A Slow Life of Mister Masuda

定年退職後のスローライフを公開!

66)帰国

2015年12月02日 11時03分47秒 | 2015 巴里
9月234日(木)

午前8時アパルトマンに迎えのタクシーが来る。
早速CDGド・ゴール空港に向かう。
我々の搭乗機はエール・フランス
11時間半我慢していれば羽田に着く。



9月25日早朝羽田に帰って来た。
タクシーで家に帰ったが家は出発時と変わらず。
庭も人を頼んで見て貰っていたので雑草も無く一安心。
車のバッテリーだけが上がっていたがそれはいつもの事。
これから鶴見の平和な生活が再開する。
大団円


65)パリ最終日

2015年12月01日 10時58分29秒 | 2015 巴里
9月23日(水)

風邪は回復しない。
首にスカースを巻いたら少しはよくなった。

明日朝帰国、今日はパリ最終日なので昼食は豪華にエッフェル塔
の見える高級レストランと決まっていた。
風邪をおして多少無理して出掛けて行ったが何とかなるものだ。
エコール・ミリタリーから公園内を横切ってエッフェル塔の下に出た。
途中、日本人観光客に会ったのでエッフェル塔の写し方を教えてあげた。
エッフェル塔を指で抓んでいるあれである。
セーヌに突き当たり右に折れ川沿いに行くと10分ぐらいで
アフリカ系の美術館「ケ・ブランリー美術館」に着くが
その屋上がレストラン「レ・ゾンブル」である。
次男のJYクンお勧めとかミセスマスダが言っていた。



屋上にあるレストランは天井がガラス張り 
エッフェル塔が見えるようになっている。


スターターのリゾットは美味かった。
ワインはよく冷えたシャブリ。
メインは鯛のソテー、デザートは苺 文句なしである。



この苺のデザートの美味しさは筆舌に尽くし難し。
とりわけ苺のソースの美味たるや・・・?


レストランの外は見晴らしの良い屋上である。
モンマルトルが見える。
エッフェル塔とこの旅行最後の記念写真。

食事は良かったが風邪の症状は余り回復せず
午後からの散歩は休み休み。セーヌ川沿いは落ち葉の季節、もう秋だ。


イエナ橋を渡りダイアナ妃のモニュメント左に見て モンテーニュ通りに出る。
有名ブランド店の前で立ち止まりシャンゼリーゼまで
これで今回のパリは終わり。お気に入りのホテル・「プラザ・アテネ」
続いてエルメスやグッチのショウウインドウ



パリ名物「焼き栗屋」が出て来た。やっぱりもう秋だ。


途中ミセスマスダがどうしてもと一人で「ボン・マルシェ」へ買い物。
ミスターマスダは一足お先に帰宅。
今夜はビールとサラダ・焼き飯と軽く行く。

ミセスマスダはもういつでも出発できるようパッキングも完了。
パリ最後の夜である。 


64)シャンソン

2015年11月30日 13時45分18秒 | 2015 巴里
9月22日(火)

のど風邪を引いたらしい、外出を控え家ですごす。
ミセスマスダはボンマルシェあたりに最後のお土産を求めて出撃。

午後二人で近くのチーズ専門店へ出向き土産のミモレットを買い
これで土産物の買出しは終わり。

夕食は卵入りのおじや。午後8時を待って外出。
行く先はモンマルトルのシャンソン酒場・「ララン・バジル」
9時オープン,終演時はその日の気分次第、明け方までという。
かってピカソやユトリロら画家達の溜り場でもあった。

お店の看板。「ラパン・アジル」とは「はねウサギ」、
画家アンドレ・ジルの絵。
シャンソン酒場の正面


ピアノに合わせて6人ぐらいの男女がテーブルを取り囲んで座り
手拍子、机をたたいたりしてリズムを取りながら合唱
時々その内の一人が独唱をする独特の演奏形式テーブルを囲んでの合唱。

聴衆のなじみのシャンソン、民謡なのであろう。
良く練習しているらしく見事なアンサンブル・演奏だが
残念ながらミスターマスダはどの歌も聞いたことが無い。
シャンソンと言うよりドンコサックか歌声喫茶の雰囲気。


