A Slow Life of Mister Masuda

定年退職後のスローライフを公開!

運動会の後

2006年09月30日 11時32分46秒 | 家族行事
運動会が無事終了。
折角 集まったので夕食でもという事でチャイナタウンに繰り出すことに。
子供達は一旦帰宅 我々は元町商店街で時間を潰して
夕方チャイナタウンで落ち合う事となった。

元町に通じるトンネルを抜けると「クリフサイド」の前に出た。
開店60年記念で”ウイリー沖山”のディナー・ショーをやっている。
もう40年も昔の事か、生意気盛りの頃、このナイトクラブに何度か来た事がある。
偶にはジャズでも聴いてもいいなとフト思った。

元町では恒例の「チャーミング・セール」
歩行者天国でいつもより人出が多い。
時間があったので元町をじっくり散策。

時間を見計らってチャイナタウンへ。
いつもと違うルートを通うったのでよく来て居るチャイナタウンでも
知らない場所がまだある事が判った。

三国志の関羽が祀られている”関帝廟”は知っていたが
”天后宮”と言うお宮があることは知らなかった。
どなたをお祀りしているのだろうか?

歩を進めてゆくと、とある中華料理店の前に等身大の”関羽”の立像。
知らない場所がまだまだある。
三国志ファンのミスターマスダ、早速関羽と一緒に記念写真。

予定どうり中華料理店に全員集合。
レストランの壁が”ホンコンの夜景”のパネルになっており
我々家族皆が気に入っている店だ。
時間を忘れて賑やかな食事となったことは言うまでも無い。




富嶽カントリー

2006年09月29日 23時16分38秒 | ゴルフ
9月27日 (水)
今日は静岡県まで出掛けてゴルフだ。
天気予報は余り好意的ではないが新富士駅までは行ってみなければ。
関西から出てくる人もいるので 
もし雨なら新富士駅前で宴会でもする事になるのか。


早朝 家を出る時はまだ雨は降っている。
午前中に雨は止む予報なので西の方の静岡はもう少し早く
雨が上がるだろうとの「勝手読み」。

新富士駅で関西の人達と落ち合った時は、まだ雨は結構降っている。
このメンバーは現役時代にお付き合いしていたお得意先とか社外の人達だ。
定期的にゴルフをやっているが久し振りの再会なので取りあえず
クラブハウスで四方山話をしながら天候回復を待つことにする。

十時半 雨も上がり漸くヒット・オフ。
この富嶽カントリーは18ホール全てのホールで富士山を見れる設計に
なっているが厚い雲に覆われ富士山は見えず。

ゲームの方は和気藹々だがお互いにスコアーはイマイチ。
午後のインに入り富士山が見えるようになったが
頂きには雲が掛かっている。

18ホール終ってクラブハウスに戻ってきて
漸く富士山の全貌を眺める事が出来て一堂少し満足。
日本人は富士山に特別な感情を持っているように思う。


此処のクラブハウスのお風呂からも富士山が拝める。
お風呂はコース内に源泉を持つ温泉で
「武田信玄の隠し湯」だったそうだ。
暮れなずむ富士山を見ながらの温泉は「乙なもの」。
本日の良い締め括りであった。

来春の再会を約して新富士駅で解散。


豪快セーリング

2006年09月26日 21時27分08秒 | ヨット
9月24日 日曜日 今日はヨット。

台風14号が関東地方を掠めて行ったので
今日は天気は良さそうだが風は強そうだ。

まあ取りあえず朝飯だ。
少し硬くなった古いパン(バゲット)が大分溜まっている。
こんな時はフレンチ・トーストが良かろう。
ミスターマスダの得意料理(?)の一つだ。

以前”美空ひばり記念館”で「ひばりレシピ」のフレンチ・トーストを
食べさせて美味しいとの評判だったが
ミスターマスダのフレンチ・トーストはそれ以上だと自負している。

