A Slow Life of Mister Masuda

定年退職後のスローライフを公開!

ニセコ スキー行き(上)

2006年02月27日 17時49分34秒 | 家族行事
ニセコ スキー行き

2月22日より北海道ニセコへ友人SG御夫妻と四人づれでスキー行き。
四人の合計年齢272、どんな所でも転ばない事だけが取り柄の老スキーヤー達。

早朝羽田よりANA で1時間半 新千歳、それからバスで途中休憩を含む
2時間半でニセコ・比羅夫へ到着。

今までは信州の妙高に毎年行っていたが、昨年から我々の体力、
テクニックを考慮し雪の状態の良い北海道でスキーを楽しむ事にしている。
昨年は同じニセコでも西武・国土計画がやっている東山コースだったが、
コースが易し過ぎると言うことで今年は隣のコース 
グランド・ヒラフ(ひらふ温泉郷)となった。

午後から早速コースに出る。
羊蹄山が真正面に見える。
1800メートルぐらいの山だが蝦夷富士と言われているだけあり
大変富士山に似ており優美な姿だ。


四人乗りチェアーリフトで8分 エース・ヒルだ。
ジャンボ温度計が摂氏マイナス11度を示している。
ここから滑り降りる人もいるが、我々は更にリフトを乗り継ぐぎ粉雪を求め上に行く。

スキー場は国際的だ。
オーストラリア人、韓国人、中国人のスキーヤーが沢山いる。
特にオーストラリアのスキーヤーは上手だ。
外国人相手の外国人による外国語のスキー・グループ・レッスンも
所々で行われている。

我々のスキーは雪次第だ。
雪が良ければスイスイ・ルンルンで疲れも無い。
同じコースでも雪の状態が悪くなるとモタモタ・モタモタ、
脚が疲れるので頻繁に立ち止まる。

ニセコ スキーー行き(下)に続く・・・・





ニセコ スキー行き(下)

2006年02月27日 15時43分34秒 | 家族行事
ニセコ スキー行き(上)より続く・・・・

今回はラッキーにも雪には恵まれたが、
24日だけは雪が降りコンデションは最悪だった。



スキー場は午後9時までナイターもやっているが、我々年寄りは
午後4時頃までにはスキーを切り上げホテルに引き上げる様にしている。

スキーの後の温泉は楽しい。
オーストラリアのスキーヤーも温泉が、いたくお気に入りの御様子だ。
温泉で聞いた話では、彼等はケアンズから直行便で8時間半かけて
新千歳経由ニセコに10日間のパックツアーで来たらしい。

我々の泊まっているホテルは「ニセコ・アルペン」だが2~3割はオーストラリア人。
ホテルのバーもオーストラリア人がマスター、客は我々以外は皆オーストラリア人、
バーの名前も「モモンガ」。
またニセコにはオーストラリア人相手の別荘の不動産屋もあるらしい。

ホテルにはスイミング・プールや、サウナ、ジャグジー 今、大流行の岩盤浴もあり、
家族連れや女性客に大層喜ばれている。

食事は、外国人が多いので、朝食・夕食とも、和・洋・中華
いずれもバリエーションに富んでいてる。
夕食のバイキングでは蟹は、食べ放題になっているので、
なかには一人で15本も食べる人がいるようだ。
天麩羅バー、寿司バーも豪華だ。
その他の北海道名物,鮭もいくらも雲丹も、そしてジャガイモも格別の美味である。

夕食後はバー・モモンガでマルガリータ。
部屋に帰りテレビでオリンピック観戦。
荒川静香の金メダルには寝不足と感銘を受けた。

帰途立ち寄った新千歳空港内の大土産物店群を冷やかして回わり
試食にあり付くのも、このツアーの楽しみであった。

スーパーで明日からの食料品を買い求め
NHKの連ドラ「氷壁」に間に合うように帰宅。

真夜中テレビでトリノ・オリンピックの男子スキー回転を観戦。
日本の皆川選手が惜しい所でメダルに届かず4位。
まことに残念。

これで今年のスキー行きは無事終了。
楽しかった。







Day 076

2006年02月21日 13時51分14秒 | 航海日誌
第76日目(8月4日)
今日はアカプルコ 二日目。

朝から波打ち際で大波と遊ぶ。
ママもこんな楽しい波遊びはもう一生出来ないだろうと大はしゃぎ。
ビーチで遊んだりプールサイドで椰子の実からストローで
ココナツ・ジュースを飲んだり一日ゆったり過ごす。


