Some Like It Hot

お熱いのがお好きな映画ファンtakのつぶやき。
キネマ旬報社主催映画検定2級合格。

ラストスタンド

2013-05-19 | 映画(ら行)

■「ラストスタンド/The Last Stand」(2013年・アメリカ)

監督=キム・ジウン
主演=アーノルド・シュワルツェネッガー フォレスト・ウィティカー ジョニー・ノックスヴィル

※結末に触れています。ご注意を。
カリフォルニア州知事を退いたアーノルド・シュワルツェネッガーの映画界復帰主演第1作。スクリーンのこっち側では新年度が始まって、僕らも何かと鬱憤が溜まってる。この勧善懲悪映画の快感はそんな気持ちを吹き飛ばしてくれた。しかもこの映画は"圧倒的な力をもって悪をねじ伏せる"これまでのアメリカ映画とはひと味違う。これまでのアメリカ映画が示してきたのはパワーを誇示すること。そして、その前にどんな悪もひれ伏す様子が描かれ続けた。しかし「ラストスタンド」が僕らに示してくれたのは誇りだ。

シボレーコルベットの最新型をぶっ飛ばしてメキシコへの逃亡を図る麻薬王コルテス(エドゥアルド・ノリエガ)。隣の席には人質とされたFBI女性捜査官。軍隊並みの組織を配下に持つ彼は、次々と検問を突破して南へと突っ走る。取り逃がした失態から、コルテスを必死でを止めようとするFBIバニスター(フォレスト・ウィティカー)は、コルテスが通過すると思われる田舎町ソマートンの保安官オーウェンズ(アーノルド・シュワルツェネッガー)に連絡を取り、SWATを派遣するから手出しをするなと言い放つ。ところがコルテスの組織は次々とSWAT部隊の南下を食い止め、ついにソマートンの町がコルテスを食い止める最後の砦となってしまう。保安官とともに立ち向かうのは寄せ集めのメンバーばかり。それでも彼らは誇りをもって悪に立ち向かう。

これまでのハリウッド製アクション映画と「ラストスタンド」が異なると思える点はいくつかある。ひとつはアメリカが誇る大組織が失態を演じて、それを田舎町の保安官が解決するという構図。10年くらい前の映画を例に出せば、国内で核爆発を起こしたテロ組織を次々と粛正する「トータル・フィアーズ」のラストにしても、ロバート・レッドフォードが自宅から電話かけまくって危機にある元部下を救う「スパイ・ゲーム」にしても、強大な組織があっての物語。それは、「こんなアメリカなんだから手出しをするな」と、商業映画を使って世界に宣伝しているかのような絶対的な強さだった。それがどうだろう。「ラストスタンド」でFBIが繰り出す策はことごとく失敗する。シュワルツェネッガーも州知事として、連邦政府の失態を地方政治が尻を拭かされているようなことを経験したのかもしれない。ともかく「ラストスタンド」はパワーという大樹の陰に寄る映画ではないのだ。一人暮らしのおばあちゃんでも銃を手にして、SWATをも退けた悪人を射殺する(全米ライフル協会推薦映画か?とも思ったが・笑)。

そしてヒーロー像の変化がある。これまでシュワルツェネッガーが演じてきたヒーローは超人的な活躍を僕らにみせてくれた。しかし、それはあくまで個人の力量だった。「コマンドー」や「プレデター」は軍隊に属していながら最後は個人の知力とパワーが事態を解決する映画だった。「トータル・リコール」にしても個人が困難に立ち向かう話だし、演じてきた数々の悪役にしてもヒーローにしても(「エクスペンダブルス」を除いて)誰かと組むことはない。ところが「ラストスタンド」のオーウェンズ保安官は、これまでの映画では見られなかった行動が。それは"リーダーシップ"だ。寄せ集めのメンバーでも適材適所でうまく人を活かし、困難に立ち向かう。脚本がうまくできているのはもちろんだけど、州知事を経験したシュワルツェネッガーだからこそ説得力が増す一面だとも思えるのだ。