急がず、じっくり時間を掛けて牛乳・砂糖の入った卵液に
バゲットを充分以上に浸すのがコツ。
また表面カリッと中をしっとり焼く火加減は腕の見せ所。

皿に移したらパウダーシュガーとシナモンをふり掛ける。
メープル・シロップはカナダ物が良い。


ハーバーに着くと仲間は既にビールを飲みながら全員集まるのを待っていた。
今日は82歳の”青年”もゲストとして参加している。

また本日のセーリングは我々のヨット仲間のOさんの送別セーリングでもある。
JAICAから派遣されてバングラディッシュへ2年間 空手を指導に行くこととなった。
当分ヨットに乗ることも無いので彼にとって「メモリアルセーリング」。
彼がヨットに来なくなると我々も寂しくなる。
また船上では結構力仕事があるが彼が居ないと誰が力仕事をするのか大問題。

海上に出ると「天気晴朗なれど波高し」と云うところか。


風は少し強め、台風14号の影響か少しうねりもあり海面に白波が立っている。
適度のヒールで我が艇は”豪快”に走っている。

一段落した所で、Iさんが自宅で採れた栗を茹でて持って来て呉れたので
それらを肴に早速ビール。
続いて赤ワイン ボルドーは潮風によく合っている。

昼食の楽しみは”Iさんの嫁”の心尽くしの「栗御飯」。
船が揺れるので船上での昼食は諦めハーバーに帰投後となった。

ヨット初体験の82歳の”青年”も本日のセーリング 大いに楽しんだようだ。

Oさん バングラディッシュで元気にお勤めを果たしてきて下さい。
BON VOYAGE!





(続)秋の庭草

2006年09月25日 13時24分34秒 | 四季の花々
”彼岸花”が咲いた。白い彼岸花だ。
田舎の畦道にはよく赤い彼岸花が群生して咲いているが
都会ではあまり見掛けないので「アッ彼岸花が咲いている」とつい云ってしまう。
派手な花だし秋の便りだ。

別名”曼珠沙華・マンジュシャゲ”といって梵語で「赤い花」と云う意味らしい。
5・6年前 鎌倉のお寺で”白い彼岸花”を見た時 白い花は珍しいと言われたが
我が家の彼岸花も白だし 白は本当に珍しいのだろか。


”鶏頭”は我が庭の新顔だ。
先週 お彼岸で田舎にお墓参りに行った際 お寺に咲いていた一株を頂いてきた。
上手く我が庭に根付いたようだ。来年は大きく咲かせたいものだ。


ハーブの王様、フェンネル,可憐な黄色い花が秋風に揺れている。
フェンネルは魚料理によく使われる。レモングラス、ミント、ローズマリー等と
合わせてハーブティにするのも良い。
種(シード)を混ぜたパンも美味である。


我が家の庭の一隅に秋になると虎の尾、ホトトギス,菊が咲く。
今年はどういうわけか露草に占拠されてしまった。
この露草の後に、いくらかは咲いてくれそうではあるが・・・・。


水引の花。庭のあちらこちらに咲いている。
茶花としても珍重されているようだ。
以前、白い花の水引草「銀水引」もあったが、いつの間にか絶えてしまった。
因みに紅白まじりのものは「御所水引」と言うようだ。


秋の庭草

2006年09月21日 21時54分35秒 | 四季の花々
夏の間 天候不順を言い訳に庭の手入れを怠っていたので
庭の草花には御苦労を掛けた。
葉っぱの虫食いが例年に比べ多いような気がする。
それにも拘わらず時期が来ると草花は花を咲かせて呉れる。

庭には2株あったのだが門の所の白い”芙蓉”は寿命が尽きたのか枯れてしまい
今年はピンクの”芙蓉”1株になってしまった。しかし結構頑張って呉れている。

この”アカマンマ”は2代目である。
今まであった”アカマンマ”を庭の手入れの際、植木屋さんが雑草として抜いてしまったらしい。
他所の空き地に咲いている”アカマンマ”を発見、
家内がスコップを持って採集に行く、小生は運転手兼見張り役。
これを”花泥棒”と云うのだろうか。

”萩”は物凄く群生していたが年々減少し今年は咲いてくれるか心配していた程だ。
何とか咲いて呉れたので安堵している。萩の”少子化対策が必要か?

