世はクリスマスイブ。 中山間地に住んでいるとクリスマスの喧騒から排除されている。
それは森を征服してきた一神教にとって、森は開発の対象でもあった。 全知全能の神はすべてに君臨する絶対者・支配者だった。 ときには、異教徒を殺戮することが自らの罪をなくし、聖戦とされた。 ただし、ロビンフットは森とその民を守るために侵入者と闘った。
宣教師は国益の尖兵・斥候として未開発国の植民地化に貢献した。 それがいまの大国としていまだに世界を動かしている。
森をあがめる多神教にとっては、森は多くの神や仏が宿る共生と調和の存在だった。 それは、アイヌやネイティブインディアンのように森や自然を畏敬する文化と品性を育てた。
日本の僧侶も神主も歴史的には国家に利用され、民衆統括のツールと成り果てた。
もちろん、真摯な指導者・信者が多数存在したことはまちがいないことだが、こうした歴史的な事象を反故にしたくないものだ。
そんなことをよそに、静かな国道沿いの木にサンタが木登りしていた。 春には鯉のぼりを持っていたが、正月はどうするんだろう。 頭上には大きなカブトムシがなぜか今ごろ樹液を啜っている。
中山間地らしい愉快が私を軽やかにしてくれる。 この「余裕」が実に素晴らしい。