ランチは昨日と同じ「ビーチハウス」。
ウエイターが覚えていて親しそうに話し掛けてくる。
流石シーフードは秀逸だ。

ロビーで船の仲間と偶然出会う。
聞けばグループツアーでこのホテルに泊まりに来ているそうだ。
アカプルコに来たらリゾートホテル滞在を体験しなければ
と言うことで意見の一致をみた。
我々皆 俄かセレブリティー。

フェアモント・プリンセスホテルは五つ星でアカプルコ随一の高級リゾートホテルと
言われているが、子供づれ家族も多くグアムのホテルよりは上だと思うが
ドービルのノルマンディーホテルの様なプレステージな感じはしない。

ホテルで夕食をゆっくり楽しみ午後8時ごろ帰船。
午後10時カナダ・バンクーバーに向け出帆。
これから一週間海の上だ。





Day 075

2006年02月21日 13時39分00秒 | 航海日誌
第75日目(8月3日)
早朝メキシコ・アカプルコに入港。
今日明日と二日間 自由行動とした。

早速オーシャン・ターミナルのインフォメーションで五つ星ホテルの予約。
フェアモント・プリンセス・ホテル アカプルコ随一だそうだ。

まずホテルへの途中 寄り道をして市内見学。
断崖絶壁からの命がけダイビングで知られるラ・ケプラダ。
35メーターの高さからの飛び込みだそうだ。

次にターザン映画で有名なワイズミラーとジョン・ウエインが
共同オーナーだった「フラミンゴ・ホテル」で一服。
絶景の高台にあり眼下にアカプルコが一望出来る。

市内のローカルマーケットは活気に溢れている。
土地の人達の行く生鮮食料品市場から観光客相手の土産物屋、
何を見ても興味が尽きない。
木彫りの楕円の鉢が気に入った。
果物を盛っても良し、そのままオーナメントとしても良し。
昼食はホテルまで我慢することにした。

ホテルへの途中オルノス・ビーチに突如現れたお侍さんの像。
1614年 伊達政宗がローマ法王に送った親善使節の支倉常長が
アカプルコに立ち寄ったらしい。

お目当ての「フェアモント・プリンセス・ホテル」にチェックイン。
典型的なリゾートホテルでマウイ島のホテルに良く似ている。
遅めのランチ、ウエイターも愛想が良く気分が良い。
プールサイドでのんびり過ごす。
夕食後 バーでマルガリータとマリアッチの本格的演奏を楽しむ。

ホテルの部屋は大きくゆったりしている。
バスは大理石だしインテリヤも中々よし。
ママはバブルバスを楽しんでいる。

久し振りの
大きなベットに大満足。






Day 074

2006年02月21日 13時38分06秒 | 航海日誌
第74日目(8月2日)終日 碁会所で過ごす。
午前中MKさんと対局、
その後 囲碁教室の指導をしている6段のOIさんと。
午後はYG6段と対局 ボロ負け。
その後UM3段に指導的対局をしてもらう。

明日はメキシコ・アカプルコ、上陸説明会が行われた。
世界的リゾートなので物見遊山は程々にして
五つ星ホテルでゆっくりリラックスしてホテルとビーチを楽しむ積もり。







夕日、残影が綺麗。






Day 073

2006年02月20日 13時37分17秒 | 航海日誌
第73日目(8月1日)
デッキから亀とかエイを見た乗客がいる。

海を眺めながら終日 碁会所。
囲碁仲間も増えてきて結構ご婦人もいらっしゃる。
同じ人とばかり碁を打たず色々な人と対局しようと言うことで
初めてご婦人とも対局した。

8月5日と7日にハーモニカのコンサートが決まった。
練習に熱が入ってきた。
司会と独奏は「知床旅情」をやることにした。

今日は時差で今までとは逆に1時間時計を早め1日が23時間になった。
地球を西に向かっていたのが少し東へ戻ったということか。
東京との時差は14時間。


Day 072

2006年02月19日 13時35分48秒 | 航海日誌
第72日目(7月31日)
昨夜22時コスタ・リカのプンタレナス港を出帆
船は3日のクルージングでメキシコ・アカプルコの予定。