”韮”の花 裏庭で威張って咲いていたが今年は中央に進出、表の庭に咲いている。
我が家の庭でも世代交代が始まっている。

花ではないが大きな”ピーマン”がなっている。
色々な色をした”ピーマン”を料理に使うのは好きだが庭の”ピーマンを”食べたいとは思わない。
あくまでも鑑賞用。

(予告編 )”曼珠沙華”が咲き始めました。次回を御期待下さい。


ペルシャの抹茶茶碗

2006年09月21日 20時53分06秒 | 陶芸
お天気も良し
たまに”はカルチャー”しよう。

取りあえず健康第一 八重洲口のクリニックで「藪」先生の
診断を夫婦で受ける。 歳相応の体調らしい。

診察後「タイユバン」で軽く昼食 まずワイン
よく冷えたプイイ・フュメのスモーキーな香りが食欲を誘う。

食後の散歩がてら”出光美術館”で「琳派」の展覧会。

大変珍しいもので俵屋宗達の国宝の「風神雷神図屏風」、
それを80年後に模写した尾形光琳の重文の「風神雷神図屏風」、
また、それを100年後に模写した酒井抱一の「風神雷神図屏風」。

「風神雷神図屏風」3点が一堂に会するのは京都の展覧会以来
66年ぶりだそうだ。

小生も個別には建仁寺で俵屋宗達、
尾形光琳のは上野の国立博物館で見ている。
酒井抱一のは初めて。
3点一堂で鑑賞すると大感激。
国宝 俵屋宗達筆

なお俵屋宗達の描いた風神雷神のモデルは三十三間堂にある
木像との事。機会があったら見てみたい。

帰路輸入雑貨を扱っているお店にふと立ち寄る。
面白そうなイラン製の器を発見。
価格はタダみたいに廉い。
器が手招きして我々を呼んでいる。
抹茶茶碗によさそうだ。
早速買い求め御茶を点ててみた。
中々良い。
何か銘でも考えなければ。

直径14センチ高さ8センチ




信州小旅行(番外編)

2006年09月18日 10時25分24秒 | 家族行事
この間のブログでも触れたが軽井沢の某一流ホテルでの朝食 
エッグ・ベネディクトが食べられなかった事がちょっと残念だった。
帰宅後 翌朝になってもまだ気になっている。

拘る性格なのか それではという事で今朝の朝食にエッグ・ベネディクトを
家内の指導を受けながら自分で作る事にした。

エッグ・ベネディクトのレシピはシェフの数だけあるそうで千差万別だが
我が家のレシピは下記の通うり。

まずイングリッシュ・マフィンを二つにスライス、それをトーストしてバターを塗る。
その上にフライパンで軽く焼いたハムを重ねてのせる。
酢を少々垂らした沸騰している熱湯で作ったポーチド・エッグ(超半熟が望ましい)を準備。
マフィン、ハム、ポーチド・エッグの三段重ねとする。
最後にオランデーズ・ソースをタップリ掛けブラック・オリーブでも有れば飾ってやれば良い。

オランデーズ・ソースの作り方。
卵黄にバター・レモン汁ひと垂らし・白ワインを少々 
湯煎(ゆせん)しながらゆっくりに練り混ぜる。

エッグ・ベネディクトの作り方は簡単だが
全ての食材を同時進行で調理しなければならない。
今回も途中義姉から電話があったが後回しにして
貰ってエッグ・ベネディクトを完成させた。



お陰で立派なエッグ・ベネディクトの完成だ。
エッグ・ベネディクトはブランチの典型的一品。
スパイシーなブラディーマリーを付けて
NYのウォーグドルフ・アストリアなら25ドルぐらい取られるだろう。




信州小旅行(8)

2006年09月13日 21時55分58秒 | 家族行事
軽井沢「星のや」を出て浅間サンラインを長野方面に向け40分ひた走り
「ヴィラ・デステ」は山の中にあった。

「ヴィラ・デステ」は作家エッセイストの玉村豊男さんが10年ほど前 
個人的に奥さんと一緒に3500坪の山林を開墾し造ったワイナリーを
2年ほど前 本格的に事業化したもの。

ワイナリーでは自家の葡萄畑の葡萄でワインを造っている。
シードルも造っているがこれは契約農家から林檎を仕入れているそうだ。

ワイナリーに隣接してフランスの田舎風のレストランが併設されている。
今日のランチは此処に予約済み。
テーブルに出てくるワインは「ヴィラ・デステ」のものだ。
ビンテージは若いが美味しかった。
ライト・ボディーで飲み易く今日のランチには丁度良かった。

