A Slow Life of Mister Masuda

定年退職後のスローライフを公開!

36)シャガールの天井画

2015年10月31日 11時20分31秒 | 2015 巴里
9月9日(水)午前中

今朝は地下鉄でオペラへ。
STクンが来てから歩くことが多くなり
今日の地下鉄はこれ一回きりであった。

オペラ座裏門10時開門で内部見学。
圧巻はシャガールの天井画であろう。
しかし内部の装飾に大変な心くばりをしているのが良く分かる。
流石ガルニエ・オペラである。
威風堂々の正面階段


劇場内の見学

シャガールの天井画は素晴らしい

目下舞台装置の点検中

団十郎が来て歌舞伎を上演した時ここでレセプションを行ったそうだ。
さぞかし豪華絢爛たるパーティだったことだろう。
ほっと一息 ベランダから外を眺める

ミュージアムショップでシャガールの天井画のマウスパッドを買った。
これはいい。

近くのJCBサロンに立ち寄り日本の新聞を読ませてもらった。
野田聖子さんが自民総裁選に出ず安倍さんが確定。
内閣改造も小幅とか。
インターネットを見ていると見ると今日は株が1400円余り上昇。驚き。




35)モンサンミッシェル

2015年10月30日 11時57分07秒 | 2015 巴里
9月8日(火)午後1時


食後早速シャトルバスでモンサンミッシェル島に渡ったが
干潮で島が海に浮いている状態ではなかった。


モンサンミッシェルの島の中に入るとここの名物オムレツ屋。
その昔、海を渡って疲れきった巡礼に振舞っていたと言うオムレツ。
店は結構混んでいる。
2年ほど前から横浜ミナトミライにも出店している。



頂上は修道院 中々の坂道を登ってゆかねばならぬ。
高さ80メートルだそうだが上まで登るのは結構きつい。
今は干潮、橋の上の方が本島、手前がモンサンミッシェルの入り口広場




島の間の泥濘のような海を歩いている人達もいた。
昔の巡礼たちの追体験をしているのだ。



漸く頂上の修道院に到着。

ミスターマスダのお気に入りの場所は
その頂上付近にある「回廊」
中に入って記念の写真を撮らしてもらった






4時半にバスは帰途に。
道中順調で午後9時前にはパリ・ピラミッド に帰ってきた。



バスを降りピラミッドの近くのブラッセリーで簡単な食事。

ST君はハイネッケンとキイッシュロレイン 
ミセスマスダは紅茶とオニオングラタンスープ 
ミスターマスダはシャブリとシャンピニオンのオムレツ 
モンサンミッシェル小旅行の話で夕食は盛り上がった。

帰りの地下鉄のホームで黒人がシャンソンを歌っている。
パリの夜らしい雰囲気である。






34)いざモンサンミッシェルへ

2015年10月29日 05時15分38秒 | 2015 巴里
9月8日(火)


オンフルールで一時間半ぐらい停まっていただろうか。
バスは早々にモンサンミッシェルに向かう。

2時間ぐらいのドライブでモンサンミッシェルの岩山が
見えてきた時は少し感動物である。モンサンミッシェルが段々近づいてくる。
バスはモンサンミッシェルの対岸を走っている。
豊かな牧場やトウモロコシ畠をぬって近づいて行く。
羊や牛がのんびり草を食んでいるのどかな風景だ。




我々はモンサンミッシェルから2キロぐらい離れた対岸でバスを降る。
昔はモンサンミッシェルの近くまでバスで行けたが今はここで降りて
無料のシャトルバスでモンサンミッシェルに渡るようになっている。
バスを降りた場所は昔と様変わりで広々としたレストラン街になっている。
取り敢えずランチ。
モンサンミッシェル風オムレツと白身の魚、それに特産のシードル。
典型的なモンサンミッシェル・ランチであった。




食後の散歩。
カラフルな牛のパブリックアート。







そろそろシャトルバスでモンサンミッシェルに向おう。





33)ノルマンディ オンフルール

2015年10月28日 16時24分45秒 | 2015 巴里
9月8日(火)