そして映画のラスト。オーウェンズ保安官は犯人を殺さない。この10年間、アメリカ映画はテロとの戦いを描き続けてきた。それは国の組織が世界を守るために戦っているというプロパガンダという意味もあっただろう。そこには殺戮が描かれ続けた。そうでなくとも勧善懲悪のアクション映画なら、必ずと言っていい程に悪役の死をもって物語は終結する。「ラストスタンド」と同じ脚本が80年代に撮られていたら、コルテスの背後には社会主義国家が暗躍していて、孤独なヒーローが鋼鉄の橋桁から渓谷にコルテスを突き落とす場面で終わっただろう。しかし、シュワルツェネッガー扮するオーウェンズ保安官は、ぼろぼろになったスポーツカーにロープでコルテスを結びつけて凱旋するのだ。さすがに州知事を務めた人物が殺戮の限りを尽くすような描写は、復帰第1作として好ましくないという配慮もあっての演出だとは思う。悪がはびこるどうしようもない現実はある。しかしそこに誇りをもって立ち向かうことを示していると思えるのだ。いずれにせよ、この映画が復帰第1作となったことを称えたい。派手な見せ物CGやドンパチやるだけがハリウッド映画じゃないことを、静かに示してくれるアクション映画だ。穴だらけの脚本がトホホだった「ダイハード/ラスト・デイ」よりはるかに素晴らしい快作。スペイン映画で活躍したエドゥアルド・ノリエガが出演しているのが、ヨーロッパ映画好きな僕は個人的には嬉しかった。



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GO

2013-05-19 | 映画(か行)

■「GO」(2001年・日本)

●2001年報知映画賞 作品賞・主演男優賞・助演男優賞・助演女優賞
●2001年ブルーリボン賞 監督賞・助演男優賞・新人賞
●2001年日本アカデミー賞 監督賞・主演男優賞・助演男優賞・助演女優賞・新人俳優賞・脚本賞・撮影賞・照明賞・編集賞

監督=行定勲
主演=窪塚洋介 柴咲コウ 山崎努 大竹しのぶ

 これは傑作。予告編を観たときは、窪塚クン主演のコリアン・ジャパニーズの青春映画で、ギターポップが流れる若いコ向けな映画だろう(でも面白そう)という印象だった。ところがきっちり親世代にも受け入れられるテーマを持ち、さらに親世代を演ずる助演陣の好演も合わせて見事な快作に仕上がっている。コリアン・ジャパニーズが登場する映画は今までにもいくつかあった。だがティーンエイジャーの視点から今までの日本映画で語りにくかった部分を、絶妙なユーモアを交えて描いているところが面白い。「これは僕の恋愛に関する物語だ」としつこくてちょっと自嘲的なナレーションが入るのも好き(ウディ・アレン好きだから?一理あり)。

 その恋愛映画部分の二人の会話は、「ねぇ日曜日は何してる人?」とか今ドキ言葉の応酬なんだけど、実は結構堅実な内容だったりして好感。デートも彼女の家でレコード聴いてたり。二人が映画の話するところなんて笑えるよね、”ヴァン・ダム”とか。柴咲コウが階段から登場する場面に「こんな美しいものぁ見たことがねぇ」なんて落語がかぶさる演出は絶妙。コウちゃんすっごく美しく見えた。さすが”ファンデーションは使っていない”(笑)。日本人でないことを告白するシーンはさすがに切なかった。差別の実態はもっと陰湿なことがたくさんあるのだろうけど、ああいう風に描かれると今ドキの人々もさすがに空気を読めるだろう。シェークスピアの言葉を引用して、主題をより鮮明なものにしているけれど、映画化されたことでそれはより一層かみ砕かれた気がする。ラストの窪塚クンの叫びは本当に胸に迫る迫力がある。

 久々にいい台詞が数多く聞ける映画だ。宣伝にもそれがうまく使われている。僕は、山崎努がボクシングを教える前に主人公に語る台詞が特に好き。「左手を伸ばしてみろ。それがお前の手の届く範囲だ。でもその外には・・・(後は本編で)」うーん、これは覚えておこう。最後に言っておきたいのは、脇役も含めて出てくる人たちが本当に懸命に生きてるってことが伝わってくる映画だということ。それがどこか安穏と生きてる今の僕らに喝を入れてくれる。

(2003年筆)




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人生万歳!

