昨日は春野町の山城ウォークに参加してきました。
午前中は最近注目されている堀之内の城山城、午後は犬居城でした。
静岡大の小和田先生によると、「春野町は山城の宝庫」だそうです。
城山城は、徳川家康軍が犬居城にこもる武田側の天野氏を3回にわたって攻めた前線基地になります。

武田側の築城術は尾根を分断する「堀切」の多用が特徴でもあるそうですが、徳川側は少ないのが特徴だそうです。
「土塁」をわたって堀切を登ります。

平面に削られた「曲輪」には「本丸」(安土・桃山時代以降の名称)の中枢施設が山頂にあったようで、調査のための「トレンチ」が掘られていました。
そこからは、陶磁器の破片が出土しており、それらは犬居城攻めの期間と一致するのがわかったそうです。

「曲輪」から「掘切」に向かって眺めると、ここは細長い構成の山城であることがわかります。その裏側は防御を考えてのかなりの急斜面でした。
こんな山深い所で戦闘があったのが不思議でなりません。
午前中は最近注目されている堀之内の城山城、午後は犬居城でした。
静岡大の小和田先生によると、「春野町は山城の宝庫」だそうです。
城山城は、徳川家康軍が犬居城にこもる武田側の天野氏を3回にわたって攻めた前線基地になります。

武田側の築城術は尾根を分断する「堀切」の多用が特徴でもあるそうですが、徳川側は少ないのが特徴だそうです。
「土塁」をわたって堀切を登ります。

平面に削られた「曲輪」には「本丸」(安土・桃山時代以降の名称)の中枢施設が山頂にあったようで、調査のための「トレンチ」が掘られていました。
そこからは、陶磁器の破片が出土しており、それらは犬居城攻めの期間と一致するのがわかったそうです。

「曲輪」から「掘切」に向かって眺めると、ここは細長い構成の山城であることがわかります。その裏側は防御を考えてのかなりの急斜面でした。
こんな山深い所で戦闘があったのが不思議でなりません。