我々になじみの曲が少なくサービス精神にかけると思う。

ギターの弾き語りや独唱もあったが聴衆はお酒も余り飲んでいないし
タバコも吸っていないのでピアフの時代と会場の雰囲気は違うと思う。

「枯れ葉」は聞いたけど「愛の賛歌」「サントワマミー」など
日本人に馴染みの歌を聞きたかった。



63)パリ時計

2015年11月29日 11時32分27秒 | 2015 巴里
9月21日(月)午後

ノートルダム寺院の一番高い展望台からパリの街を俯瞰している。
正直言ってあまり高くないので地上の様子が良く解って却って面白い。






このパリジェンヌはノートルダム寺院の登り口に居る改札係。
行列で待っている1時間半の間、何べんも彼女に様子を
聞きに行ったので親しくなり冗談を言う関係になった。

ランチは寺院となりのブラセリー、3年前に食べた
オニオングラタンとリブステーキを注文。
3年前と同じく美味かった。



近くで土産物を物色、鶴見にはパリの名所が描いてある時計。
次男のJYクンがデッセルドルフに帰る前に何か記念品を買いたいと
話したらユーロを置いて行ってくれたのでそれを使わしてもらった。

時間に余裕があったので以前訪ねて感激した近くの
綺麗なステンドグラスで有名なサント・シャペル教会を尋ねたが
入場一時間待ちの行列で見学断念。
3年前はこんなことは無かったのに,ノートル・ダム寺院との
共通入場券に名前が載った関係で来場者が多くなったのだろう。

メトロでバスチーユへ。シテ駅はアールヌーボーの飾りのある絵になる駅だ。
バックパッカーの「おのぼりさん」と仄々としたチョット良い写真だと思う。


最後はバスティーユ ここのパン屋で東京への土産の
超大型のメレンゲを購入。

結構帰宅が遅くなった。
夕食は鶏蕎麦。熱々に玉子を割って親子蕎麦に。
ランチがステーキなので夕食は軽めと言うミセスマスダの配慮である。




62)ノートルダム寺院登頂

2015年11月28日 11時30分29秒 | 2015 巴里
9月21日(月)午前

ノートルダム寺院の登頂は長男のSTクンが滞在中、一緒に
登ろうと二度ほど試みたが、いつも夕方になり入場時間が
切れたばかりの時で登ることが出来なかった。

STクンは以前にも登ったことがあり「一のお薦め」と言い残して
日本に帰って行った。薦められていたこともあって、
ミセスマスダはなんとかして登って行きたいと思っていた様子。
そこで本日ノートルダム寺院の登頂を決行した。

この登頂の難関は二つ、
一つは入場するまで大変な行列で我々は今日1時間半並んだ。
幸い東京からシルバーウイークを利用して来たカップルと同じ列
だったので四方山話をする間に列が進み並ぶのも楽しと言うところか。

二つ目は387段もある狭い螺旋階段を登らねばならぬ。
狭いので追い越しがやりにくく休まずに一気に登らねばならぬ場合がある。ミスターマスダは入場直前まで心臓病のこともあり躊躇していたが
これだけ待ったのだからと一大決心をして登ることに決めた。
登り始めたが時々何とか下から登ってくる人達をパスさせ
心臓に負担を掛けずに登りきった。

ノートルダム寺院を下から見ていると良く見えないが
登って近くで見ると色々な「魔よけの獣」が随所にある。








遂に鐘楼の階まで登って来た。特に心臓への負担は無い様だ。
大きな鐘だ。


金網越しに見るパリの俯瞰も見ごたえがあるが
寺院の屋根とか飾りとか近寄って興味深く観察でき楽しかった。




61)考える人

2015年11月27日 10時26分12秒 | 2015 巴里
9月20日(日)

週末を我々とパリで過ごすためデュセルドルフから来ていた
次男のJYクンと孫娘のAYちゃんが今日は帰る日だ。

「考える人」が見たーい  とやって来たAYちゃん、
ならば是が非でも 家から徒歩15分のところにあるロダン美術館
の庭を散策「考える人」にお会いして後、デュセルドルフに
帰ろうということになった。アンバリッドのドーム
ロダン美術館の入り口