ショップではワイン、シードルが売られているが売れ行きが良いのか品薄だ。
玉村豊男さんの画とか玉村豊男さんがデザインした皿なども並べられていた。
花やハーブの苗も売られている。

ワイナリーの周りは葡萄畑とお花畑。
ひとしきり散策の後 帰途に付く。

上信越道 東部・湯の丸インターで高速にのり横浜へ。
途中 物凄い大雨に遭遇したが無事帰宅。

少し疲れたが楽しい旅行だった。
家内は短歌の材料が見つかっただろうか?


信州小旅行(7)

2006年09月13日 20時35分22秒 | 家族行事
本日の宿 星野温泉「星のや」に到着。
横浜から上田を回って300キロの走行であった。

夕食が7時半なのでそれまでに取るものも取りあえず先ずは温泉へ。
お湯は少しぬるめで長く湯船に浸かっていられので温泉が楽しめる。
最後に打ち湯に掛かって一回目の入湯は終わり。
温泉は源泉かけ流しだそうだ 何か気持ちが良い。

夕食はホテル内の和食で懐石。
板前さんは吉兆で修業した人だという。
日本料理のヌーベルクイジーンと言うか大変力のこもった料理だ。
係りの人が丁寧に給仕してくれる。
また給仕の間(マ)も料理の内だと云われているがこれも吉兆流か。

ミスターマスダの個人的感想では
伝統的な日本料理の方が好きだが
年に一・二度ならこんな料理も楽しいだろう。
写真は八寸。食事後ラウンジでコーヒーを頂き部屋え帰る。



宿はコテッジではないがコテッジ形式で池や
せせらぎ小川に面して点在している。

部屋の内部はなんとも表現の仕様が無い。
中途半端な日本趣味の外人が作った和洋折衷の部屋。
外観もそうだがあまりお金を掛けた建物とは見受けられなかった。

ホテルに居る時は時間を忘れて寛ぐ様にとの
ホテル側の配慮で時計もテレビも設置してない。
もう寝るしかないか。

日付け変って9月11日(月)
爽やかな目覚めだ。
流石軽井沢 朝晩は結構涼しい。
起き抜けに一っ風呂 温泉へ。

朝食は外出して某一流ホテル。
楽しみはビール小瓶とエッグ・ベネディクト。
ところが其処のシェフさんエッグ・ベネディクトを知らないという。
エッグ・ベネディクトとブラディーマリーはブランチの定番ではないか、
期待していただけに釈然としないし残念。

正午のチェックアウトまで散歩したりお抹茶を頂いたり
そして最後に露天温泉の「とんぼ湯」で仕上げ。

星野温泉「星のや」は今回の小旅行のハイライトの筈であったが
期待が大き過ぎたのか
思い入れが大き過ぎたのか
「ワンス・イズ・イナフ」という気分だった。


今日の昼食はヴィラ・デスタ 車で30分ぐらい長野方面に走った山中にある。




信州小旅行(6)

2006年09月13日 18時43分08秒 | 家族行事
「北向観音」から車を飛ばす事 30分。
大層 山の中に「大法寺」はあった。

「大法寺」は山の斜面にそって建てられている。
境内を登って行くと先ず眼に入ってくるのが「釈迦堂」。
ご本尊は釈迦堂に安置されている重文の十一面観音。
像高170センチ木造一木造りで藤原中期の作。
タマゴ形のお顔にふっくらとした頬
優しい表情の少し古風で優雅な仏さんである。

その十一面観音を安置してあるのがこれも重文の厨子。
制作年代は定かでないが相当古いことは確か。
厨子の屋根にある鯱は日本一古い物と言う
学術研究が進んでいるそうだ。


大法寺の見ものは国宝「三重塔」。
「見返りの塔」とも呼ばれ塔のあまりの美しさに
思わず振り返えるほどであるという意味だそうだ。
鎌倉時代の建立だそうだ。


薬師寺をはじめ三重塔の国宝指定は13塔だそうだ。
本日2塔見学したので今までにミスターマスダは国宝9塔見学した事になる。


参道には500体は無いが五百羅漢が整列している。
五百羅漢を見る時、何時も自分に似ている石仏を探すのを
常としているが此処の羅漢様には
ミスターマスダに似た羅漢様は見当たらなかった。
その代わりにユーモラスな羅漢様を御紹介する。