ミスター&ミセスマスダ STクン 我々3人を乗せた観光バスは
ノルマンディーに向かっている。朝7時の事である。

パリから360キロ 長躯観光バスを飛ばしモンサンミッシェルへ。
途中港町オンフルールに立ち寄る。
持参の朝食のサンドウイッチが大変美味しい。
見覚えのあるノルマンディー大橋が見えてきた。

ノルマンディーのオンフルールはミスターマスダお気に入りの場所で
今回で4回目の訪問となる。
一方その昔ミセスマスダはここで牡蠣に当たって爾来25年
牡蠣が食べられなくなってしまった苦い思い出がある。
最近再び牡蠣が食べられるようになり「めでたしめでたし」ではある。

オンフルールでは旧港の周りを散策、
昔SGさんにモンサンミッシェルの油彩を描いてもらったがどのアングルか? 







ここオンフルールには村人の建てた木造の教会がある。
船大工が手伝ったので船底天井になって興味深い。


オンフルールの駐車時間はあまり長くは無かったが
何とかミセスマスダもお土産が買えて満足。

早々にオンフルールを出発
モンサンミッシェルに向う。



32)ソルボンヌ

2015年10月27日 15時38分08秒 | 2015 巴里
9月7日(月)夕方

ノートルダム寺院からスルボンヌ経由帰宅の計画が
STクンから提案された。今日も相当歩くことになろう。

パリはセーヌを挟んで右岸と左岸に分けて呼ばれている。
右岸は経済・消費が行われ
左岸は文化・教育が中心の都市。
右岸では金を使え、左岸(リブ・ゴーシュ)では頭を使えとも言われている。
ソルボンヌは左岸リブ・ゴーシュの代表的な町
ソルボンヌ大学の街である。
風格のある古いビル群に思わずシャッターをパチリ。

ソルボンヌ駅前では縁日のような店が並んでおり賑やか。






夕食はアパルトマンの地元の駅前のブラッセリーで。
アーティチョーク、カラマリ、ラムも良かったが
直径18センチはあるジャンボー・チョコレートムースには一同びっくり。
しかし心配は無用、軽い仕上げだったので3人でペロリ。
アーティチョーク
ラム
カラマリ

ジャンボー・チョコレートムース

少し遅れて出されたクッキーにチョコレート 中々イケル

今日の歩行回数は2万歩。
疲れたはずだ。




30)モンマルトル

2015年10月26日 12時01分38秒 | 2015 巴里
9月7日(月)午後


ルーブルの後はランチ。
ランチはSTクンも御馴染のシャンゼリゼのアルザス。
いつもの通り牡蠣のプレートと
もう日本では食べにくくなっている生牛肉の
タルタル・ステーキ。

ワインは白でアルザスのエデルツウイッカー
良く冷えていて美味しい。


ランチが終り シャンゼリゼからタクシーでモンマルトルへ。
午後からはサクレクールや絵描き広場の見物。STクンとミセスマスダはサクレクール寺院の中に入り
お参りと見学をしていた。
ミスターマスダは失礼して寺院の前の石段に坐り
大勢の観光客と一緒にパリの街を見下ろしていた。

寺院の裏の葡萄畑の先はお土産物屋 カフェと続き
絵描きの集まっている広場へと。昔は本格的な油絵も売っていたが最近は似顔絵描きが目立つ。
絵描きの数も減ってカフェはどんどん増えている。
3年前ここで似顔絵を描いてもらった記憶が懐かしくよみがえって来た。
今その画を見ると3年前は確かに若かった。







今朝からオランジェリー、シャンゼリゼ、ルーブル、サクレクールと周り
これからノートルダムに行く予定。
スケジュールもハードだが何か先週までと違い完全に観光客になった気分。