青空 光線の具合も良く良い写真が撮れるだろう。
何といってもロダンは「考える人」だろう。




この旅行でこの庭に来るのは今日で3度目。
昔駐在員稼業をやっていたとき来客を何度も
名所古跡にご案内したことを思い出す。
ミセスマスダが孫娘と名残り惜しそうに何か語らっている。
今度彼らと再会は日本でお正月の一時帰国の時となるであろう。

北駅 ミスターマスダは終点型の駅のプラットホームを見るのが好きだ。デュセルドルフに向け国際TGVの前で。JYクンとAYちゃんを北駅まで送りバイバイ。
彼らを乗せたTGVは12時01分
デュセルドルフに向け静かに発車。

先週長男のSTクンをモンパルナスで見送り
今日はJYクン・AYちゃんを北駅で見送る、
永遠の別れという訳でもないのに
何か力が抜けて物寂しい気持ちであった。

二人の息子達は今働き盛り、社会的にも責任のある
仕事をしている中、親の希望を聞き入れて
パリまで尋ねてきてくれて親孝行息子と感謝している。

大変思い出に残る我々のパリ一ヶ月滞在となった。




60)トラン・ブルー

2015年11月26日 19時36分02秒 | 2015 巴里
9月19日(土)午後


孫娘AYちゃんの{パリの休日}。
駆け足だったが一応名所旧跡を網羅したと思う。
父娘・爺婆4人の楽しい一時であった。
さて本日の最後は「トラン・ブルー」で夕食。
ここは3年前、今回のようにパリに長期滞在したとき以来の
お気に入りのレストラン。

リヨン駅のプラットホームでTGVを見学。

トラン・ブルーは駅舎の2階にある。
古きよき時代のパリ・リヨン駅の貴賓室をレストランにした内装は
何度行っても楽しめる。



嬉しい事に窓際の良い席が用意されていた。
ワインはお気に入りのサンテミリオン。

生後数カ月は母乳で育つので未だ草を食べていない子羊ルプレサは
極上の子羊の証だと言われているが幸運な事に
今日はこれが入っているという。
我々の席の横、丸々一本焼き上げたレッグ・オブ・ラムを
クリストフルの銀器に飾りつけるように盛り切り分けて
くれるという本格的なサーヴィスが心地良い。



久しぶりのババオラムも良かった。可愛いお嬢さんがラム酒を垂らしてくれる。見ているだけで楽しい。



今日一日次男JYクンと孫娘AYちゃんと一緒のパリ観光 楽しかった。


59)パリ観光

2015年11月25日 19時43分13秒 | 2015 巴里
9月19日(土)

昨夜10時過ぎに待ちに待った次男のJYクンと孫娘のAYちゃん
がデュセルドルフからパリの我がアパルトマンに到着。
老夫婦の居間が急に明るく賑やかになった。

今朝は朝食も若者向きにフライドエッグも付き賑やか。
今日の行動予定は孫娘の希望を中心にパリ市内観光計画を立てた。

まずエッフェル塔見物。メトロを降りるとミリタリー・アカデミー
陸軍士官学校と言うところか。
正門の衛兵もフランスらしくリラックス。

ミリタリー・アカデミーの前にエッフェル塔はそびえている。
エッフェル塔見物は型通り、もう何回目か。
近くの日本クラブから大勢の日本人ご婦人が出て来た。
何だろう。カラフルな着物はパリッ子の目を引く。

続いてセーヌ川橋めぐりクルーズ、JYクンに今日のクルーズは
何回目と聞かれこの旅行では3回目というと
まるで駐在員なみだと笑われた。


地下鉄でエトワールに出て凱旋門をちらりと見てシャンゼリゼを散策。

タクシーでピラミッドに出て孫娘の希望していたキッシュロレーンで昼食。
近くの日本書店で孫娘は買い物。そこから食後の散歩を兼ね
チュイルリー公園からオランジェリー美術館。ここも3回目。オランジェリー美術館の正面のロダンの彫刻「接吻」の前で。