海を眺めていると海豚が散見される。
もう海豚とか飛び魚では乗客は余り興味を示さない。

名画座ではジェームス・ディーンとエリザベス・テーラー
それにロック・ハドソンの「ジャイアント」。

プロムナードではリクライニングチェアーで昼寝と読書。

ダンスのレッスンも盛ん。
二つのグループがありお互いに競っているらしい。

船内小ホールではフラダンスの練習
何か船内演芸の為の演劇のリハーサル。
それにピンポン大会。

般若心経の解説と言うか勉強サークル。
折り紙を楽しむグループ。
マジックの講習会もある。
有料・無料の英会話、スペイン語の会話教室。

女性の将棋のプロが10人ぐらいのアマチュアーと同時対局。
強いことも強いが若くて綺麗で可愛らしい。



アッパーデッキではプールとジャグジー
和太鼓の演奏
どういう訳か「武富士ダンス」の練習。

若者達はバスケットボール、ミニ・サッカーに興じている。

平穏な船上生活である。








閑話休題

2006年02月18日 16時55分28秒 | 家族行事
ママと女友達二人 女三人を従えて又は連れられて埼玉県までゴルフ遠征。
天候にも恵まれ和気藹々の雰囲気で楽しいゴルフ。
緊張感の欠如でスコアーはイマイチ。
当日はバレンタインディだったのでギリ・チョコを頂く。
孫達にもらった物、陶芸の御局さんにもらった物、女友達二人にもらった物等々、
写真に収めてみた。
年々バレンタインのチョコが例えギリ・チョコでも少なくなって行くのは少し寂しい。

表参道にオモテサンドウ・ヒルズと言う新名所が出現したらしい。
出来立ては野次馬で混むからとタイミングを見計らい出陣。
大分混雑が収まったそうだが、それにしても大変な人出だ。
見るばかりで何もお買い物はせず。


では,お食事でもと言う事になったが之は長蛇の行列。
しょうがないやということで,あそこしかないなあと
時々行く表参道から横に少し入ったレストランへ。
シーザース・サラダ、マルゲリータ、タコス 変な取り合わせ。

都心で梅が咲いたとTVニュースで報じている。
我が家の梅は早咲きでもう2週間ぐらい前から咲いており今満開だ。
”とらや”の羊羹ではないが、ひとつ「夜の梅」で御紹介しよう。
室内ではカトレア種の「アエカ・ビーナス」が大輪を咲かせている。
たいした世話をしている訳ではないが毎年楽しまさせてもらっている。

先週日曜日の日経朝刊に久し振りにママの短歌が載った。
昨年ニューヨークに立ち寄った時マンハッタンのグランド・ゼロで詠んだ一首だ。
本人はもっと別の応募作品を採って貰いたかった様だが
ベター・ザン・ナッシング。
まんざらでもなさそう。

最近の我が家は何事も無く平和そのもの。




Day 071(上)

2006年02月14日 23時00分40秒 | 航海日誌
第71日目(7月30日)
コスタリカ・プンタレナスに到着。
静かな入り江で埠頭が1本あるだけでターミナルビルも無く
鉄柵をくぐればコスタリカ国内である。
その1本の埠頭には既にアメリカ船籍の7万トン級豪華客船が停泊中。
向かい側に我々の船も停泊したが、こちらは3,7万トン相当見劣りする。
今日は自由行動。
船のタラップを降りるとすぐ向かいの豪華客船の
米国人乗客達に誘われミニ・バス・ツアーに行く事にした。
どうしても2名の欠員を埋めたかったらしい。
彼らの豪華客船でもグループ・ツアーの募集はあったらしいが
価格が高い(180ドル)と言うことで自分達でツアーを作ることにしたらしい。
ミニ・バス・タクシーを捕まえ豪華客船の企画したツアーパンフレット見せて、
其の通うりに走ると言うことだ。
こちらのツアーは昼食は付かないがガイド付きで20ドルと超割安。

ミニバスの中、お互いに自己紹介を行う。
皆カップルだ。
ニューヨークから来た人、テキサスのブッシュ嫌いのご婦人、
50年前ベトナム戦争時日本に来ていた日本語の単語を少し喋れる人。
ニューヨークに行った事の無いニュージャージーの人。
大変陽気で楽しい人達だ。
ハネムーンの黒人カップルも参加していたが二人の世界に浸っているのか
何時も少し離れたところで我々の会話に入って来ることは無かった。

まずサルチでコスタリカ独自の塗り物である
カレータ(トールペイントの様なもの)の工房を見学。
昔はオックス・カートといって牛に引かせる荷車(コーヒーや穀物を運ぶ)も
写真のようにカラフルに装飾されていたそうだ。
記念にカレータのトレーを購入。