2013-05-18 | 映画(さ行)

■「人生万歳!/Whatever Works」(2009年・アメリカ)

監督=ウディ・アレン
主演=ラリー・デビッド エヴァン・レイチェル・ウッド パトリシア・クラークソン ヘンリー・カヴィル

しばらくヨーロッパを映画の舞台にしてきたアレン先生が、「メリンダとメリンダ」から5年ぶりにニューヨークで撮った作品。監督に徹する作品では、様々な男優がウディ・アレンの分身のような演技を披露してきた。最近なら「ミッドナイト・イン・パリ」のオーウェン・ウィルソン、「セレブリティ」のケネス・ブラナーあたりが見事だった。この「人生万歳!」(なんか高齢者向け番組ぽく感じる邦題だが・笑)では、テレビで脚本家・コメディアンとして活躍するラリー・デビッドを主演に迎えた。この人、スタンダップ・コメディ(一人でステージに立つ毒舌話芸)から世に出た人なので、この映画の主人公ボリスの毒舌で皮肉を口にする偏見に満ちた初老のキャラクターにぴったり。もうこの人でなかったら、どんな映画になってただろう。

ノーベル賞を取り損ねた天才物理学者ボリスは、自殺に失敗し妻と離婚。その後は下町で、仲間とカフェで毒舌三昧のおしゃべりをしたり、近所の子供にチェスを教えたりの冴えない日々。ある日家出してきた20代の女の子メロディ(エヴァン・レイチェル・ウッド)を泊めてやったことから、彼女との不思議な共同生活が始まる。世間知らずで教養の乏しいメロディを「私は天才だから、君とはレベルが違う」と見下すボリス。だが尊敬は愛に変わるのか、メロディはそんなボリスを「好き」と言い始め、ついに二人は結婚。ところが、メロディを探してニューヨークに母親(パトリシア・クラークソン)がやってくる。都会で新たな価値観を見つけて、ぶっ飛んだ行動を取り始める母親。母親が娘をボリスと別れさせるために若い美男俳優をけしかけ、母親を追ってやってきた父親を巻き込んで、事態は性をめぐる大騒動に発展していく。

ラリー・デビッドという最高の語り部を得たせいなのか、ウディ・アレンが世の中に言いたかったことを次々と繰り出してくる。「スリーパー」あたりの昔の作品で、台詞の片隅に社会への皮肉が散りばめられていたのを思い出す。「人生万歳!」では、久々に政治を皮肉るネタまで飛び出す。昔を知るからこそ「らしい!」と拍手を送れる映画かも。ただ一方で、ボリスのキャラクターに嫌悪感を抱いてしまった人にはキツい映画かもしれないかれど。それにしてもここまでこじれた物語がどんな結末に?と思っていたら、奇跡のようなハッピーエンドが待っている。ヨーロッパを舞台にした「それでも恋するバルセロナ」や「マッチポイント」では、突き放したような結論だったのに。古巣ニューヨークで撮ったことも理由かもしれない。どんなにうまくいかない人生を送っていても、世の中を悲観してネガティブになっていても、必ずどこかにあなたを理解してくれる人がいる。「それでも恋するバルセロナ」のラストで感じた無常観。人って誰かに惹かれあうものなのに、結婚って何だろう?と不謹慎にも考えながら、空虚な表情のヒロインを見ていた。でも「人生万歳!」にはその先のアンサーがある。ちょっと変わった人たちばかりのお話だけど、愛さずにはいられない佳作。そう思ったら、この古くさい印象の邦題も理解できる気はするんだよな。





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欲望のあいまいな対象

2013-05-15 | 映画(や行)

■「欲望のあいまいな対象/Cet Odscur Objet Du Desir」(1977年・フランス=スペイン)

監督=ルイス・ブニュエル
主演=フェルナンド・レイ キャロル・ブーケ アンヘラ・モリーナ

 男にとって不可解な生き物である女性。しかし、男は女に惹かれずにはいられない。メイドとして務めていた若い女にのめり込んでしまったフェルナンド・レイ扮する初老男が、彼女に振り回される様を描く。ルイス・ブニュエル監督の遺作となったフィルム。「ブルジョアジーの密かな愉しみ」では頭を抱えてしまった僕だが、これは快作!気に入った。コンパートメントで主人公によって語られるお話は、同じ事を繰り返しているだけなのだけど、ブニュエルの魔法でこれが不思議な魅力が出てくるんだよね。これに財産目当ての殺しが絡んでくると、「暗くなるまでこの恋を」的な男女の腐れ縁話になるのだろうけど。