JYクンが父親らしくAYちゃんと話し合っている姿を見るに付けこの旅行は良かったと思う。

地下鉄でオテル・ド・ビラ(市役所)に出てノートルダム寺院。
ここも2回目、夕方のミサが良かったがこれも2回目。


セーヌの岸辺を散策ているとアパルトマンの窓から声が掛った。 「ジャポネ?」気さくな愉快な街だ。
これから夕食。リヨン駅のレストラン「トラン・ブルー」に向う。





58)ボン・マルシェ百貨店

2015年11月24日 17時46分17秒 | 2015 巴里
9月18日(金)

今日は夜 デュセルドルフ在住の次男のJYクンと孫娘のAYちゃんが
パリで我々と週末を過ごすため尋ねてくる。

今日は特別な予定は組んでいない。
家から徒歩10分高級百貨店ボン・マルシェのある
バビロン地区を散策するにとどめた。この間ヴェルサイユ宮殿で昼食をとった
アンジェリーナ、ここは洋菓子を主体としたお店。

バビロン地区は古くから栄えた街、
昔からの建物をしっかり保存、見事な景観を見せている。
一階はお店のなって居り思い思いに綺麗にショーアップした店先は
ウインドーウショッピングしているだけでも楽しい。
スタイリッシュな雑貨店。カラフルな小物が並ぶ。
ミセスマスダは、明日、孫娘と是非来たいと云っている。

最高級のチョコレートショップ。まだ日本には上陸していないそうだ。





街かどの小さな公園、手入れも行き届いて居り綺麗な花も絶えない。







修学旅行中の女学生たち。


公園の隣はボン・マルシェ百貨店。


高級百貨店に並ぶ御寿司の数々。鮪・サーモン・しめ鯖・稲荷ずしまでも。



夕食用にはボン・マルシェのシーフード売り場で一番大きな舌平目
を買ったのだが、パッキングが余りにも素晴らしい、贅沢過ぎる
くらいだとミセスマスダは写真に収めた。
ちなみにこの平目一枚は19・98ユーロ、日本円にすると2千7,8百円か?
パリは物価が高い。
名前は知らないが蛤のような貝を六つ、ちなみにこちらは5ユーロ。
潮汁にしたがこれは美味かった。
塗り物の御椀で供すれば、ここの和食店でも上等品として通ると思う。


パリ左岸リブゴーシュはサンジェルマンデプレほどの観光客で
賑わう派手さはないが地元の人達で栄えている街のようだ。
散歩の最後はボンマルシェで買い物。
帰途御用達のカルフールに立ち寄る。

ランチは家で、買い求めてきたローストビーフ。
ホースラデッシュを買うのに通じなくてミセスマスダは苦労した。
昼食はこれで。

夕方電話が入りJYクン達は午後10時半ごろ来るらしい。

デュセルドルフからパリまで孫娘と二人TVG「THALYS」で
4時間の長旅でったそうだ。
積もる話もありアパルトマンでは夜遅くまで笑い声が絶えなかった。


57)ドビュッシー

2015年11月23日 11時08分07秒 | 2015 巴里
9月17日〔木〕午後



食後このサン・ジェルマン・アン・レーの出身者 
作曲家ドビュッシーの生家兼博物館を見学。
彼は町の誇り、公園にも銅像はあった。

ドビュッシー博物館は繁華街の中心にある。
どう云う訳か道路に面した一階は観光案内所となっている。
中庭からニ階の博物館に上がるようになっている。
中庭の彫刻はドビュッシーの名曲「牧神の午後への前奏曲」の牧神。







帰り道デファンスに途中下車して新副都心を見学。
40年前に来た時と様相は一転して新凱旋門の周辺に
高層ビルが無秩序に乱立している。
ドバイに少し似ている。





地下から地上に出るのに手こずったが
新凱旋門の前から地下のメトロの駅に戻るのも一苦労。
方向感覚が少し鈍っている。歳は取りたくないものだ。

パリ市内は色々な規制があり高いビルが建てられないが
ここでは相当自由に建物が建てられている。
原子力関係の会社から大手製薬開始などフランスの代表的企業が
入居しているそうだ。人出も凄い。
ここに店を構える沢山の店の内にイギリスの「マークス&スペンサー」
があったので寄ってみた。ローストビーフやローストビーフ用の
ラディッシュが欲しかったが店内の余りの混雑振りに断念。
スコーンの幾つかを買うのみ。