アイスクリームのトッピングに良さそうなリキュール「カフェ・リカ」を求める。
コスタ・リカはコーヒーーの産地として有名だ。

続いて勿論コーヒー樹のプランテーションも見学。

Day 071(下)に続く・・・




Day 071(下)

2006年02月14日 22時54分07秒 | 航海日誌
Day 071(上)より続く

次にサン・レーマン市を訪問。
この町は革命後1948年軍隊を持たない事を決定した
ホセ・フィゲレス・フェレエ大統領の生まれた町で記念館を見学。

この街の人口も結構 多そうだ、
カソリックの教会も「鄙には稀な」立派さだ。
昼食はサンドウイッチバーで各人思い思いにとる事にした。
180ドルのツアーの食事とは大分差があるであろう。
フルーツ・マーケットではママが興味津々、眼の色を変えて楽しんでいた。
結局お買い上げはマンゴ2個、1ドルであった。
船に帰って良く冷やしたマンゴをデッキで食べるのが楽しみだ。

ツアー仲間とは六、七時間という短い時間だったがお互いに、
楽しかったと言うお礼と今後の旅の安全を祈りつつの別れだ。

港に帰ってきたら船の周りにペリカンがいっぱい。
ペリカンは沢山いると前世紀の鳥の様で少し気持ちの悪い鳥だ。
コスタ・リカの南西200キロに忽然と現れる「ココ島」は太平洋最大の無人島。
スピルバークが此処でジェラシックパークを撮影したそうで
この辺りにペリカンが沢山いるのに何か納得。

夕方から再びプンタレナスの街に出て夕食。
シーフード良し、コーヒーも流石本場、ローストの効いた良い味を出している。
船への帰り道、夕焼けが見事。

22時 アカプルコに向けて出帆。



Day 070

2006年02月13日 09時18分55秒 | 航海日誌
第70日目(7月29日)
船はパナマ の海岸線を右舷に見ながらコスタ・リカへ。

朝 明日はコスタ・リカなので上陸説明会が行われた。
コスタ・リカとは「豊かな海岸」と言う意味。
因みにプエルトリコは「豊かな港」と言う意味らしい。
中央台地は高原地帯で、3820メートルのチリポ火山はか3000メートル級の
高峰が幾つも聳え、真夏も真冬も無い「常春」。
国土の4分の1が国立公園。
またこの国の名を有名にしているのが50年前に軍隊を廃止し非武装を貫いている事。






その後 名画座で映画、ジョン・フォードの「荒野の決闘」を鑑賞。
OK牧場ものは興行的にじゃアメリカの忠臣蔵だそうだ。
必ずヒットするらしい。
ヘンリー・フォンダのワイアット・アープ、
ビクター・マーチュアのドッグ・ホリデーが懐かしい。
オー・マイ・ダーリン・クレッメンタインのメロディも久しぶりに聞くと
我が青春時代を思い起こす。

午後はUM3段と大局。勿論5目の置碁。

夕食後 今日は時差調整で1日25時間になるのでMK氏と対局。
囲碁教室の先生で6段のOI氏が見物に現れ色々口出し(指導)を受ける。
碁の勝負の方はグジャグジャになってしまったが、勉強になった気がした.



Day 069

2006年02月10日 23時54分22秒 | 航海日誌
第69日目(7月28日)
パナマ運河はパナマ地峡を開削し、大西洋と太平洋とを連絡させた海洋運河。
1914年アメリカにより竣工、人工湖ガトゥン湖と関門式運河が見ものだ。
全長長さ65キロを9時間掛けて通過するのだ。

朝10時半 ガトゥン・ロック(閘門)入り。
パナマックスと言って船幅32.31メートルがロック航行の限度。
船の両舷を8台の機関車に引っ張られ、一時間半掛けて三つのロックを
階段式に25メートル昇ぼるとガトゥン湖に出る。
ガトゥン地区は雨が多くそこにダムを建設し人工湖ガトゥン湖を作ったのだ。
湖上 松島のように島々が点在している。
湖に沿ってパナマ市からコロン市に向かう貨物列車とすれ違った。
人造湖ガトゥン湖では上下上り下りの船が行き交う。
湖を抜けると幅191メートルのゲイラード・カット。
これを通過すればパナマ側の降りロックに至る。

