミニ・サッカー、チェス、
フォト・コンテスト、ブリッジ、等など。

船内では「船内オリンピック」の一環としてゴルフ・パティングコンテスト
行われ多数の乗客はお揃いの特性Tシャツを着て参加。

ミスターマスダが3番ホールでホールインワンを出すと
すぐ後でプレイしていたママも同じ3番ホールでホールインワン。
夫婦が連続のホールインワンと大いにはやし立てられた。





最初は順位ボードにミスターマスダの名前があったが
いつの間にか圏外に消えてしまい残念。








(32)南海の孤島

2007年04月07日 11時58分25秒 | 南半球膝栗毛
2月25日 夜
セントヘレナでは久し振りの大型観光船の来訪で
島をあげての大歓迎。

教会では特別ミサが執り行われた。
島の発行している週間新聞では特集記事が組まれた。
フリーマーケットも開かれた。

帰船の為テンダーの船着場に着いた時は
千人位の島民の野次馬が見送って呉れた。
島民にとって我々の寄港は大きなイベントだったのだ。

船内では島のプリンス・アンドリュー学校の生徒達を船に招待し
島を題材にした歌のコーラスを披露してもらう。
この日の為に練習に練習を重ねてきたそうだ。




島で会った少女もコーラスに参加していた。



大変大きな拍手の中を下船して島に帰っていった。
あの子達の将来はどうなるのだろう。

午後4時船はウォルビズベイに向け抜錨出帆。

船内では船内オリンピックの一環としてゴルフパティングコンテストが始まった。
ミスター・アンド・ミセス・ッマスダも勇躍参加。

夕食はイタリアンの「プラゴ」 船窓よりの日没が印象的。

どうでもよい事ではあるが
本場イタリアには無いそうだが
日本にはトマトケチャップをまぶした「スパゲッテー・ナポリタン」がある。
香港や中国南部では「スパゲッテー・ナポレオン」(掌破倫意粉)と
名付けられているそうだ。
この話 本当かなあ!
セントヘレナでは何と言うのだろう。



ギャラクシーのビブラホーン演奏はイマイチ。



ナポネオンの流刑の地セントヘレナを今後再訪する事は無いと思うが
それなりに忘れ難い、印象に残った一日であった。




(31)セントヘレナ

2007年04月06日 11時55分47秒 | 南半球膝栗毛
2月25日  午後
セントヘレナは淡路島と同じぐらいの大きさの島。
島には見るものがあまりなく
英領コモンウエールスなので英本土より総督が派遣されており
ガバナーハウスがあるが,その前庭に飼われている
200歳になるという「亀のジョナサン」
これもこの島の名物のひとつに数えなければならない。




船着場の村と、丘の上にある村をショートカットで結ぶ斜度45度の階段
「ジェーコブの梯子」は699段の階段 とても恐ろしそうで大変そう。
村の若い人はその「ジェーコブの梯子」を昇り降りしているそうだが
年配者はには無理。
迂回路を遠う回りして丘の上の村に行くしかない。
この急斜面の階段を見学して観光は終わり。




ホテルもあるが誰が泊まるのか?



島のメインストリート 建物の裏庭には岩山がせまっている。



島のスーパーや土産物店を見て早々と船に帰る。


島民の生活は自給自足が出来ているようには思えない。
観光業もそれほど観光客が来る訳ではなし
これといった民芸品もなく土産物はみな英本土からの輸入品。

英国政府からの補助金で生活が成り立っているようだが
小ざっぱりした家に住んでおり建築中の建物も散見される。

人口は最盛期の7000人に比べ減って4000人弱 黒人と白人の混血が殆ど。

シャビーだがヨットクラブもあり「ガバナー杯ヨットレース」も行われている。

畑も家庭菜園的なもの漁船もあるが本格的なものではなく
産業と呼ばれるものではない。
船は沖泊めで漁港一つなく荷物ははしけで降ろす。
島の生活について情報不足もあり理解しがたいところもあるが
島の人達の生き甲斐は何だろう。

英国の主権を主張する目的で島民を住まわしているのか。



(30)ナポレオン・ボナパルト

2007年04月06日 09時00分09秒 | 南半球膝栗毛
第16日目  2月25日  午前中
英領セントヘレナは南海の孤島の名に相応しく火山性の緑の少ない
切り立った島で砂浜は見られない。



ナポレオンの流刑の地としてこの島は有名。
まずナポレオンの墓跡、住居などを見学。
この辺り一帯の土地は数十年前イギリスよりフランスが譲渡され
フランス領になっているそうだ。




ナポレオンの住居内部を見学したが
あのベルサイユ宮殿に比べれば掘っ立て小屋の様なもの。
800人の付き人を従えての生活とは言え元皇帝にとっては
随分質素な寂しい生活だったと想像される。



ナポレオンと同じく流刑の身となった
後鳥羽上皇や後醍醐天皇の流刑地 隠岐に行った事を思い出した。

”我こそは新じま守よ沖の海のあらき浪かぜ心してふけ”

後鳥羽院が,隠岐に流された折 詠まれた御歌。
隠岐への道中 海が荒れたと云うより流刑の身の厳しさを嘆き詠んだものだろう。
なぜかこのセントヘレナでナポレオンの身の上と重なり
後鳥羽上皇の御歌が頭から離れなかった。