31)ノートルダム寺院

2015年10月25日 14時14分08秒 | 2015 巴里
9月7日(月)午後4時


モンマルトルからメトロでオテル・ド・ヴィラ駅下車。

パリ市庁舎前である。
建物の威容には圧倒される。
パリ市のランドマークの一つであろう。

続いてノートルダム寺院見学。
歩いて5分 ノートルダムの前広場に出てくる。
もうミスターマスダの気分は完全なる観光客。


5分ほどの行列へノートルダム寺院内部に入ることが出来た。
寺院の中ではちょうどミサが執り行われている。
夕方のミサが印象的。



寺院内でバッハ・ヘンデルのコンサートがあるらしい。
切符発売中か売り切れかフランス語が分からないので分からないが、
もしかして聴きに行く機会もあるかと写真をパチリ

立派な「バラ窓」ステンドグラスがキラキラと素晴らしい。
40年前初めてのヨーロッパへの旅の折、ミセスマスダはこのバラ窓を見て
その素晴らしさに、ヨ^ロッパ文明・文化に目覚めたという、
そのバラ窓である。

STクンとミセスマスダは寺院の鐘楼に上る積りであったが夕方で
上れなかった。ミセスマスダは必ず登りに戻って来ると誓っていた。

ノートルダム寺院を出ると何の花だろう真っ盛りに咲いている。
アルシュヴェシェ橋 ノートルダム寺院の姿が良い。欄干には願い事を祈る鍵が沢山、わざわざ見に来る観光客もいる。
この鍵のかかっている橋からソルボンヌ地区に足を伸ばす。




29)ルーブル

2015年10月24日 14時22分15秒 | 2015 巴里
9月7日(月)午前


STクンがパリに来てから観光の責任は彼に移った。
地理の調査・メトロの連絡 全てタブレットを駆使して
調べ上げてくれるので安心して後からついて行けばよい。
我々がご案内すると言っていたがその必要はなくなった。

今日はまずオランジェリー美術館だったが
美術館は開いているが、お目当てのモネの「睡蓮」
ーモネの晩年の傑作、高さ2メートル、8点から構成されている
連作ーは週末まで展示中止との事で入場せず。

ではルーブル美術館へ。
オランジェリーからルーブルまで
チュエルリー公園の並木道の下の日蔭を行く。
ルーブル美術館へは昔と違いスムーズに入館できた。



ルーブルの絵はもう何度か来場して御馴染になっているので
気に入った展示品を拾い見することにした。
モナリザ、ミロのヴィーナス、ニケ、ダビットの戴冠式、
ドラクロワ、アングル、ダヴィンチのマグダラのマリア等々。

入場者も程良い数でゆっくり鑑賞できるので有り難い。

高い天井は美術鑑賞の一つの条件だろう。

唯一大変混雑している場所は「モナリザ」の展示室
もの凄い人気としか言いようがない。






ナポレオンの戴冠式 同じような絵がヴェルサイユ宮殿にある。





ドラクロア 流石人気の絵画だ。人だかりがしている。
この絵は一昨年ランスに開館したランスのルーブル別館に「客寄せ」として暫くの間展示
されていたが、このたび戻されて再び落ち着くところに落ち着いた次第。




ニケ


ミロのヴィーナス






午前中はルーブル美術館内でゆっくりと心行くまで
美術鑑賞の至福の時を過ごせた。






28)サン・マルタン運河クルーズ

2015年10月23日 13時49分46秒 | 2015 巴里
9月6日(日)午後



午後2時半からはサンマルタン運河クルーズ観光。
運河に掛かったロックに水を貯めながら遡上するのを見ているのは楽しい。

ここがバスチイユの乗船場 
ここから2時間半かけ4キロぐらい上流の貯水池に向う。
クルーズ船の近代的な操舵室
観光船は目の前の暗渠に突入。
頭上ではバスチイユ・マルシェが行われている。
暗渠を出るとロック



水を貯めたロックを昇ると開けた水面にでてくる。



船上から往年の名画の舞台となった「北ホテル」が垣間見れた。


船内での説明は聞き取れぬところもあったがSTクンが
適切に解説してくれたので今回の遊覧は楽しめた。

バスチイユの乗船場から4キロほど運河を溯上貯水池に到着・下船。
バスチイユの乗船場の川面から28メートル高さである。

そこから運河に沿って歩いて下り「北ホテル」。
徒歩の疲れもあり美味しいエスプレッソを飲みながら小休止。



歩いてメトロの東駅 地下鉄でピラミッド駅へ。 
ミセスマスダが何事も経験、是非、一度は行ってみたいというので
近くの日本食街で「サッポロ」に入ってみる。
パリでこの様な日本の店に入るのは初体験。
ドイツで醸造の「キリン一番絞り」とギョーザ・チャーハン・ラーメン。
日曜日の夜のためかお客は外国人ばかり。
しかし大変美味しかったので変に安心した。

