山里に生きる道草日記

過密な「まち」から過疎の村に不時着し、そのまま住み込んでしまった、たそがれ武兵衛と好女・皇女!?和宮様とのあたふた日記

イワン雷帝がルーツなのかも??

2024-07-20 20:32:18 | アート・文化

    ロシアのウクライナ侵攻の蛮行ぶりは目に余るものがある。ロシア革命は世界史の中で一つの希望を提示したものだった。しかし、その実態とその後の歩みは旧態依然の過去ををひきずったままのように思えてならない。そこで、巨匠エイゼンシュタイン監督が描いた映画「イワン雷帝」をDVDで見ることにした。

  イワンが大貴族や聖職者の妨害をはねのけ、民衆の支持を得て国家の統一を完成させ、しかも領土を拡張した偉大な統治者として「第一部」を監督は完成させる。それは当時の権力者・スターリンを想起させる国策映画とも思われる。

  

   第1部は絶賛を浴び,スターリン賞を受賞。しかし、第2部については、監督・スターリン・ソビエト高官が出席した1947年2月の会議で、権力者の孤独、専制政治の悲劇をゆがめて描いたとして批判が出る。とくにスターリンは、雷帝の恐怖政治は当時国を強くするのに役立ち、国をばらばらにしようと画策する封建領主たちから国を守った進歩的な方策だったとし、なぜ残忍でなければならなかったのか説明しなければならない、と主張。それで第二部の上映はストップし、半分まで撮影された第3部は未完のまま監督は亡くなってしまう。

 

  イワン雷帝は実在の皇帝のイワン4世(1530-1584)だ。当時権力を持っていた大貴族を抑圧し、反対勢力に対して容赦ないテロや専制的支配を強制、その残虐・苛烈な性格のため市民達からも「雷帝」と恐れられた。また、自らの手で息子を殺害したという逸話は有名で、歴史画としてもモスクワの美術館に飾られている。さらには、親衛隊・秘密警察を組織して相手を抹殺したり、武装して領土を拡大したりして今日のロシア拡張の基礎となった。


 しかし、そうした雷帝の周辺は貴族たちの陰謀が渦巻いていたので、彼の猜疑心はますます深まるばかりだった。第一部の映画ではそうした貴族たちの表情が幾度となく描かれていた。その表情は歌舞伎や能に関心を持った監督の新境地ではないかとも評価されている。

 

 プーチン大統領は、16世紀の雷帝の後期に即位したピヨートル大帝を尊敬していることで有名だ。大帝は、17世紀、専制君主政治のツアーリズム体制を完成させた指導者だ。以前、プーチンの執務室にその肖像画を掲げていたというくらい大統領は崇敬していた。というのも、大帝は、21年にわたりスウェーデン等との戦争を開始・継続し、バルト海・カスピ海・黒海さらにはシベリア・アラスカなどの南下・東方領土の拡大をも成し遂げて、ロシアの西欧化を推進し絶対王政を確立させた。

その大国化路線は、エカチェリーナ女帝~アレクサンドル・ニコライ皇帝~スターリンへと事実上継承されていく。

 残念ながら、監督の第2部作品はDVDに収録されていなかったので見ることはできなかったが、第一部でも雷帝とその取り巻きとの猜疑心が良く表現されていた。アリの巣のような粗末な宮殿と豪華絢爛な服装・装飾品をまとった貴族や僧侶らとの対照的な描き方がみものだ。また、彼らの姿がおどろどろしい影となって登場する画面もエイゼンシュタイン効果だ。 

  

 「第一部」は、1944年に制作された白黒映画ではあったが、今見ても現代にも相通ずるものがある。エイゼンシュタインは、国家とアーティストとの狭間で苦悶して制作したであろうことが想像される。また、作品からは、現代ロシアが抱えているずっしりした課題が鮮明にあぶりだされていく。そのルーツはイワン雷帝にあり、とみたが…。この足かせを払拭するのは至難の業だ。国民ひとり一人がこじれたひもをじっくり戻して歴史を形成していくしかない。または、強権の独裁者ではなくもう一人のゴルバチョフの登場が必要となる。

 

 

 

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