田舎生活の好きな皆さんお元気ですか。
東京の長男夫婦を訪ねて孫見物、そのあと、小田原の松永安左エ門記念館、近江八幡と遊んできました。
(今日は原宿、明日巣鴨)
徳島に住む長女から、原宿の表参道にブチ何とかというベビー服の店があり、そこで長男と長女の子供(孫)にベビー服を買ってプレゼント頼むと。
羽田に降りて、山手線の原宿下車、プチ何とかのブランドの店を地図片手に訪ねる。
20代、30代の若者が道路の両歩道にあふれかえっている。
人・人・人さすが、原宿。
世界ブランドのファッションの店が軒を並べているというが、私が知っているのは、シャネルのみで、後は聞いたこともない、商品を見ても良いのか、悪いのかさっぱり分からない。
買い物の後、噂の表参道ヒルズに入り込んで、パチリ(冒頭の写真)。
長男宅で晩御飯をごちそうになり、孫をダッコし、翌日は、ジジババの原宿と噂の巣鴨に。
(下は巣鴨の商店街)
とげぬき地蔵というのがあり、体の悪い部分はこの地蔵の同じ部分を洗ってあげるとよくなるとのこと。
これも人の海の巣鴨商店街のお年寄りの群れをかき分け地蔵のあるお寺に着くと、なるほど、50人程がお行儀よく良く並んで順番待ち。
この門前町のような商店街を覗くと、衣料品の店には還暦祝いの赤いパンツ、食品はケーキではなく、塩大福・干物にこれも順番待ち。
家具屋の店先は和室用に椅子がズラリ。
薬屋も自慢の特効漢方を置いている様子。
妻は干物の質がいいと、干しエビを二袋と塩大福。
私もここなら商品の善し悪しを考えることが出来る。
赤いパンツでなく、赤い野球帽や赤い鍬を置いたほうが、売れるぞと言いたくなる。
(小田原の松永記念館)
松永安左エ門は昭和46年、97歳で亡くなる直前まで、現役で活躍した傑出した日本人。
実業家、茶道家、登山家、文筆家、歴史家、遊び人とどれをとっても、図抜けており、亡くなって40年近くなるが、この方の残した文章は読み継がれており、私も、30年前に買った、松永安左エ門著作集は座右の書。
戦後の25年間亡くなるまで暮らした家が小田原に、松永記念館としてあるというので、訪ねてみた次第。
すぐ近くに大倉喜八郎の別邸をそのまま使った料亭山月でご機嫌の昼食を取り(1500円と安い)、トコトコ坂を下ると松永記念館。
(料亭山月の前で。ランチは1500円、ソバ定食がおいしい。食事+邸内を見学できる。要予約)
松永の著書では「ほんの爺さん、婆さんと女中一人の尻つぼみ生活を楽しんでいる。ふた部屋の家」とあるので、どんな家かと思ったら、最初は二間だったが、建て増しを続け、平屋建ての結構な邸宅に。
しかし、簡素で品がある。(下の写真)
庭も広く、大きな池。
説明員がおられ、故郷の壱岐をイメージしたとのこと。
(池の前でパチリ)
松永の茶飲み友達は、松永は庭作りがうまい、何年か立つと、木が生長し、石が苔むし、金をかけないのに見事な庭が出来ると。
この5000坪の庭園に足を踏み入れると、心が洗われる気分。
竹田農園で焚き火しながら、読書している時の気分。
来てよかった。
(近江八幡)
そのまま、新幹線で下り、近江八幡で一泊。
翌日雨の中、近江商人の邸宅が並ぶ街並みを散策。
何軒か一般公開しており、近江商人の心構えが家訓として紹介されており、読むと「義を先にして利益は後、金を稼ぐのは結構だがこれを世の中の役に立つように使えよ」と。
(この広間は江戸時代、行商用の蚊帳を作る作業場だったとのこと)
アメリカから来た若者が起こした、メンソレータムの近江兄弟社もこの街並みにあり、気品を添えている。
ここは掘割が町を横切る水郷。
説明パネルを見ると、昭和40年代、ヘドロが1.6メートル堆積、悪臭と蚊の巣窟で、埋め立ての計画が進んでいたとのこと。
しかし、町の有志で、ヘドロを浚渫し、立派な掘割の景色を取り戻したのこと。
目先の利益を追えば、国の予算もついた埋め立てをしたほうが正解だが、これを跳ねのけて手弁当で浚渫を選んだ近江八幡の人は偉い。
