冬の散策会は武田軍と徳川軍が対峙した春野町の犬居城へ。
ふもとの秋葉神社下社は、秋葉山頂上の本宮・上社に行けない人への配慮である。
その注連縄は、向かって「左末右本」の典型的な「一文字」型のものだ。
左が細く、右に向かって太くなる。
紙の「しで」がなかったが、藁の立派な「〆の子」が目立つ。

戦国時代、北遠一帯を支配していた天野氏の家来が住んでいたと思われる平地に「熱田神社」があった。
ここの注連縄は、下社と同じ「一文字」型だったが、左右の太さが同じだった。
しかも、「しで」と「〆の子」が縄の同じ所に挟んである。

出発と解散が同じ公園近くに、春野町出身者の白井鉄蔵にちなんだ宝塚の「ふれあいの像」があった。
どういう歌劇の場面か、作者はどういう人かが残念ながらわからない。
遠くの山にきょう縦走した犬居城が見えた。
40人近くの参加者には幼児や小学生が多かったが、踏破した満足感をもって散会したようだった。
ふもとの秋葉神社下社は、秋葉山頂上の本宮・上社に行けない人への配慮である。
その注連縄は、向かって「左末右本」の典型的な「一文字」型のものだ。
左が細く、右に向かって太くなる。
紙の「しで」がなかったが、藁の立派な「〆の子」が目立つ。

戦国時代、北遠一帯を支配していた天野氏の家来が住んでいたと思われる平地に「熱田神社」があった。
ここの注連縄は、下社と同じ「一文字」型だったが、左右の太さが同じだった。
しかも、「しで」と「〆の子」が縄の同じ所に挟んである。

出発と解散が同じ公園近くに、春野町出身者の白井鉄蔵にちなんだ宝塚の「ふれあいの像」があった。
どういう歌劇の場面か、作者はどういう人かが残念ながらわからない。
遠くの山にきょう縦走した犬居城が見えた。
40人近くの参加者には幼児や小学生が多かったが、踏破した満足感をもって散会したようだった。