愛知県新城市(シンシロ)の山間にある廃校の庭で行われた「イ・マエストリ市、無二の市」というイベントを訪問した。
「イ・マエストリ」とは、イタリア語で「一つの分野で優れた技能を持つ巨匠・アーティスト」いうほどの意味だ。
また、「無二の市」とは、字のとおり「二つとない、ただ一つのものたち」、誇り高い人間やモノで構成される市ということのようだ。
ウクレレやギターや大正琴などの舞台前に焚火があるという組み合わせが見事マッチしている。
50人ほどのアーティストや百姓たちが紅葉や山並みに囲われた大正時代に創立された小学校校庭で作品や生産物を競う。
校舎の屋根は瓦葺だ。
そこに流れるゆったりした空間や時間は今の日本が失いつつある空気でもある。
歩く人・とどまる人全てが開放された穏やかさを共有しているかのようだ。
市場原理主義はとりあえずここでは冬眠したのかもしれない。
でもきっと、明日からまたじわじわとやって来るにちがいない。
それでもきっと、小さなマエストロたちは、小さなムラで少しの作品や野菜を作り続け、自らのささやかな誇りを貫くにちがいない。
「イ・マエストリ」とは、イタリア語で「一つの分野で優れた技能を持つ巨匠・アーティスト」いうほどの意味だ。
また、「無二の市」とは、字のとおり「二つとない、ただ一つのものたち」、誇り高い人間やモノで構成される市ということのようだ。
ウクレレやギターや大正琴などの舞台前に焚火があるという組み合わせが見事マッチしている。
50人ほどのアーティストや百姓たちが紅葉や山並みに囲われた大正時代に創立された小学校校庭で作品や生産物を競う。
校舎の屋根は瓦葺だ。
そこに流れるゆったりした空間や時間は今の日本が失いつつある空気でもある。
歩く人・とどまる人全てが開放された穏やかさを共有しているかのようだ。
市場原理主義はとりあえずここでは冬眠したのかもしれない。
でもきっと、明日からまたじわじわとやって来るにちがいない。
それでもきっと、小さなマエストロたちは、小さなムラで少しの作品や野菜を作り続け、自らのささやかな誇りを貫くにちがいない。