STクン発案でアパルトマンまで2キロを歩いて帰ろうと言うことになった。

ルーブルのまえで一休み

セーヌ川に掛かるロイヤル橋の上ではバトウ・ムーシュに手を振り
サン・ジェルマン・デ・プレを通り過ぎ
ボン・マルシェ百貨店の前でまた一休み。
御用達のカルフールはもう閉店で隣のスーパー・フランプリで
ビールや水その他を買い求め帰宅。
今日の歩行歩数は1万6千歩。
STクンに付き合って少し張り切りすぎのオーバーワーク。




27)シャトブリアン

2015年10月22日 10時07分16秒 | 2015 巴里
9月6日(日)午前


STクンが我々のパリ生活に参加して第一日目

バスチーユの朝市マルシェを見学後バスチーユ界隈を散策。バスチーユのシンボル「7月革命記念柱」

マルシェの牡蠣売り場。



今日のメインイベントは「サンマルタン運河クルーズ」で
午後2時半乗船の切符を入手。それまでゆっくりランチとなった。

ランチは一時間40分かけてブラッセリー「ホファンジェ」で。
1864年創業の老舗でベルエポックのパリの雰囲気が残る
美しい店内も見物である。



ミスターマスダのお気に入りでシャトブリアンは抜群。
パリ滞在中必ず訪ねている。
オニオン・グラタン
グリーンピースのガスパッチョ
ミディアムレアーのシャトブリアン
クリームにメレンゲを浮かせたフローティングアイランド 
何と何とこの大きさ、これで一人前??
オニオングラタンやグリンピースノガスパチョに続いて
メインはサンテミリオンの赤に「シャトブリアンのステーキ」

ここのシャトーブリアンはSTクンにぜひ食べさせたかったので、
彼が喜んでくれて良かった。

デザートはフローティングアイランド。3人でシェアしたが抜群であった。

午後2時半からはサンマルタン運河クルーズ観光。
それまでの間ゆっくりランチを愉しむことが出来た。



26)ロダン美術館

2015年10月21日 21時32分02秒 | 2015 巴里
9月5日(土)


夏休みに一ヶ月以上海外で過ごす習慣を続けて10年。
最初は世界一周クルーズだったり南半球一周クルーズだったが
体力的、特に胃腸の消化能力の衰えで三食の外食が大変になった。

そこで海外にもあるウイークリーマンションとか
パリでは貸しアパルトマンなどで過ごす一箇所滞在型の
バカンスを楽しんでいる。
体調に合わせて食事もアジャスト出来るし
ホテルと違って居住面積も60平米と大きい。



そのパリのアパルトマン暮らしも3度目となる。

今夜には長男のSTクンが夏休みを兼ねて我々のアパートに来てくれる。
通信用の海底ケーブル敷設の仕事をやっている関係で
海外出張は年20回は下らないのでプライベートまで飛行機は
もう沢山と言う心境だと思うが偶には親に付き合うかと言うことで
大変親孝行なことであると有り難く思っている。

夕方長男のSTクンはパリに到着予定なので
我々はそれまでのんびり過ごすことになった。

ちょっと散歩に出よう。
我がアパルトマンから歩いて20分のところにあるナポレオンの墓所
で有名なアンバリッド そのお隣の「ロダン美術館」へ散歩の足を伸ばした。

いつもの散歩道 メトロのザビエル駅の前の教会
アンバリッド通りを挟んでロダン美術館とアンバリッドがある。金色のドームの下にナポレオンの遺体が安置されている

今日のロダン美術館は残念ながら展示館は
10月までリニューアルのため閉館。

しかし個別展示と庭はオープンしている。


手入れの行きとどいた綺麗な庭にロダンの彫刻、ロダン美術館の見物である。

庭だけでも見学できるし年間の庭だけ見学パスも発行されている。




閉館中の展示館 かってロダンの住居兼アトリエだった。

考える人



バルザック



地獄の門カレーの市民
庭園にはカフェもありマロニエやプラタナスの茂る緑の中で昼食をと思って
出かけたが余りお客が入って居ない事とメニューを見ても魅力的では
ないので家で食事をしたほ方良さそうだという事で断念。