寺の売店で例によって絵葉書・パンフレットを求めた時
何かの種が眼に止まった。
種を割って中の実を食べるのだそうだが、それは「カヤの種」
我が家には色々な種があるので貰って帰ってコレクションに加える事とした。

「大法寺」の参詣を終えると午後4時半 当初の計画より
見学する所が増えたのでスケジュールが大幅に遅れた。

今日の宿 軽井沢の星野温泉「星のや」。
本日は強行軍で疲れたが満足した充実した気持ちで
軽井沢へ車を走らせる。



信州小旅行(5)

2006年09月12日 18時35分58秒 | 家族行事
別所温泉から小規模な門前町を辿って行くと「北向観音」。

長野の「善光寺」の阿弥陀如来が南を向いているそうで
それに相対して北を向いている「北向観音」の千手観音と
両方のお寺をお参りするとよい厄除けになるそうだ。
「北向観音」の説明書には北原白秋の短歌が添えられていた。。

残念ながらご本尊の千手観音は秘仏だそうで
お厨子が開かれる事はないそうだ。
千手観音さんが実際に北を向いているかどうか確認は出来なかった。


二年詣りや節分には多数の善男善女で賑わうそうだ。

境内には愛染明王堂が建立されており隣接して
樹齢1200年の桂の樹がある。
別所温泉に逗留して小説「愛染かつら」を執筆していた
川口松太郎がこの老木に「愛染かつら」の名を付けたそうだ。

門前町で一休み、アイスクリームを食べてから
「北向観音」を後にして本日最後のお寺「大法寺」に向う。



信州小旅行(4)

2006年09月12日 18時01分17秒 | 家族行事
曹洞宗「安楽寺」は別所温泉に隣接している。
カーナビは便利、カーナビに導かれて一路 別所温泉へ。

温泉の喧騒を離れ石段を登ってゆくと質素な山門がある。

本堂も煌びやかを排し質素な佇まいだ。

この寺は国宝「八角三重塔」が有名。
日本で唯一の八角の塔で長野県で初めて国宝に指定された建造物。



この塔は一見 四重塔に見えるが 
初重の屋根は庇(ヒサシ)と見なされている。

先ほど拝観した前山寺」の三重塔が明るい場所に建っていたのに
この「八角三重塔」は谷間に建てられており暗い。
塔の八角の屋根は何か中国のお寺の様な感じ。
説明によれば鎌倉時代末期の建立で我が国最古の禅宗様建築で
中国宋時代の建築技術を駆使して建てられたもの。
初代住職も中国よりの帰化僧だったそうだ。



隣接している別所温泉の反対側にやはり隣接して「北向観音」がある。
ついでと言ってはバチが当たるがそこも御参りして行く事とした。


信州小旅行(3)

2006年09月12日 17時33分21秒 | 家族行事
「無言館」を出て山道を登って行くこと500メートル。
そこに「前山寺」がある。
寺に至る鄙びた参道は長野県より文化財に指定されている。

「前山寺」については旅前の下調べでは重文の三重塔と
方丈で頂ける「胡桃のおはぎ」がお目当てだ。

本堂の建物は大きいが茅葺で柔らかい感じ。
尼さんのお寺のような雰囲気。

重文の三重塔も質素だが清潔そうな佇まい。
それもその筈 ”未完成の完成塔”呼ばれ、
完成されないままの姿が美しさを際立たせているのだろう。


名物の「胡桃のおはぎ」は甘味抑え目で美味しかった。
ただし残念ながら肝心の「おはぎ」の由来は聞き漏らした。
食べ始めてからブログ用に写真を撮ることを
思い付いたので「おはぎ」の形が少し崩れてしまっている。

帰りに寺守さんが折角だから国宝の三重塔がある
近くの「大法寺」「安楽寺」の参詣を熱心に勧めて呉れる。
今日は”三重塔”の日にしよう。3塔も見る事が出来そう。
予定を変更 宿に入るのは少し遅れるが行ってみる事となる。

