山里に生きる道草日記

過密な「まち」から過疎の村に不時着し、そのまま住み込んでしまった、たそがれ武兵衛と好女・皇女!?和宮様とのあたふた日記

あじさいや花と露との重みにて

2024-07-01 22:36:59 | バタフライガーデン

 挿し木で増やしたアジサイがバタフライガーデンでしっかり咲いてくれた。ここまで来るには4~5年はかかっている。シカの食害にあったり、小さな苗を草刈り機で伐ってしまったり、なかなか大きくならなかったりとそれぞれの宿命はあるものの、トータルとしては雑草草原の中にひときわ目立つ花を見せてくれている。

 

 しかしながら、とりわけセイヨウアジサイは花が重くて草むらに倒れているのも目立っている。もちろんそれを防止すべく支柱を立てたりの作業が要請されるが、なかなか後期高齢者はでききれていない。その意味では、ガクアジサイの方が作品として原種としても自立していて優れている気がする。そのうえ、この間の梅雨模様の雨でさらなる倒伏も気になってしまう。

 

 正岡子規が「あじさいや花と露との重みにて」とか「アジサイや一かたまりの露の音」とかの連作を謳っているのがぴったりの情景だ。

 同志社女子大学の吉海直人教授は、かつてアジサイは人気がなかったと次のように指摘する。『枕草子』や『源氏物語』などの女流文学や『古今集』などにも見えないので、花鳥風月が盛んだった平安時代では「あじさい」は貴族が称讃するような美しい花とは見られていなかったらしい。

 

 その「あじさい」は、シーボルトが「あじさい」の学名を「おたくさ(お滝さん)」(ハイドレンジア・オタクサ)にしようとしたことで、さらにまた、牧野富太郎はそれはアジサイの神聖をけがしたものだと非難するなど話題になり、それ以降有名になっていく。つまり、人気が出てきたのは幕末以降明治期に入ってからの新参者の植物だというわけだ。そういえば、最近の園芸種のアジサイが次々売られているのが気になる。それでも、ガクアジサイの品種のほうが品がある。

 

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