帰りに大きな教会の隣に大きな花屋がありミセスマスダが
シクラメンを買い求めた。啄木のような気持ちになった。
食後のデザートにと”パリ・ブレスト“を。

ミセスマスダはニューヨーク在住の頃、ル・コルドン・ブルーに通っていたが
このお菓子は中でも作るのには手が掛かる厄介なものだそうだ。



家でランチを取りお昼寝をしている間にそろそろSTクンが着く時間。
「今CDG(シャルル・ド・ゴール空港)に着いた」
「バスでモンパルナスに着いた」
「歩いてアパルトマンに向かう。20分で着く」
と続々とメールが入って来る。

タクシーだと思っていたがバスで来るとは。
全然道に迷うことなく。
いかに旅慣れているとはいえ地理・言葉に不便なパリでの行動力に驚いた。

夕食は軽く我が家で。
STクンを交え3人で楽しいひと時だった。
プロシュート・メロン ポテトサラダ ソーセージ  ベイビイリーフ・黄パプリカ・トマトのサラダ
デザートにはパリブレスト コーヒー等々、
少し変な取り合わせ。




25)パブロ・ピカソ美術館

2015年10月20日 11時50分44秒 | 2015 巴里
9月4日(金)午後




パリで最も美しい広場 ヴォージュ広場を散策の後
散歩の足を伸ばしパブロ・ピカソ美術館の見学に向かった。

国立パブロ・ピカソ美術館が5年に亘る大改造を終え
昨年10月にリニューアル・オープンしたとの事である。

大変な人気で入場制限との噂もあり恐る恐る出かけていった。 

手持ちの地図が細かくないので地図に頼れず、道行く人に尋ね尋ね
やっとの思いでピカソ美術館に辿り着いた。
思いのほか入場者は少なく待ち時間なしで入場できたのはありがたかった。

美術館は17世紀の館を改造した建物ですばらしい威容を誇っている。、
豪奢な建物で、<ガベル>塩税の収税吏だったピエール・オベールが建てたもの、
ほどなくして塩の館=オテル・サレと呼ばれるようになったそうだ。



ピカソ美術館の収蔵点数は油彩300点を含む5,000点余り。
1973年に亡くなったピカソの遺族が70年台にフランスに
寄贈した作品をベースに構成されている。











個人的には美術館を見た感想はイマイチ 
素人にはもっとピカソらしい作品の展示がほしい。

34,5年前のNYのMOMAのピカソ大回顧展などの
印象が強く残り過ぎている身の不幸を嘆くべきか。



見学後近くのカフェで軽い昼食 白ワインのシャブリにリゾット
デザートはティラミス 結構胃にもたれ結局夕食は海老の
ソテーとサラダ 軽く済まさざるを得なくなった。

完全に加齢による胃の衰えで情けない。



帰りは道を迷うことなく昨年住んでいたバスチーユのマレー地区の
パン屋でミセスマスダの御気に入りのクロワッサンや巨大メレンゲを買う。



明日パリに来る長男Sクンをモンサンミッシェル
への小旅行に誘うこととなり切符の手配をして帰宅。

途中御用達のカルフールに立ち寄ったのは勿論である。




24)ヴォージュ広場

2015年10月19日 10時29分27秒 | 2015 巴里
9月4日(金)


明日は長男のSTくんが遅めの夏休みを取ってパリに来る。
海外出張が年20回ぐらい、休みぐらい飛行機に乗らず
のんびり休みたいところだろうが相当無理して
我々のパリに来てくれるのだ。大変嬉しいことである。