 年取って女に狂うと大変とはよく言うけれど、やはりそうなのかなぁ。主人公の狂気じみた愛情はとどまるところを知らず、ヨーロッパ各地へ彼女を追いかける。じらしにじらされる彼の苦悩はおかしくもあり、あわれでもあり、男としては同情したり(笑)。征服欲、所有欲・・・やはり男は情けないくらいに煩悩の固まりだ。されど、そんな男たちの姿を銀幕で眺め、我が身を振り返るのことができるのも映画のおかげ。ありがたや、ありがたや。

 ピエール・ルイスの原作はマレーネ・ディートリッヒやブリジッド・バルドー主演で、今まで何度も映画化されたものらしい。昔の歌謡曲に 追いかければ逃ーげていく あなたは罪な人ーね~(♪射手座の女) ってのがあったけど(失礼)、誘ったかと思えば離れていく、”あいまいな”女性の二面性を表現するために、ブニュエルは映画史上例のない二人一役という手法を用いた。”処女性”を演ずるのはこれがデビュー作となったキャロル・ブーケ。スレンダーでクールな側面を演ずる。一方”娼婦性”を演ずるのが、肉感的なスペイン女優アンヘラ・モリーナ。どちらも好演。そもそもはマリア・シュナイダー一人で演ずる予定だったらしいんだけど、この手法に変更したそうな。これには賛否あるところだろうけど、僕は納得します。

(2002年筆)



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レザボア・ドッグス

2013-05-13 | 映画(ら行)

■「レザボア・ドッグス/Reservoir Dogs」(1992年・アメリカ)

●1993年インディペント・スピリット・アワード 助演男優賞
●1992年トロント国際映画祭 国際批評家賞

監督=クエンティン・タランティーノ
出演=ハーベイ・カイテル ティム・ロス スティーブ・ブシェーミ

 言わずと知れたタランティーノのデビュー作にして代表作。オ-プニングの”マドンナ談義”からグイグイ観客を引き込んで離さない。「ジョークはディティールが大事なんだ」という劇中の台詞も出てくるが、この映画は全編がまさにそのディティールの寄せ集め。犯罪映画のくせに襲撃シーンもない、追っかけもない。集合場所の倉庫内という限られた空間で、ほとんどストーリーテリングしていく。ハーベイ・カイテルの二丁拳銃(ルーツはジョン・ウー?)を除いて、カッコつけた銃撃戦もない。従来の犯罪映画が重要視してきた場面はことごとく排除されている。にもかかわらずこの映画は実に魅力的だ。

 それは台詞によるところが大きい。とにかく男達はよくしゃべる!。スコセッシの犯罪映画ならジョー・ペシがしゃべり続けていて、ロバート・デ・ニーロは寡黙。でも「レザボア・ドッグス」はみんながみんなよくしゃべる。普通なら説明くさくなりそうなところを、口調や話題だけでキャラクターを表現しているのがすごい。他にもこの映画にはタランティーノのアイディアが満載だ。直接残酷な場面を見せずにカメラが上を向いたり、(編集を楽にするために?)長回しがあったり。

 タランティーノ映画は映像のメガミックスだと思うのね。タランティーノは映像を自在に操るDJなのだ。自分がレコメンドする映画たちを、愛情を込めて再構成する。例えば登場人物がMr.ホワイト、Mr.ピンクと色で呼び合うが、これはロバート・ショウ主演の「サブウェイ・パニック」(月曜ロードショーで観たなぁ)。台詞の中にはパム・グリアの名も。そしてそこにはイカした音楽が重なる。Little Green Bag をバックにサングラスの男達がスローで歩くタイトル。映像と音楽が見事に調和する場面だ。ここだけでも何度でも観たい。ただバイオレンス嫌いの僕は、ここまで血をみるとちょっとね・・・。マイケル・マドセンがやたら怖かった。

(2004年筆)



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図書館戦争

2013-05-12 | 映画(た行)

■「図書館戦争/Library Wars」(2013年・日本)

監督=佐藤信介
主演=岡田准一 榮倉奈々 田中圭 福士蒼汰 栗山千明

有川浩の人気小説シリーズを実写映画化した意欲作。原作は僕も好きで、ミリタリー色の濃いハードな一面と、主人公のでっかい乙女笠原郁が騒動を巻き起こすコミカルな面が同居して、娯楽小説としてとても楽しんでいる。しかし、原作に思い入れがある映画ってハズレだった過去が多々あるだけに、今回の映画化も期待していいのか、中途半端な娯楽作になっちゃってるのではないか、個人的には正直不安だった。でも、僕の生息地である北九州市で大がかりなロケが行われたこともあり、これは観ておかねば・・・と劇場へ。

