A Slow Life of Mister Masuda

定年退職後のスローライフを公開!

義兄の御祝い

2011年07月31日 21時36分40秒 | 家族行事
7月17日(日)



浜松の義兄が80歳。ミセス・マスダの姉の夫である。
それで、ミセス・マスダ側の兄弟姉妹とその伴侶が集まって
傘寿のお祝いの食事会を開催。

会場は浜名湖の畔 ダイワロイヤル・ホテル。
昔 母が浜松の病院に入院していた時 見舞いに来浜した際
何度かこのホテルに泊まったことがある。



ホテルからの浜名湖の眺望




末弟の開会の辞で会は始まった。
兄弟姉妹それに義兄に近しい姪甥ほか 20名ぐらい集まった。




ただただ この集りの中で年長という理由だけで
ミスターマスダが乾杯の音頭をとった。





どうしたわけか席は男女別れ別れになってしまった。
酒をいっぱい呑もうというグループと
ちょっと嗜むという女性陣という事らしい。
お互いに久し振りの再開なので近況報告から
話題は時事問題。
藤枝の義兄が御茶の販売をしているので
セシュウーム問題は他人ごとではない。
静岡で医者をやっている義甥は陶芸とワインがやけに詳しい。
談論風発時間の経つのを忘れるほどだった。







ケーキを「ふ~」







今日の主役 義兄よりの思い出話 
画面左上に川があるがそこは義兄の生まれ育った地域である。
子供のころ2歳年上の水泳の「古橋広之進」と
よく泳いだ川だそうだ。




名残りも話も尽きないが会も漸く御開き。
日曜日なのに夕方から子供の塾送りだとか
夫々日常生活に戻って行った。

今回の来浜では最初から決めていた事がある。
帰りに浜松駅前の「八百徳」で鰻を食べる事である。
先にも述べたが浜松の病院に入院していた母を見舞ったとき
ここで鰻をよく食べた。
昔と同じ味であってほしい。







やっぱり昔と変わらぬ美味しさであった



孫娘のアヤちゃんと約束していた「うなぎパイ」の土産も忘れずゲット


親戚で集まることはあるがどうしても法事とか仏事が多くなるものだが、
我が家ではここ数年、甥や姪の結婚式で何度か顔を合わす機会に
恵まれていた。
今日も慶事での集まり、それも兄弟の傘寿のお祝いという
大変嬉しいものであった。








HAMADA SHOJI STYLE

2011年07月25日 14時19分18秒 | 陶芸
7月14日(木)


益子焼の人間国宝そして民芸運動の中心人物として
濱田庄司の名は知れ渡っている。

このたび新橋の「汐留ミュージアム」で
濱田庄司スタイル展」が開催されるという。
弟の方からオープニング・レセプションの招待券が回ってきたので
興味ある展覧会 ミセスマスダと出席。







ミュージアムの館長さん 濱田庄司のお孫さん
などの御挨拶でレセプションは始まった。







会場には200人ぐらいの出席者がいたが
残念なことにミスターマスダの知り合いも
有名人もいなかった。
ただ汐留ミュージアムはパナソニックのメセナ活動なので
予算が十分あるのかシャンペンをはじめ飲み物にバラエティがあり
食べ物も上等だった。










濱田庄司は板谷破山に学び京都の河井寛次郎の知己を得た。
「京都で道を見つけ、英国で始まり、沖縄で学び、益子で育った」
と濱田は書いているが英国でのバーナード・リーチとの交流は
彼の人生スタイル モダニスト・モダニズムに大きな影響を与えたことは疑いがない。

理想の暮らしを求めて益子に移り住んだ濱田庄司
その益子でスローライフとも言える生活を計画。
彼は生活も芸術活動もすべてを自分でデザインする生活に憧れていた。
文字どうり手作りのモダニズムの実践であろう。
白洲次郎の生活態度に似ている気がする。

イギリスのライティングビューロー

ホームスパンの背広

さむえ

水注




作品群の展示も中々の見ものである。
イギリス・セントアイヴィスのスリップウエアーの影響が
各作品に表れている。

赤絵角皿

典型的な「流し掛け」

鉄絵各皿












ミセスマスダの誕生日

2011年07月22日 17時22分36秒 | 家族行事
7月9日(土)
次男から電話がありミセスマスダの誕生日ディナーをしようということとなった。
横浜ベイクオーターの焼き肉屋で次男家族4人と我々二人計6人。
テーブルを予約出来たのですべてがスムーズにいった。
メニューを見ると時節柄ユッケ・レバーは棒線で消してある。