今日の散歩はピカソ美術館の積りだかその前に昨年住んでいた
アパルトマンの近くにあったヴォージュ広場に行くことにした。

赤レンガ造りの34の館に囲まれたパリで最も美しい広場。
革命前は貴族の華やかな社交場となったところ。
ビクトルユーゴーの住居もあり今は記念館となっている。
ヴォージュ広場のマロニエ


近くの花屋の薔薇




セップ茸




23)摺りだ

2015年10月18日 16時09分20秒 | 2015 巴里
9月3日(木)


昨日のストラスブールへの小旅行 大変インプレッシブであった。
今日はゆっくり息抜きをしよう。

自宅で早めの昼食後 オペラ座近くのJCBの市内ラウンジに
日本の新聞を読みに出かけた。


事件発生、ミスターマスダが「掏り未遂」に遭遇。


肩掛けパウチのファスナーを開けられてしまった。
気がつき周りの人に掏りだと話したところフランスの白人の若い青年が
二人組みのジプシー女掏りに未遂ではあったが文句を言ってくれた。

女掏り達は次の駅でそそくさと下車して一件落着と思ったが続きがある。
地下鉄のドアーが閉まったら掏りたちがホームから車窓によってきた。

謝罪するのかと思ったら突然飲みかけのコーラのビンを
車窓の上部の隙間から放り込んできた。瓶からコーラが吹き出し
車内の人達の洋服は汚れてしまった。

たちの悪い嫌がらせ・仕返しをするものだ。

洋服を汚された老人が次の駅で運転手に前の駅にいるはずの女掏り達を
捕まえろと怒鳴り込み地下鉄は5分ぐらいは止まっていたと思う。

どうなったか言葉が判らないので結果も分からない。

反省・・・人混みではパウチをおなかに抱える事。



オペラ座のミュージアムショップを覗いたり
ギャルリー・ラファイエット(立派な名前だがこれはごく一般的な
デパート)を少し散歩した後ミセスマスダと別行動を取ることになった。
別行動となりバンドーム広場へ。
50年も前にもなるが見分不相応にも、ここのリッツ・ホテルに泊まった。
懐かしい場所だ。
ミセスマスダとはJCBラウンジで落ち合うことになっている。
ラウンジではNHKのTV海外放送を見たり日経と朝日を読ませてもらう。

JCBのラウンジでミセスマスダと再会 小休止の後さらに散歩はつづく。
オペラからピラミッド ルーブルからチュイルリーでコンコルドが終点。

結構歩いた。帰り道「パリ・ケーブ」のワインショップで勧められて
ボルドーのサンテミリオンを購入。

今夜の夕食はステーキ 
食事の始まる30分前に栓を抜くように店員に言われている。

 




22)クール・デュ・コルボー・ホテル

2015年10月17日 16時07分44秒 | 2015 巴里
9月2日(水)午後5時

「クール・デュ・コルボー・ホテル」今日最後の見物地。

このホテルを探すのには大変難儀した。もう諦めかけたところで
朝方ノートルダム大聖堂の前でお会いした
パリ在住の日本人二人のご婦人に再会。

こんな偶然があるのだろうか、それともストラスブールは
よほど小さな街なのだろうか?
幸い彼女たちは精密な地図をお持ちだったので
ホテルの正確な位置が判りミセスマスダの希望道り
ホテルの佇まいを見学できて目出度し目出度し。

ホテルの建物は16世紀に建てられたもの。
壁に立派な黒い木組みを施した、他所ではまず
見かけられないと思うほど格調高い建物である。

ジャン・ジャック・ルソーなど文化人の定宿で知られていたそうだが
この度 内装を近代化して超高級ホテルとして再オープン。





古いスレートの屋根が印象的

パリ在住の日本人ご婦人と記念撮影




帰りの列車の車窓から見る夕焼け




夜10時前アパルトマンに帰宅。

コクトーの礼拝堂に続きストラスブールと二つの小旅行が出来てミセスマスダはベリーハッピー。

次はランスのルーブル別館の見学だろう。