702年創立と言われる愛知県新城市の「鳳来寺山」の紅葉を見に行った。
紅葉の見事さもいいが、それ以上に、石段と杉木立が魅力だ。
山頭火が詠んだように深山に沁みこむ幽玄の気配が素晴らしい。
階段は1425段もあると言われるとおり、休みながらでないと本堂には到着しない。肩で息を吐きながら一歩一歩登っていく。
数百年の年輪の杉木立がわれわれを修行僧にしてしまう。
芭蕉は途中でギブアップして引き返したという。
それでも、「木枯らしに岩吹きとがる杉間かな」と俳句だけは詠んでいる。
相当寒かったようだ。
それ以外に「夜着ひとつ 祈り出して 旅寝かな」も残している。
芭蕉の小柄な坐像がわれわれを歓迎してくれた。
廃屋や廃絶した跡地が所々に見られる。
鳳来寺の栄光と挫折の歴史そのものがこの石段界隈から伝わってくる。
山頂近くの駐車場からの歩きやすい直近ルートからはそれを感じられない。
やはり、歴史ある寺院から人生や歴史の奥深さを見出すには、汗をかかなくてはいけないのかもね。
紅葉の見事さもいいが、それ以上に、石段と杉木立が魅力だ。
山頭火が詠んだように深山に沁みこむ幽玄の気配が素晴らしい。
階段は1425段もあると言われるとおり、休みながらでないと本堂には到着しない。肩で息を吐きながら一歩一歩登っていく。
数百年の年輪の杉木立がわれわれを修行僧にしてしまう。
芭蕉は途中でギブアップして引き返したという。
それでも、「木枯らしに岩吹きとがる杉間かな」と俳句だけは詠んでいる。
相当寒かったようだ。
それ以外に「夜着ひとつ 祈り出して 旅寝かな」も残している。
芭蕉の小柄な坐像がわれわれを歓迎してくれた。
廃屋や廃絶した跡地が所々に見られる。
鳳来寺の栄光と挫折の歴史そのものがこの石段界隈から伝わってくる。
山頂近くの駐車場からの歩きやすい直近ルートからはそれを感じられない。
やはり、歴史ある寺院から人生や歴史の奥深さを見出すには、汗をかかなくてはいけないのかもね。