いつのまにか、藤原辰史『トラクターの世界史/人類の歴史を変えた<鉄の馬>たち』(中公新書、2017.9)を読んでしまった。アメリカで発明されたトラクターは、自動車の発展と共に農民から国家から熱い期待をもって迎えられた。それは労働からの解放のはずだった。
馬や牛による農耕が「鉄の馬」に変わり、アメリカでは民間での作物大量生産、ソ連・ナチス・中国の国家主導へと、資本主義も共産主義をもとりこにする「名馬」だった。しかしそれは、作物を大量生産するものの、土壌の圧縮、化学肥料の大量使用、多額のローン、事故の多発など地球や農家の暮しへの負担も深刻になっていく。
また、農業の機械化は同時に軍事的利用にも拡大し、ほとんどのトラクター企業は戦車開発を担うようになっていく。後進国であった日本は、戦後急速に農業の機械化を実現し、農地面積あたりの台数では他国を圧倒するほどとなる。日本の4大メーカーのクボタ・ヤンマー・イセキ・三菱農機は世界市場へと躍進し、おひざ元のアメリカをも脅かす存在へとなっていく。そう言えばむかし、これらの企業のCMをよく耳にしていたっけ。ちなみにオイラが使用している耕運機は三菱農機だ。
著者は最後に、トラクターは人間を自由にしたか、と問う。「たしかに、トラクターは農民たちに夢も誇りも自由も与えたが、それだけではない。農民たちに新たな縛りを与えている。その事実を、ゆめゆめ忘れてはならない」と警告する。
世界史的な視点からのトラクター通史が今までなかったので、著者はソ連・東欧・ナチス下のドイツ・イタリア・アメリカ・日本などの資料を丹念に集めたが、その膨大な量や言葉の壁の困難さを想う。トラクターの無人化も出てきた現在、トラクターの歩みの二面性は今も進行中ということになる。人間はトラクターのご主人様になったのだろうか。