焼肉を食べるのは3年振りだろうか、
昔は長男家族とよく行ったものだ、本当に久し振りだ。
ミセスマスダは突然の次男からの御誘いのバースディディナーに
楽しい会話も弾み、いたく御満足のていであった。

7月10日(日)
長男のところの孫娘二人 「英検」を受けることになった。
節電対策で休日振替出勤となった親たちはダメ,
我々が一日孫娘達とお付き合いすることになった。
英検会場は日吉の日大中学校。
孫娘二人が代わる代わる受験している間 近所のファミレスで待機。
受験の手ごたえは「日光の手前」とのこと。
日光市の手前にある町が今市(イマイチ)。

夕食までは孫達に付きあって御買物。
もう大人の女性並みに買い物には時間が掛かるのに驚き。

漸く夕食、長男は仕事で帰りが遅くなるらしく孫娘達と我々4人。
最近とみに有名になった「スシロー」に行ったら2時間以上待ち。
色々探した揚句 行きつけのステーキハウスへ。
最後はお決まりのサーティーワン アイスクリームでお積もり。
楽しいミセスマスダのバースディディナーであった。(この項 写真無し)

7月12日(火)
ミセスマスダの本当の誕生日は7月12日 今日である。
ミッドタウンまでドライブ  ミッドタウンの店々は買い物をしなくても
ウインドウショッピングをしているだけで楽しい。
ミスターマスダの陶芸にヒントとなる商品が色々並んでいる。
つい時間を忘れてブラブラしてしまう。



サントリー美術館は休館 ミュ―ジアムショップだけ覘いてみる







今日のお目当てはデザートだけのお店。
ケーキ屋さんが店先でケーキを食べさせるのはよくあることだが
喫茶店ではなくてカウンタ^式のケーキ店 飲み物もコーヒーもあるが
シャンペンとかポルトとかコニヤック 
午前中のシャンペンは「アサシャン」決してあさのシャンプーではない。
その店の名前は「トシ・ヨロイズカ」パリで成功し日本にも開店したのだそうだ。
奥さんは有名女優さんだとテレビの放送で見たことがある。

人気のお店なので待たされる。
今日はミセスマスダの第何回目かの誕生日なので我慢して待つことにした。







ミスターマスダはアサシャンならぬ「昼シャン」とスフレ 甘露・甘露であった

ミセスマスダはゴルゴンゾーラベースの豪華デザート



三日間にわたるミセスマスダの誕生日イベント
満足したことと思う。


セントメイの上架

2011年07月18日 13時33分30秒 | ヨット
7月8日(金)~9日(土)



本格的夏のヨットシーズンに向け我らのクルーザー「セントメイ」の整備を
二日間にわたって行う。
船体を上架し船底塗料を塗りかえるのだ。

8日朝 ヨットを水中の船台に近づける。

ヨットは船台にスッポリはまる



船台に確りと固定する。

愈々ウインチで船台をスロープに引き上げる。





ヤー汚い、船底は汚れている。これではスピードに影響する。


サーまず船底のクリーンアップだ。
高圧洗浄機で汚れと付着したウツボを吹き飛ばせ!
ただし水圧が強すぎると塗装の下地まで剥がしてしまう。
水圧の加減が微妙。












高圧洗浄機で取り残した汚れやウツボをたわしでこする。






こんなに綺麗になった。ペイント前に少し乾かそう。
時分どきだ 乾く間 宴会だ・昼食だ。
シュウマイとかコロッケを肴に呑んでいる間に
IGさんが本日のメインディッシュ ソーメンを茹でている。
ヨット上架の日の定番である。




綺麗になった船底にローラーで船底塗料を塗る。















今日の作業はこれでおしまい。

一夜明けて9日(土) 今日も晴天 ヨットの整備にはもって来いの日和。
例によって朝のビールを呑みながらメンバーが集まって来るのを待つ。
朝一番の仕事は船底の左側だけもう一度船底塗料を塗ることだ。
ハーバーに係留しているとき船体の南側に日が当たるので
藻やウツボが付きやすい
その部分に船底塗料を補強しておくためだ。





