結論。これはこれでアリでしょ。2時間の尺に収めた割には原作の本筋も曲げられず、主要なエピソードはほぼ網羅。しかも原作のシリーズ第1作のクライマックスにあたる大がかりな良化隊との戦闘エピソードが、実写だからさすがに盛り上がる。しかもその舞台が、地元の見慣れた風景(北九州市立美術館)なんだから地元民は嫌でもテンションがあがる。映画はミリタリー色がさらに濃くなり、コミカルな部分は少なめ。その分だけ原作よりも派手で、正義感に満ちた、真摯な映画に仕上がっている。あまりのアツさに「海猿」を観ているような錯覚に陥るが。

そして心に残るのは、”本を守る=思想・表現の自由を守る”ことの大切さと、ろくな議論もせずに「メディア良化法」という化け物を成立させてしまう人々の愚かさ。法を遵守するあまりに”焚書”や”検閲”が行われる醜い世界が描かれる。一方、僕らがスクリーンのこっち側の現実世界では、2010年には有害なコミックなどを規制する目的の東京都の条例改正が、漫画家を巻き込む論議を呼んだり、アニメ関係のイベント開催に影響が出たり、騒動になったこともあったっけ。あの条例が「メディア良化法」だとは言わないまでも、僕らはこの物語で描かれる「正化」時代のような世の中にしてはならない。良化隊を徹底して悪として描き、石坂浩二扮する稲嶺司令に「こんな世界にしてしてしまってすまない」と言わしめる演出。有川浩が原作で訴えたかったメッセージは、きちんと描かれている。これなら原作派の鑑賞者にも不満はないだろう。

個人的にはキャスティングがいい。主人公笠原郁が演じられそうな大柄な若手女優と言えば、榮倉奈々の他に僕も思いつかなかった。映画本編でも”でっかい乙女”としてコミカルな部分を一人で引き受ける。堂上教官の岡田准一も適任だろう。岡田准一は、ブルース・リーが既存の拳法を発展させた截拳道(ジークンドー)のインストラクター資格をもつ。誘拐された稲嶺司令と郁を救う為に戦うクライマックスでみせるカンフーアクション。どうせ暗闇でドンパチするだけの場面だろうと思っていた僕は、本格的なカンフーアクションに心躍ってしまう。郁の同僚柴崎役は原作のイメージ通りの栗山千明。主要キャラはバッチリかな。そして読書を愛した故児玉清がこんな形で出演するなんて・・・感涙。

Production I.G.が手掛けたアニメ版も今見直しているが、こっちはコミカルな部分が楽しい。「焚書」のエピソードで「これは予言書なんだ。」とレイ・ブラッドベリの「華氏451」が出てくるエピソードに感激。



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メトロポリス - 80's Movie Hits ! -

2013-05-11 | 80's Movie Hits !

- 80's Movie Hits! - 目次はこちら

■Love Kills/Freddie Mercury
From「メトロポリス/Metropolice」(1926年・独 1984年)

監督=フリッツ・ラング
主演=ブリギッテ・ヘルム アルフレッド・アベル グスタフ・フレーリッヒ

 SF映画の古典とされるサイレントの傑作「メトロポリス」。膨大な製作費と3万6千人ものエキストラを使った大作にして、多くのフォロアーに影響を与えたカリスマ的魅力のこのフィルムは、今観ても造形・演出の斬新さは見応えがある。「ブレードランナー」のタイレル社にも似た地下工場の強烈なイメージ、C-3POの原型とされるロボット=マリアの造形など、ビジュアル面で語られることが多い映画だが、30年代ドイツの不穏な空気や階級社会、労働問題なども描かれている。完成時のオリジナルは210分とも言われているのだが、後述するモロダー再編集版(84年)は83分、他にも様々なヴァージョンが存在する。

 ピアノ伴奏が付いているオーソドックスなヴァージョンや、難波弘之氏が劇伴を付けたヴァージョン(今入手できないだろうか?)のビデオがリリースされている。2002年にはフランスのロックバンド、アール・ゾイドが生で演奏する上映会が開催されたりもした(このときのヴァージョンは2001年にドイツで修復・編集された「最終完全版」だったとか)。

