和宮様のご令嬢夫妻が先日お忍びでわが家にやってきた。素晴らしいことにわが家がなかなか手が行き届かない惨状を察していて、ちょっとした援農を二人でやってくれる。これはもちろん私的な行為なので広くオープンにしていない。さっそくやってくれたのは、トマトハウスの建設だった。骨組みだけはオイラがなんとかやっていたものの、バランスが悪くてパイプが浮いてしまい、強度が心配だった。しかし、彼の技術力によって次々解決していく。ありあわせの中古資材をつなげながらあっという間に完成する。
家庭菜園なのでトマトは4本しか植えなかった。うまくいけば、少し大きくなった脇芽で増やしていくという企みでもある。なんだかんだで、かつては自前分くらいのトマトは確保してきた。
そういえばトマトは、大航海時代の16世紀にスペイン人によって南米アンデス山脈からヨーロッパに伝えられたが、毒草に似ていたとか、裕福な貴族が使用していた食器には鉛が多く含まれ、トマトの酸味で鉛中毒になったとかで、食用としてはなかなか広まらなかったようだ。そのため当時、トマトは「poison apple」(毒リンゴ)とも言われていた。そんなことから生食より「煮る」のが世界の主流になっているのではないかと思う。そういう経過を経ながら、現在では欧米も日本もトマトはなくてはならない食材になっていく。
トマトハウス完成後は、今では地域が消滅した「京丸」の伝統野菜の大豆の種まきやナスの苗などを植えてもらう。それでも若いカップルは余裕があったようなので、1年前に挿し木で増やした10~20cmくらいの小さな「ツツジ」と「ボケ」群の周りにはびこっている雑草の除去をしてもらう。これがなかなかの曲者で、座り込んで除草をするので腰や足に負担がかかる。オイラがやるとすれば腰を気にしながら三日はかかってしまう。それを1時間くらいで終了となった。
そのうえさらに、除草したところにマルチをやってきょうの終了とする。その材料は、近所にはびこっているススキを草刈り機で刈って、それを運搬して雑草除けのマルチにするというものだ。竹の支柱がある所に小さなツツジやボケなどが植わっているが、どっさり運んできたススキマルチでよく見えない。
ついでに、余ったススキをホウレンソウや水菜・ニンジンなどの畝の両側にもススキマルチを施す。もちろん、これは雑草の繁茂を防止するばかりでなく、数年後の肥料にしていくためのものだ。本当は、枯れたススキをやれるといいのだがそううまくはことは運ばないのが常だ。おかげで随分と援農効果は一週間分以上の作業効率を上げた。
その日の、ディナーパーティーは焚き火や七輪で、クサヤ・エビ・焼き芋をはじめ餃子・焼きそばが食卓を飾った。しかし、さすがに二人の疲労は極限に達したようで、食後は爆睡の世界へと突入した。申し訳ないほどの労働強制をしてしまったと、後日当局に始末書を提出する。