スクリューもエンジニアーが整備

大体大きな作業は終わった。
細かい傷とか汚れを拭き取れば整備完了。










さあ 愈々浸水である。
全員位置に付いて。



船台に乗ったまま進水だ。
この炎天下 二日にわたるハードワーク御苦労さん。







あら~IGさんの娘さんとお孫さんも進水の見物に来ている。





無事進水 ヨットは船台より離れ出し自力で動き出した。







ポンツーンに寄ってきた。

YKさんがポンツーンに飛び降りている。急ぐな危ないぞ。





作業が終わり全員日焼けして少しは「海の男」らしくなってきた。




球磨川の鮎

2011年07月14日 16時24分15秒 | 家族行事
7月8日(金)



我が家の御向かいにお住まいの「杉村画伯」から色紙を頂いた。
鮎の水彩画である。

我が家では余り御近所付き合いがない。
ただ御向かいの杉村家とは何故かお付き合いしていただいている。
杉村画伯の展覧会にはいつも伺っている。
ミスターマスダの銀座の陶芸展にも御夫妻でお出で頂いている。
また到来物があると両家とも二人暮らし、お互いにお裾分けし合っている。

毎年シーズンになると熊本・人吉の知人から球磨川の鮎が送られてくる。
杉村家にお裾分けしているが今年も六月初旬見事な鮎が届いた。
杉村画伯よりその鮎を描いた色紙を頂いた。
球磨川の鮎は大振りで立派である。





偶々、二、三日まえに人吉の知人が我が家を訪ねてきたので
早速 杉村画伯の鮎の色紙を御披露した。
立派な画になって嬉しいと言っていた。
この分ならあと数年は鮎を贈ってくれるだろう。




うなぎ

2011年07月11日 21時44分04秒 | 家族行事
7月6日(水)



長男を誘って偶には食事をという事になり
では 「うなぎ」となった。
孫娘も参加したいという事で賑やかになってきた。

鶴見には雛には稀な鰻屋がある。
名前は「荒井」 昔の一流鰻店並みに客を待たす。
客の顔を見てから蒸したり焼いたりするからだ。
客を待たせるので美味しい御酒を置いているところも昔の一流鰻屋並みだ。





家族経営で総指揮は奥さん 親父さんが出前担当  息子が焼きを
娘さんが給仕を行っている。

昨年の夏だったか大忙しの日 
出前の手が足らず団扇をバタバタ鰻を焼いていた息子も出前に行ってしまい
慌てた娘さんが待っている間 何本か御銚子を
無料サービスしてくれたのを覚えている。
まるで落語の世界である。
今日はそんなアクシデントも無く息子は機嫌よく団扇をバタバタ。











焼きあがる間 うざく・肝焼き・骨センベーを肴に久保田。
孫娘は骨センベーが苦手らしい。
しかし骨センベーの粉も混ぜてる「うなぎパイ」は
不思議なことに大好きだそうだ。
今度浜松に行くので御土産に買ってくる約束となった。

ミスターマスダはこの店の白焼きが大好きだ。





店の佇まいは一流とは言い難いが
御値段は一流である。
いつまでも理解ある御客に可愛がられればよいと思う。


クレー

2011年07月04日 15時57分50秒 | 老後
6月29日(水)




気に掛かっていた展覧会  AM御夫妻に誘われて行ってきた。
スイス生まれの画家パウル・クレーの展覧会である。
竹橋の東京国立近代美術館で7月末までの開催。









170点の作品の展示
クレーは一つの作品から「写し」たり「切断」して「回転」させてリして
「再構成」し自ら生み出した技法を用いて多くの作品を創作した。




各時代のアトリエに飾られた作品には
売らずに生涯手元に置いたものもあった。




作品はどれもこれも興味深く鑑賞出来たが
想像していたより作品の寸法が小ぶりであった。









東京国立近代美術館に行くと時間が許す限り
2~4階で開催されている「収蔵作品展」を観ることにしている。
会場の正面には萬鉄五郎の重文とか大観の大作が
何時もと変わらず展示されている。
今日は「オンザロード」という特別企画展も行われていた。

岸田劉生の[道路と土手と塀](重文)

東山魁夷の[道]

ラウシェンバーグの[ポテト・バッズ](ジャガイモの芽?)
なんでジャガイモのダンボールが「オンザロード」なのだろう?



食事は毎日新聞の地下の鰻屋
アーケードでは時節柄 七夕の短冊を通行人に書かせていた。
ミセスマスダは孫たちの幸福を祈念。



ここまでくれば午後のお喋りは近くの如水会館
SMさんの母校の施設である。





御濠の景色を見ながら結構御酒を飲んだが
我々の最後はいつもマルガリータ。
所が残念ながらマルガリータは出来ないそうだ。
しょうがないドライ・マーティーニにしておこう。
午後5時頃 解散となる。