夕食用に小エビ、小さな八百屋の店先で「新じゃが」を
見つけたのでそれらを買って帰宅。



56)モーリス・ドニ美術館

2015年11月22日 16時36分00秒 | 2015 巴里
9月17日〔木〕

モーリス・ドニ美術館が町外れにあり見学してきた。
30年住んだドニの邸宅が美術館になっている。
ナビ派の巨匠・ドニの絵は浅学にしてよく知らぬが
ゴーギャンを師と仰ぎその当時パリでブームだった
日本美術にも多大な影響を受けたと言われている。



彼の館を飾っている自作のステンドグラスには魅了された。




特に館内の礼拝堂は絵とステンドグラスが調和した傑作であろう。


ランチはお城の前のブラッセリーでシャブリ・ラザーニア・クレープ
変な取り合わせだったが美味しかった。った。住人達のレベルが高いためか店内も綺麗、店員の対応も満足すべきものだ




55)サン・ジェルマン・アン・レー

2015年11月21日 15時10分56秒 | 2015 巴里
9月17日〔木〕午前中

主にパリ近郊にある元の天領地を[イルド・フランス]という。
今日はデファンスからRER(郊外電車)で20分ぐらい
代表的イルド・フランスであるサン・ジェルマン・アン・レーを訪ねた。
ベルサイユと並び称される高級住宅地ということらしい。
車内も鎌倉に向かう横須賀線の雰囲気がある。

地下駅をエスカレータで地上に出るとお城が目の前に迫って圧倒される。
内部は国立考古学博物館になっている。




向かいのサンジェルマン・イギリス教会は荘厳だが
お気の毒に今日はどなたかのお葬式。
ミサのパイプオルガンがもの悲しい。

お城のはずれは市民が憩う広場・公園になっており綺麗に
フランス式に刈りこんだ並木の下で地元中学生が体育の授業を行っている。

そのあたりは小高くなっておりセーヌ川が見えパリの街が遠望できる。

気のきいたこぎれいなホテルもある。
ルイ14世が生まれた館、デュマが小説「モンテクリスト」「三銃士」を
書いたところといわれている。
今度来たらここで食事できたらすばらしい。
お値段は流石ちょっと高め。



街はこじんまりしているが活気にあふれている。
昔からの建物を保存しながら上手に住みこなしている。

午後からは美術館や作曲家のドビュッシーの生家を見学する予定。



54)睡蓮

2015年11月20日 14時58分36秒 | 2015 巴里
謹告
この度のパリのテロ 心が痛みます。
あってはならないことです。  
テロの凶弾の犠牲になられた方々に
心から哀悼の意を表します。
また御遺族・関係者の方々にお見舞い申し上げます。

私ごとになりますが昨年・一昨年の夏には事件のあった
現場の近くのバスチーユのアパルトマンに住んでいましたし、
今年もあの辺り,特にサンマルタン運河ぞいの「北ホテル」は
大好きなスポットで折々、散策した場所です。
思い出多いパリがいま大変な事になっています。

この様な時期に、のんびりとパリの旅行記をブログに記載
するのは如何かとも思いましたが平常心で普通の生活を
続けることもテロに負けずに対抗することだと考え
連載を続ける事としました。
                            増田 忠夫 拝




9月16日(水)

朝から雨、ここ二・三日天気が悪い。
今日はオランジェリー美術館。
メトロ(地下鉄)の調子が悪い。
プラットホームで15分ぐらい待ったが回復しそうになく
別の路線のメトロに乗るべく一駅歩いた。
この間もメトロのトラブルにあった。
昨年夏ドイツに滞在中、何度か列車のトラブルにあったので、
ドイツの鉄道より信頼していたのに残念。

オランジェリー美術館はパリ1区のコンコルド広場の隣、
チュイルリー公園内にセーヌ川に面して建っている。
もともとはチュイルリー宮殿のオレンジ温室(オランジュリ)だったが、
1927年、モネの『睡蓮』の連作を収めるために時の宰相クレマンソーが
美術館として整備されたのである。

雨の中オランジェリーでは入場制限のため20分ぐらい外で待たされた。手荷物検査が手間取るためのようだ。
美術館内は混雑しておらず気持ちよく鑑賞できる状態。
お目当てのモネの睡蓮の部屋に直行