ロックを三段昇って、また三段降って太平洋側へ。
最後のロックを出るとシドニーのハーバーブリッジのような「アメリカ橋」をくぐると
パナマ市街が遠望される。
想像以上に大きな町で大都会の様だ。

スエズ運河と同様 一日中運河を見ながらデッキで過ごし大満足。
大変蒸し暑い気候ではあったがパナマ運河を堪能した一日でした。

夜はシアターでケビン・コスナーの映画「13ディース」を鑑賞。
キューバ危機の際ケネディーやアメリカ軍部の動きに興味を持った。
どこでも軍人は戦争をやりたがるものか?
ウォーター・クロンカイトのニュース番組が映画に流用されていたが懐かしかった。
映画の興奮を治める為ママとヘミングウエー・バーへ。

この所、しばしばママとヘミングウエイ・バーで
優雅な時を過ごす向きの記述があるが、
実は、j家内は酒は一滴も飲めない。
酒の肴をつまみながら、ひたすら水を飲んで小生に付き合ってくれているのだ。
それでも実に楽しそうではある。

次の寄港地は明後日7月30日コスタ・リカだ。




Day 068

2006年02月09日 16時15分47秒 | 航海日誌
第68日目(7月27日)
午前中 碁会所。
午後一時パナマ・クリストバル港に入港。
早速 記念にパナマ帽を購入。
パナマ帽をかぶって盛大な?歓迎を受ける。

クリストバル港はパナマ運河の入り口でパナマ第二の都市コロンにある。
まずバスでコロン市内観光。

街のソナ・リブレ(自由市)には、
保税倉庫が沢山あり輸出入が盛んな所らしい。
何でも貿易額は世界一?だとの事。
パナマ国家収入の一番を占めるそうだ。
二位が観光収入、三位がパナマ運河通行料収入であると。
ちなみにパナマ運河の一日の収入は200万米ドルである。

ただし市民の住居はひどく粗末な建物ばかりだし相当汚い。
今まで見てきたどの街よりも貧困の呈をみせている。
洗濯物が干してなければ、廃墟としか見えないような住まいが並んでいる。

なんの用事か道端に集まっている人々の暮らしは大変貧しそうだが、
我々にも、明るく笑いかけ手を振ってくる。
それなりの幸せな暮らしなのであろうか?

クリストバル港近くに手入れの悪い駅があった。
主としてコロン市とパナマ市を結ぶ貨物輸送らしいが
朝夕2往復の通勤用の客車列車を運良く見る事が出来た。


郊外の緑豊かな丘陵地帯はその昔パナマ運河建設のための
米国人居留地だった。
現在は中・高級住宅地となっておりレベルの高そうな穏やかな生活を
営んでいる様子が窺がえる。
木立も庭もこざっぱり整えられている。
野生のイグアナも散見できた。
アライグマ、ナマケモノを見た人も居たそうだ。

続いて本日のハイライト 待望のロック(閘門)見学。
3段ロックは見もので感激した。
明日はここを我々の船が通うるのだ。



港に帰るとオーシャン・ターミナル(但し、非常にみすぼらしい)に,
百軒ほどのスーベニア・ショップが店を出していた。
パナマ随一の民芸品である手作りの「モラ」の品々が、山と並んでいる。
女性は皆、夢中で品定めをしている。

キャビンでひと休みしてから、また碁会所へ。
碁と言う物はやり出すと又やりたくなる物らしい。

今晩はクリストバル港埠頭に停泊、
明日は一日掛けてパナマ運河通過だ。



Day 066

2006年02月06日 10時07分00秒 | 航海日誌
第66日目(7月25日)
早朝7時前ジャマイカ・モンテゴベイに入港。
カリブ海に浮かぶ島々の中で3番目に大きな島がジャマイカ。
「レゲェ発祥の地」としても知られている。
輝く海をはじめとする豊かな自然とそこに暮らす人々に興味は尽きない。
今日は自由行動だ。
ジュニア・アンダーソンさんのタクシーで市内観光。
クラフト・センター見学後、お買い物。
高台にある見晴らしの良いリッチモンドヒル・インで良く冷えたビール。
ドライブを続けリッツ・カールトン・ホテルへ。
付属しているゴルフクラブで昼食。
その後ホテルのプールで終日過ごす。
部屋を取ったので久しぶりにバスタブに入りママは御満悦。
風邪も治ったらしい。
夕食はロブスターテール、船の食堂とは比べべくもない。
22時船はパナマに向けて出航。