家庭菜園をやっていていつも気になることがある。それは農業資材にプラスチックが多く利用されていることだ。オラも今までマルチ・カバー・紐などにそれを多用してきたが、その破片が土壌によく紛れていることが気がかりだった。だもんで、その破片を拾うのも最近の重要な作業ともなっている。たとえば、古いプラ縄などの破片が細かく落ちているのを見ると健康や生態系にも影響するのではないかと、このところ紐はシュロ縄を使うことにしている。
実際、回収されたプラスチックさえも、焼却されたり埋め立てされたり海洋投棄されたりもしている。それは地球規模で拡大され続け、それは地球温暖化をはじめ生態系の破壊・魚類や鳥・人間などにも影響が出ているのは周知の事実だ。人類の経済優先の選択は便利さは向上したものの失われたものはあまりに大きい。その意味で、江戸時代のエコ暮らしの先進性は世界的にも評価されなければならないし、それは自然との共生・経済と報徳との融合など、その精神的生き方をも学ばなければならない。国連で採択された「SDGs」も一時的なキャンペーンで終わりつつある現状で、人類の生き方には肉薄できていない。
それで、できるだけ土壌にプラスチック類が残されないようにはしているが、マイクロプラスチックもどうしても出てしまう。実際、ホームセンターに行っても農業資材の多くがプラスチック製なのも気になる。ビニールハウス・肥料袋・紐類・被覆シートなどあげればきりがない。農協も経済界もわずかながら検討をしているようだが及び腰というほかない。農業の守護神であるべき農協が残念ながら硬直したまま機能不全に陥っている。オラが定期的に愛読している農文協の『季刊地域』の先駆性は農協を越えている。同社の月刊『現代農業』の果たす役割はさらに大きいがなかなか読む時間が追い付かない。読者数が多い『家の光』の欠けているスピリットが農文協にはある。
したがって、今できる私的なこととはまずは紐を昔ながらの紐をできるだけ復活することから始めた。また、古い綿の衣類は裂いて紐にして、キュウリ、インゲン・トマト・エンドウなど誘引の紐に活用している。生分解性のマルチも市販され一時利用したが高価でわが年金予算からは残念ながら手が出ない。無農薬を貫徹していることだけはせめてもの良心のあかしとしている。