春野町にある「犬居城」はこの北遠の地域を代表する領主、天野氏の本城だ。
家康を二度も撃退させたのはきっとそれほどに地域に根ざした統治を行っていたからに違いない。
その子孫という元春野町教育長の天野さんがこのウォークに参加していたのも歴史の面白さでもある。
天野氏が使えた武田信玄の築城術は、深い「堀切」をめぐらすことにあるのだが、実際にその堀の深さは1.7mもあるものだった。
それは鉄砲に対する防御策だという。
わが友人はこの試し掘り(トレンチ)に参加していて腰を傷めたということだ。
大規模な「曲輪」が9つほどもあり、かなりしっかりした山城であった。
その一つの「井戸曲輪」を見に行ったところ、今回の調査で新たに発見したという石積みの井戸を見させてもらった。
石積み井戸の近くの木枠の「井戸」は水溜りになっていて、現在ではイノシシのオアシスになっているという。
それにしても、崖のような急坂を水汲みするのは辛かったに違いないとゼイゼイいいながら山頂に戻ったのだった。
山城がこれほど見事に保存されているのは全国でも珍しいという。
歩いてみてわれわれ素人には人工物なのか自然物なのかがよくわからない。
歴史的建造物や工芸品があるわけでないから、魅力的かどうかは意見の分かれるところだろう。
天野氏の山城だけでも30ほどもあるというから、春野町にとってはこれら「山城」は有力なまちおこしの鍵になると思うのだった。