モネの睡蓮とは一年ぶりの対面である。

一階は印象派オンパレードの常設館。
ルノアールを沢山持っている。
ピカソ、マチス、ローランサン、ゴッホ、モジリアニ、ユトリロ等など豊富なコレクションである。





2時間ぐらいオランジェリーで鑑賞を楽しんだ。

降り続く雨の中チュイルリー公園の中をルーブルに向かう。
もうマロニエの葉が紅葉し始めている。水溜りを避けて歩くので疲れた。
20分ぐらいの歩行でルーブルに到着。
とりあえず豪華なブラッセリーで一休み。
ラズベリーのタルトとマキアートはミセスマスダ、ミスターマスダはシャブリ。
ルーブルのミュージアムショップに立ち寄り小物を数点買い増し。
地元スーパー・カルフールに立ち寄り帰宅したが終日雨だった。




53)マドレーヌ寺院

2015年11月19日 21時40分08秒 | 2015 巴里
9月15日(火)

朝の散歩はマドレーヌからオペラまで。

ギリシャ建築の様なマドレーヌ寺院。
パリ8区にある聖女マグダラのマリアを守護聖人
とするカトリック教会である。
マドレーヌとはマグダラのマリアのことらしい。

外観はコリント式の高さ30mの柱を52本並べるなど
古代ギリシア・古代ローマの神殿を模したネオ・クラシック様式である。

マドレーヌ寺院を参拝と言うか内部を見学。
内部には右側に『聖母マリアの婚礼』像、
主祭壇は『聖マグダラのマリアの歓喜』像で飾られている。


近くのデリカテッセンのフォッションの今昔に2・3年前から感じていたが
今更ながら驚く。イートインからカフェかブラッスリー状態である。

STクンがいないのでミスターマスダがツアー責任者となったが
タブレットが無いので道行く人に聞きながらオペラ座に到達。
オペラ座は設計者の名前を冠しパレ・ガルニエとも呼ばれている。オペラ座のミュージアムショップでお土産品を買い増し。

ラファイエット百貨店の天井のステンドグラスはいつ見ても見事。お昼になったので6階のレストラン街へ。
ここには本格的な日本食のレストランもある。

食事が終わったらミセスマスダの出番。
この百貨店には色々なブランドショップが出店している。
日本では考えられないことだがシャネルとルイ・ヴィトンは
入場制限をしており店の前は長蛇の列。
これも中国観光客「爆買い」の影響か。
ミセスマスダは品物は決っていたのに支払・免税手続きを完了まで
90分はかかった。

日本からのEメールで鬼怒川の決壊とか阿蘇山の噴火とか
なにやら心配事が多い。

日本の新聞をJCBプラザに読みに行く。
白鵬2連敗、
2・3日前、当分白鵬時代は続くといっていた新聞が休場か?と書いている。

老人の散歩は「遅く出て早めに帰る。」

家でも特にすることは無い。テレビを見ることぐらいか。
こちらではCNNを観ているがシリア難民、
米大統領予備選ばかり報道している。
だが、これが世界の「関心事」と言うことだ。




52)ルーブル美術館別館

2015年11月18日 20時46分34秒 | 2015 巴里
9月14日(月)午後



2012年12月、世界中から人々が訪れるパリの「ルーブル美術館」の
別館「ルーブル・ランス」がオープンした。
「ランス」といってもシャンパーニュや大聖堂で有名な
「Reims」ではなく「Lens」。

ベルギーと国境を接するフランス北部、ノール=パ・ド・カレー地方に
ある街で、パリからTGVで約1時間15分ほどのところに位置している。
かつては炭鉱町として栄えていたが、1960年代に閉鎖。
それ以降、未開のまま放置されていたかつての鉱山地帯20haを有効利用し、
ルーブル美術館の分館を設置することで、ユネスコ世界遺産への登録も
狙うなどランス市が資金を投入して進めてきた一大都市開発事業である。

ヨーロッパの美術館はフラッシュを使わなければ撮影自由なので
気に行った展示品を撮影してみた。
























帰りのTGVも順調。7時ごろ帰宅。