 僕ら80年代青春組は幸運にもこの伝説の映画を劇場で観ることができた。それが84年のジョルジオ・モロダー再編集版だ。自宅でこのビデオを鑑賞中、ロックを流していたとき、これが意外にマッチする!とひらめいたスーパープロデューサー、ヒゲ親父!。そして自作の80年代エレクトロポップ/ロックをBGMに、画像に色彩処理を施しリバイバル公開するに及んだ。その楽曲でやはり特筆すべきは、フレディ・マーキュリーの実質的ソロ第1作となった Love Kills だろう。クィーン活動休止中の83年、ミュンヘンを訪れていたフレディにモロダーがサントラ制作の協力を依頼し、このコラボレーションが実現した。モロダーと言えば、タンス型ムーグシンセを使用した16分音符のベースラインが特徴の”ミュンヘン・ディスコ”の開祖。シーケンスピコピコにピアノがバーン!と鳴るサウンドと、力強いフレディの歌声!。クィーンとはまるで異なるサウンドと重なるこの曲は、僕には強いインパクトがあった。PVは「メトロポリス」の映像ばかりで歌う場面はなかったと記憶している。

 サントラには、他にパット・ベネター(Heart Gets Fire)やボニー・タイラー(Here She Comes)らが参加した。だが古き良きサイレントに電子音楽というミスマッチが、やはり許せなかった人々も多かったのは事実。そのせいか(?)85年のゴールデン・ラズベリー賞では、ワースト音楽賞を受賞しているのだった。


※Freddie Mercury の歌が流れる主な映画(ソロ名義)
1984年・「メトロポリス」 = Love Kills
1984年・「りんご白書」 = Foolin' Around
1992年・「ナイト・アンド・ザ・シティ」 = The Great Pretender
1993年・「ローデット・ウェポン」 = Love Kills

※Giorgio Moroder 関連の曲が流れる主な映画
1978年・「ミッドナイト・エクスプレス」
1980年・「アメリカン・ジゴロ」 = Call Me (Blondi)
1980年・「フォクシー・レディ」 = Fly Too High (Janis Ian) Foxes (Donna Summer) On The Radio (Donna Summer) 他
1982年・「キャット・ピープル」 = Putting Out The Fire : The Theme From Cat People (David Bowie)
1983年・「D.C.キャブ」 = The Dream (Irene Cara) Single Heart (DeBarge) 他
1983年・「フラッシュダンス」 = Flashdance ~ What A Feeling (Irene Cara) Lady Lady Lady (Joe Bean Esposito) 他
1983年・「スカーフェイス」 = Scarface (Push It to the Limit) (Paul Engemann) Rush Rush (Debbie Harry) 他
1984年・「メトロポリス」 =Love Kills (Freddie Mercury) Here She Comes (Bonnie Tyler) 他
1984年・「ネバーエンディング・ストーリー」 = The Never Ending Story (Limahl)
1984年・「エレクトリック・ドリームス」 = Together In The Electric Dreams (Georgio Moroder & Philip Oakey)

1986年・「トップガン」 = Danger Zone (Kenny Loggins) Take My Breath Away (Berlin) 他
1986年・「私立ガードマン 全員無責任」 = She's My Man (Sigue Sigue Sputnik)
1986年・「マネーピット」 = Rush Rush (Debbie Harry)
1986年・「クイックシルバー」 = Quicksilver Lightning (Roger Daltrey)
1987年・「オーバー・ザ・トップ」
1988年・「フェアー・ゲーム」
1988年・「ランボー3 怒りのアフガン」 = ♪He Ain't Heavy ...He's My Brother (Bill Medley)
1989年・「のるかそるか」



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裸のマハ

2013-05-10 | 映画(は行)

■「裸のマハ/Volaverunt」(1999年・フランス=スペイン)

●1999年サン・セバステャン国際映画祭 主演女優賞

監督=ビガス・ルナ
主演=ペネロペ・クルス アイタナ・サンチェス・ギヨン ステファニア・サンドレッリ

 「裸のマハ」は絵画史上初めて陰毛が描かれた裸婦像。異端審問会に告発されたという。そのゴヤの名画をなめるように撮るカメラワークから、問題の陰毛のアップ・・・そこにくびれたグラスが重なるオープニングは実に印象的。観客を映画の世界へと誘う上手な魔法だ。ビガス・ルナ監督は「性」にこだわる監督。でもそれは陰湿さはなく、「おっぱいとお月さま」にしても「ハモン・ハモン」にしても、ラテン系の映画らしいあっけらかんとしたユーモアがあった。今回はそんなユーモアある作風から離れ、19世紀の宮廷をめぐる愛憎劇をスリリングにみせてくれる。前出2作品ほどの露出はないけれど(残念・笑)、エロスの匂いが画面から香ってくるような映画だ。冒頭パーティの場面、裸足で踊るペネロペ・クルスの美しさ。宰相マヌエルが彼女をみそめる場面、「絵に描かせて側に置きたい」というのも、男としてわかるわかる。

