先日の森の散策会で素朴な石仏に出会った。
摩滅していて仏の表情や文字を解読するのは難しい。
しかし間違いなくこのさびしい道にはかつて往来があり、愛知の鳳来寺と長野の善光寺とを結ぶ道でもあったのだ。
おそらく道祖神であろう石仏の傍らには、鋼鉄製のミニ鳥居が奉納されていた。
これがどういう意味があるのかはわからないが、重い鳥居をここまで持ってきた信心たるものの強さを知るのみだ。
昔の人のほうが精神の強靭さがあるんだなー。
摩滅していて仏の表情や文字を解読するのは難しい。
しかし間違いなくこのさびしい道にはかつて往来があり、愛知の鳳来寺と長野の善光寺とを結ぶ道でもあったのだ。
おそらく道祖神であろう石仏の傍らには、鋼鉄製のミニ鳥居が奉納されていた。
これがどういう意味があるのかはわからないが、重い鳥居をここまで持ってきた信心たるものの強さを知るのみだ。
昔の人のほうが精神の強靭さがあるんだなー。