昨日は地元地区の祭りだった。コロナなどの影響で祭りは神事だけだったりだが、若者パワーで祭りを再現し、山車も繰り出した。その前日は、わが部落の神社で神主をお呼びした神事が行われた。コロナ前は部落で神事の後に「直会(ナオライ)」を盛大に開催し、過疎でもささやかな晩餐を共にしたものだった。
しかし、コロナを引き金にして急速に後期高齢者の疲れが噴出するとともに、部落の老朽のお宮の鳥居を鉄パイプにしたり、幟も新調せざるを得なくなった。それ以上に、田んぼの稲藁で毎年作っていた注連縄もやめてビニール製の注連縄を購入した。体が重くなり足を引きずっているような年金生活者にとっては年金の一部でそれらをパスしてもらおうというわけか。
また、神社の神饌物に部落から柿が寄進されたが、今年は夏の酷暑の影響やカラス・野鳥の食害で集まらなかった。わが家には2本の甘柿があるがそれぞれ1個だけという惨憺たる結果だった。かように、自然も神社も人間も社会も後期高齢者と化した。これからの日本の活力の源泉は教育による人間力しかないと思われる。
来たる選挙の要望は、いつもながら景気や経済を第1位にあげるけれど、それは表面的なムードでしかない。日本の将来を考えると少子化に歯止めをかけ、教育費に予算をかけていくことが国家の計だ。すぐ効果は現れないけどね。それは自然エネルギーの開発やIT事業の戦略などにかかわる。なにしろ、食料自給率の酷さはもちろん、国産のパソコンが事実上全くないという体たらくだ。それらを放置して利権にいそしむ今までの政治屋の責任は大きい。オリンピックや万博の祭りに群がる利権屋の思惑を喝破する太刀を磨かなければならない。場末の神社の「きんぞく」疲労はそんな災厄の結果なのだ。