二か所の水源地を集落の5人で掃除に行く。ここ数年の大雨や台風の影響で取水しているわが集落の上流の状態を確認がてら掃除をしていく。取水地に行く林道も軽トラでないとパンクや脱輪の恐れがあり、途中からは徒歩となってしまう。水道組合の集落12軒を最近当番制にしている。三カ月に1回まわってくるからけっこう回転が早い。というのも、最近の自然災害がじわじわと酷くなってきたためでもある。気候変動対策が地球的に問われているが、なかなか便利と営利にはかなわない人類への祟りである。
川の上流に設置された取水タンクの中に溜まった泥や砂をかき出す。この山奥の水が麓の水道施設のタンクに集められ、業者の水質検査及び残留塩素の測定などが行われる。十数年前は住民管理だったので塩素処理もなかったから、地元産のお茶がとても旨かったのは事実だ。今はときどきカルキの臭いが気になるときもある。
集落の高齢化が進行するなか、この作業がいつまでもつかはわからないが、個人の当番制からグループによる当番制にしたのはまずは集落の知恵でもある。大都会に住んでいたオラにはこうしたライフラインの保守は人ごとだった。まさに、住民自治を声高に言わなくても粛々と実行している過疎地があること、人間がいることを忘れてはならない。
次に、第二の川の水源地へ向かう。ここも途中からは徒歩だ。道路は行政から生コンの現物支給による作業で住民が作った立派なコンクリート林道だ。ここの取水タンクはより急峻な上流にある。パイプ支柱で作った階段を手すりをつかみながらゆっくり登っていく。
ここの水源地では網の目を清掃する。冬は川の水が冷たいし、春や夏はヤマビルがしっかり出現する。川の水量が無くなってくると水道施設のタンク水量も減り、水道水制限の連絡をまわさなければならない。そんな手間はかかるが、月額の水道料は1500円という格安だ。しかも今のところ、タンクに水さえあれば水道水はつかい放題だ。
だから、水源地へ行く手造りの道路も石ころや杉葉を除去していく。さいわい、集落の中に建設業に携わる住民もいるので道具やユンボは無償で提供される。都会では考えられない住民パワーと生きる力と知恵が凝縮されている。地域を支える原点がこの過疎の地には生きている。