 ミステリーは二段構え。ひとつは「マハ」のモデルは誰か?という歴史上の謎。アルバ公爵夫人がモデルだとされている。が、当時”フランス流”として剃毛が流行っており、公爵夫人も例外ではなかった。では誰がモデルなのか?。そしてもうひとつは、公爵夫人の死が殺人なのか自殺なのか?というミステリー。宮廷内の人間関係の面白さもあるのだから、登場人物それぞれの証言が入り乱れて「羅生門」のような展開になったらもっと面白かったのではないだろうか?。でも豪華な衣装と美術、当時を再現しようとする凝った出来栄えは見応えありです。

(2003年筆)



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ハート・ブルー

2013-05-08 | 映画(は行)

■「ハートブルー/Point Break」(1991年・アメリカ)

●1992年MTVムービーアワード 魅惑的な男優賞 

監督=キャスリン・ビグロー
主演=キアヌ・リーブス パトリック・スウェイジ ロリ・ペティ

 「マトリックス」の1作目にしてもそうだが、キアヌ・リーブスには成長物語がよく似合う。育ちのよさそうな風貌がそう思わせるのだろう。本作は若手FBI捜査官に扮し、まさにそうした役どころ。しかし彼は犯人を追いつめていながら人を撃てない弱さを克服できずにいる。メキシコまでパトリック・スウェイズを追いかけていながら、パラシュートなしで飛行機からダイブする命知らずのアクションまで展開しながら、結局逃がしちゃう。それが故に、観ていてハラハラしながらもイライラする何とも煮え切らない映画になっちゃってはいるのだが。FBIにしてみりゃ連続の失敗続きだし、上司には逆らうし・・・ラストまでよくもまぁ主人公が捜査官として仕事続けてこられたよなぁ、と思わざるを得ない。そこがこの映画をどうも手放しでほめられない理由になっている。僕はパトリック・スウェイズの方が(汚らしいけど)やたらかっこよく見えた。

 だがこの映画の魅力は刑事ものとしての面白さではなくて、他のところにある。それはサーフィンとスカイダイビングの魅力をスクリーンに刻み込んだことだろう。サーファーたちがパトリック・スウェイズの家でパーティーするシーンがあるのだが、そこで一人が「サーフィンは最高だぜ、セックスよりも気持ちいい」と言う。スポーツでも音楽でもそうだと思うんだけど、すごくうまくいった瞬間やプレイしているときの一体感は、この台詞のような快感に通ずるものだ。僕自身もそう思う。これまでもサーフィン映画はたくさんあったし、スカイダイビングを見せ場とする映画はたくさんあった。でもそれは傍目からみたかっこよさだけを映したもので、やっている側の心境にまで深く触れたものはそれ程なかったと思うのだ。スカイダイビングのシーンでは、「これは神とのセックスだ!」と叫ぶ。表現は悪いかもしれないが、その感覚は観ている側に少しだけど確実に伝わっている。この映画を観てサーフィン始めた、という人けっこういるみたいだしね。

 キャスリン・ビグロー監督は激しいアクションやサスペンスを得意とする女性監督。ちなみに製作総指揮を担当しているジェームズ・キャメロン夫人でもある。「ストレンジ・デイズ」でもそうだったように、カメラが主観的に動き回るのがこの映画でも活かされている。ところで、キアヌ・リーブス扮する若手FBI捜査官がコンビを組むのが、ゲイリー・ビジー扮するベテラン捜査官。残された手がかりから犯人はサーファーだという主張から、ゲイリー・ビジーはキアヌにおとり捜査を提案する。その際に「サーファーって奴らは人にわからないような言葉をしゃべる、得体の知れない連中だ。」と言うのだ。ゲイリー・ビジーはサーフィン映画の大傑作「ビッグ・ウェンズデー」で主人公3人組を演じた一人。彼がそんな台詞を吐くんだから・・・いいセンスじゃない!。

(2005年筆)


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スケバン刑事 - 80's Movie Hits ! -

2013-05-07 | 80's Movie Hits !