そこで次は「安楽寺」へ向う。



信州小旅行(2)

2006年09月12日 01時25分28秒 | 家族行事
北国街道信州柳町から「無言館」に向う。

「無言館」は戦没画学生慰霊美術館。
第二次世界大戦で散っていった若い画学生の作品を一堂に集めたものだ。
美術館の建物はコンクリートの打ちっぱなし
一階建てで西洋の教会の様に上から見ると十字形になっている。
入場料は無く、出口で”志”を収めるシステムだ。



庭にはパレットの形をしたモニュメントがあり
夭折した画学生の氏名が彫り込まれている。

油彩画あり水彩画あり日本画の大作 彫刻も展示されている。
自分の恋人の肖像画、若い奥さんの裸像、自画像、家族の集合画
勿論 静物、風景画もある。
戦争画ではない。戦意高揚画でもない。

作品の保存状態の悪いものもあるし時節柄か絵の具の発色の悪いもの
変色してしまった物も見受けられたのは残念である。
しかし不思議な事に時代の暗さは画に表れていない。
画を描いた後に戦争に行くことになり不幸にも戦死したのだ。
だから自分の運命も知らず一生懸命描いた画を見るにつけ哀れを催す。
あの「無言館」はあの時代を二度と繰り返すなと無言で云っているのだろう。

あの画学生達が平和な時代に生まれたならば あの中から大家も生まれたと思うが
小生は日本画を描いていた23歳の画学生を応援したい。
美術館内は撮影禁止でブログに載せる画像が無いのが残念。

「無言館」の次は重文の三重塔がある前山寺。
前調べでは前山寺の方丈で振舞われる「胡桃のおはぎ」の”おやつ”が楽しみ。 


信州小旅行(1)

2006年09月12日 00時17分12秒 | 家族行事
9月10日から11日にかけて信州地方に小旅行を試みた。

今日は10日 早起きをして7時前には出発。
偶々今朝の日経に家内の投稿短歌が入選しており選者の講評も好意的だ。
出発間際幸先良い。
実は今回の信州行き家内の短歌の題材探しも目的の一つである。

関越道「高坂SA」で遅めの朝食。
関越道から上信越道に入り妙義山を左側に見ながら一路「上田菅平インター」へ。
一般道で千曲川を渡れば上田市内。

今回の第一の目的地は「おお西]蕎麦店
数日前TVの旅番組で紹介された蕎麦屋だ。
地元の人に美味い蕎麦屋らしい「おお西」は何処か尋ねるも
「信州の蕎麦は何処も美味い」と云われたのには弱った。
何とか探し出したその店は上田駅から500メートルぐらいの所にある
通称「北国街道信州柳町」の中にあった。(風情のある街並み)

早速”蕎麦がき”を肴に一杯。
”発芽蕎麦きり(せいろの一種)”は腰があり美味かったが一人前1500円は高いなあ!
店は古い商家をそのまま使っている。(おお西 蕎麦店)

この「北国街道信州柳町」は町並みが良く保存されている。
文化元年(1804)には商家、造り酒屋、旅籠など
呉服屋も25軒程あり大変賑った所だそうだ。

昼食後柳町をブラブラ冷やかして歩く。
喫茶店兼骨董品と言うよりジャンクを扱っている店”森文”。
店に流れている音楽は真空管のアンプによるもので
この店の亭主は相当の凝り性と見受けた。(森文亭主とミスターマスダ)

メニューにタルト・タターンを見つけたのには大きな驚きだった。
最近はあまりケーキ屋さんでもお目に掛かれず
亭主にその事を言うと他の御客をほったらかしで
我が意を得たりとばかり材料の林檎の選び方など薀蓄を傾けてくれた。
聞けば彼は東京でパテシエをやっていたそうだ。(写真写りの悪いタルトタターン)


この風情のある柳町は観光客相手ばかりでなく
地元の人達にも利用されている生きている町並みだ。
造り酒屋さん御味噌屋さんパン屋さんなども店を連ねている。
地方へ行くとシャッター街が多く見受けられるが
この町はそれには無縁のようだ。(地元の人にも人気のあるパン屋さん)

次の目的地は”無言館”
先を急ごう。