4月25日(金)
急に思い立って長野県白馬村に行って来た。
特急「スーパーあずさ」は白馬駅まで直通 久し振りに来たが便利になったものだ。
信濃大町を過ぎると「木崎湖」が見えて来た。
ここまで来ると白馬はもうすぐと車にチェーンを巻きながら通った場所で何とも懐かしい。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/05/c8/0139973762d05eb84937197e0411a4b7.jpg)
車窓より白馬三山 ( 白馬岳・杓子岳・鑓ケ岳 )が見えて来た。
少し雲が掛かっているが昔からよく見ている景色なので記憶で補ってよく見える。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5c/4c/ea83b970bdf132daa27d0c3b964d7f50.jpg)
白馬駅のホームに降り立つと桜が満開を少し過ぎたところだ。
今年は沢山桜を見る事が出来 ハッピー・ハッピー。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/46/1a/213c99c8c232c56711d8d25cb0906b4b.jpg)
白馬村からは優秀な有名なスキー選手を輩出している。
白馬の民宿の娘さんは「W杯フリースタイルスキーモーグル」総合優勝の”上村愛子”
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/16/de/a01f31c7514a79c8da519ca409592d2e.jpg)
白馬村にはもう50年近くになるだろうか
山荘を所有している。
当時は家族全員スキーが好きで何時でもスキーが出来るよう
白馬東急ホテルの隣に500坪の土地を購入そこに山荘を建てたのだ。
冷蔵庫・檜の風呂もあるしトイレも浄化槽を作って水洗
当時としてはスキーを愉しむには充分な施設だった。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/21/b6/fb41234edbbfe619613d3d1335b5208f.jpg)
山荘は「三矢小屋」と名付けられた。
兄弟三人 毛利元就の故事に由来した積もりだ。
当時は冬になると足繁く白馬に行き「八方尾根」のスラロームを愉しんだものだ。
当時オリンピックスキー三冠王「黒い稲妻トニーザイラー」が来日し
デモンストレーション・スキーを見学出来たのは良い思い出だ。
ゴンドラからリフトを乗り継ぎ「薬大ヒュッテ」「第三ケルン」まで登ると
天気の良い日は安曇野平野の展望が開け何故かこれぞ青春と感激した。
その後 勤めの関係でシドニー・ニューヨークに住んだが
スレドボー・ペルシャバレー(オーストラリア) レイクプラシッド・キリントン(アメリカ)
などスキーは家族一緒に続けていた。
帰国後 白馬通いは再開したが寄る年波には勝てず 最近5~6年は
軽い粉雪で滑りやすく技術の低下をカバーしてくれる北海道ニセコでスキーをしている。
もう白馬にスキーに来ることは無いだろう。
子供達家族もスキーに行ってまで自炊など真っ平と言う事か山荘には全然興味を示さない。
そろそろ処分を考える時期が来ているのだろう。
白馬に来て見ると一抹の寂しさを感じる。
北海道ニセコは前に弊ブログでも御紹介したようにほぼ外人村。
ここ白馬村も外人村になりつつある。
我が山荘も裏はイギリスのマットとカナダのグレッグの共同経営のペンション。
隣はオーストラリア人。気が付けば回りは皆んな外人。
本国から2週間のツアーを組んでスキー客を呼び込んでいる。
夜になると巡回バスで寿司屋・天婦羅屋・焼き肉屋・村営温泉巡り。
地元の人達とも共存共栄。
これはニセコのビジネスモデルと一緒。
急に思い立って長野県白馬村に行って来た。
特急「スーパーあずさ」は白馬駅まで直通 久し振りに来たが便利になったものだ。
信濃大町を過ぎると「木崎湖」が見えて来た。
ここまで来ると白馬はもうすぐと車にチェーンを巻きながら通った場所で何とも懐かしい。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/05/c8/0139973762d05eb84937197e0411a4b7.jpg)
車窓より白馬三山 ( 白馬岳・杓子岳・鑓ケ岳 )が見えて来た。
少し雲が掛かっているが昔からよく見ている景色なので記憶で補ってよく見える。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5c/4c/ea83b970bdf132daa27d0c3b964d7f50.jpg)
白馬駅のホームに降り立つと桜が満開を少し過ぎたところだ。
今年は沢山桜を見る事が出来 ハッピー・ハッピー。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/46/1a/213c99c8c232c56711d8d25cb0906b4b.jpg)
白馬村からは優秀な有名なスキー選手を輩出している。
白馬の民宿の娘さんは「W杯フリースタイルスキーモーグル」総合優勝の”上村愛子”
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/16/de/a01f31c7514a79c8da519ca409592d2e.jpg)
白馬村にはもう50年近くになるだろうか
山荘を所有している。
当時は家族全員スキーが好きで何時でもスキーが出来るよう
白馬東急ホテルの隣に500坪の土地を購入そこに山荘を建てたのだ。
冷蔵庫・檜の風呂もあるしトイレも浄化槽を作って水洗
当時としてはスキーを愉しむには充分な施設だった。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/21/b6/fb41234edbbfe619613d3d1335b5208f.jpg)
山荘は「三矢小屋」と名付けられた。
兄弟三人 毛利元就の故事に由来した積もりだ。
当時は冬になると足繁く白馬に行き「八方尾根」のスラロームを愉しんだものだ。
当時オリンピックスキー三冠王「黒い稲妻トニーザイラー」が来日し
デモンストレーション・スキーを見学出来たのは良い思い出だ。
ゴンドラからリフトを乗り継ぎ「薬大ヒュッテ」「第三ケルン」まで登ると
天気の良い日は安曇野平野の展望が開け何故かこれぞ青春と感激した。
その後 勤めの関係でシドニー・ニューヨークに住んだが
スレドボー・ペルシャバレー(オーストラリア) レイクプラシッド・キリントン(アメリカ)
などスキーは家族一緒に続けていた。
帰国後 白馬通いは再開したが寄る年波には勝てず 最近5~6年は
軽い粉雪で滑りやすく技術の低下をカバーしてくれる北海道ニセコでスキーをしている。
もう白馬にスキーに来ることは無いだろう。
子供達家族もスキーに行ってまで自炊など真っ平と言う事か山荘には全然興味を示さない。
そろそろ処分を考える時期が来ているのだろう。
白馬に来て見ると一抹の寂しさを感じる。
北海道ニセコは前に弊ブログでも御紹介したようにほぼ外人村。
ここ白馬村も外人村になりつつある。
我が山荘も裏はイギリスのマットとカナダのグレッグの共同経営のペンション。
隣はオーストラリア人。気が付けば回りは皆んな外人。
本国から2週間のツアーを組んでスキー客を呼び込んでいる。
夜になると巡回バスで寿司屋・天婦羅屋・焼き肉屋・村営温泉巡り。
地元の人達とも共存共栄。
これはニセコのビジネスモデルと一緒。