- 80's Movie Hits! - 目次はこちら

■楽園のDoor/南野陽子
from「スケバン刑事」(1987年・日)

監督=田中秀夫
主演=南野陽子 相楽ハル子 吉沢秋絵 伊武雅刀

 ナンノ(この呼称が通ずるのは世代高め?)は80年代後半に大活躍したアイドルの代表格。富士フィルムやグリコのCMでの笑顔は誰よりも輝いていた。あれで惚れた男子諸君もいたことだろう。ブレイクした頃、アイドルとしてはやや遅咲きだの何だの言われたけど、あの笑顔を見ればそんな声もどこへやら。85年のミス・マガジンに選ばれ、同年「恥ずかしすぎて」で歌手デビュー。そんな美少女がまさかアクションに出演するなど誰が考えていただろう。

 「スケバン刑事」は80年代にフジテレビ系で放送されていたアイドルアクションドラマ。つーかアクションと呼べる代物ではなかったが。和田慎二の原作は子供の頃に読んでいて、あのハードな雰囲気が何となく好きだったのだが、ドラマの方は原作とは全くかけ離れた内容で、シリーズが進むにつれてどんどん荒唐無稽になっていく。不良っぽさからは縁遠いイメージの斉藤由貴が、学生捜査官の主人公麻宮サキを演じたファーストシリーズは、どことなく悲壮感が漂って面白かったものだ。我らがナンノが二代目を襲名するセカンドシリーズは「スケバン刑事ll 少女鉄仮面伝説」。幼い頃から鉄仮面を付けられて育った高知県出身の少女・・・という設定が既に無理があるのだが、それでも強引に物語は進行するから、笑っちゃいながらも毎週見ていたなぁ。ビー玉お京(相良晴子)や矢島雪乃(吉沢秋絵)と共に戦う姿、素敵でした。ナンノの決め台詞は、当時「鬼龍院花子の生涯」で流行となった高知弁で、「おまんらゆるさんぜよ!」。桜の代紋がついたヨーヨーを武器に悪に立ち向かう。「頬に風が当たっちゅう・・・」や「何の因果かマッポの手先・・・」という台詞も最高。

 TV人気もあって製作された劇場版「スケバン刑事」。伊武雅刀(怪演!)扮する悪党は、不良男子学生を殺人マシーンに育てクーデターを企むという役柄。そこから逃げてきた杉本哲太を助けたサキは、「地獄城」で戦いを挑む。仲間二人や三代目サキ(浅香唯)と共に戦うクライマックス、ヨーヨーでヘリコプターを撃墜するという名場面?も楽しい。TV版とは違うおどろおどろしさが全編を包む。監督の田中秀夫氏は東映戦隊ものから監督のキャリアが始まった人。操られる男子学生たちの動きは、まるで怪人、はたまたゾンビ。エンディングで生還を果たしたナンノに観客が安心した後、主題歌「楽園のDoor」が聞こえてくる。来生たかお作、ミディアムテンポの哀愁漂うメロディー。後に来生氏によるセルフカバーもリリースされている。僕はナンノのシングル曲の中でもかなり好きな一曲。ナンノのサキにはもう会えないんだな、と残念に思った輩も多かったことだろう。

 ナンノは東映の看板女優の一人として銀幕を飾ることとなる。大和亜紀原作の「はいからさんが通る」「リンデンバウム 菩提樹」と主演作が87・88年と続いた。その後数本を経て92年、ファンには衝撃だった「寒椿」へ。僕は当時試写会のハガキを手にしたが、結局行けなかった。ファンとしては見てはいけないのでは・・・そんな思いがあったのだろうか(ウソウソ)。さて、東映に是非やって欲しいのは、「極道の妻たち」にナンノを出演させて「おまんらゆるさんぜよ!」を再びやってもらうことだな(笑)。それにしても「千年の恋 ひかる源氏物語」の朧月夜はよかった。

映画『スケバン刑事』 予告編


※南野陽子の歌が流れる主な映画
1987年・「スケバン刑事」 = 楽園のDoor 夜の東側
1987年・「はいからさんが通る」 = はいからさんが通る 雨のむこうがわ
1988年・「リンデンバウム 菩提樹」 = あなたを愛したい 天使のアーチェリー

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