遊覧船で掘りめぐりの楽しみ、フナずしを昼食に堪能して、よみがえった掘割が地元に観光客を呼び、金を落とさせているのを目の当たりにして、近江商人の心意気は今も健在と感心。
(下は、きれいな掘割を川船で遊覧。1000円/人で3月から乗せてくれる。瓦ギャラりーの横に船着き場。水郷に出る船は4月からがメインでこちらはもっと野趣に富むとのこと)
夕方には我が家に。
今度の日曜日、山陰汐巻に鯛釣りの予定。
釣り日よりになりますように。
東京の長男夫婦を訪ねて孫見物、そのあと、小田原の松永安左エ門記念館、近江八幡と遊んできました。
(今日は原宿、明日巣鴨)
徳島に住む長女から、原宿の表参道にブチ何とかというベビー服の店があり、そこで長男と長女の子供(孫)にベビー服を買ってプレゼント頼むと。
羽田に降りて、山手線の原宿下車、プチ何とかのブランドの店を地図片手に訪ねる。
20代、30代の若者が道路の両歩道にあふれかえっている。
人・人・人さすが、原宿。
世界ブランドのファッションの店が軒を並べているというが、私が知っているのは、シャネルのみで、後は聞いたこともない、商品を見ても良いのか、悪いのかさっぱり分からない。
買い物の後、噂の表参道ヒルズに入り込んで、パチリ(冒頭の写真)。
長男宅で晩御飯をごちそうになり、孫をダッコし、翌日は、ジジババの原宿と噂の巣鴨に。
(下は巣鴨の商店街)
とげぬき地蔵というのがあり、体の悪い部分はこの地蔵の同じ部分を洗ってあげるとよくなるとのこと。
これも人の海の巣鴨商店街のお年寄りの群れをかき分け地蔵のあるお寺に着くと、なるほど、50人程がお行儀よく良く並んで順番待ち。
この門前町のような商店街を覗くと、衣料品の店には還暦祝いの赤いパンツ、食品はケーキではなく、塩大福・干物にこれも順番待ち。
家具屋の店先は和室用に椅子がズラリ。
薬屋も自慢の特効漢方を置いている様子。
妻は干物の質がいいと、干しエビを二袋と塩大福。
私もここなら商品の善し悪しを考えることが出来る。
赤いパンツでなく、赤い野球帽や赤い鍬を置いたほうが、売れるぞと言いたくなる。
(小田原の松永記念館)
松永安左エ門は昭和46年、97歳で亡くなる直前まで、現役で活躍した傑出した日本人。
実業家、茶道家、登山家、文筆家、歴史家、遊び人とどれをとっても、図抜けており、亡くなって40年近くなるが、この方の残した文章は読み継がれており、私も、30年前に買った、松永安左エ門著作集は座右の書。
戦後の25年間亡くなるまで暮らした家が小田原に、松永記念館としてあるというので、訪ねてみた次第。
すぐ近くに大倉喜八郎の別邸をそのまま使った料亭山月でご機嫌の昼食を取り(1500円と安い)、トコトコ坂を下ると松永記念館。
(料亭山月の前で。ランチは1500円、ソバ定食がおいしい。食事+邸内を見学できる。要予約)
松永の著書では「ほんの爺さん、婆さんと女中一人の尻つぼみ生活を楽しんでいる。ふた部屋の家」とあるので、どんな家かと思ったら、最初は二間だったが、建て増しを続け、平屋建ての結構な邸宅に。
しかし、簡素で品がある。(下の写真)
庭も広く、大きな池。
説明員がおられ、故郷の壱岐をイメージしたとのこと。
(池の前でパチリ)
松永の茶飲み友達は、松永は庭作りがうまい、何年か立つと、木が生長し、石が苔むし、金をかけないのに見事な庭が出来ると。
この5000坪の庭園に足を踏み入れると、心が洗われる気分。
竹田農園で焚き火しながら、読書している時の気分。
来てよかった。
(近江八幡)
そのまま、新幹線で下り、近江八幡で一泊。
翌日雨の中、近江商人の邸宅が並ぶ街並みを散策。
何軒か一般公開しており、近江商人の心構えが家訓として紹介されており、読むと「義を先にして利益は後、金を稼ぐのは結構だがこれを世の中の役に立つように使えよ」と。
(この広間は江戸時代、行商用の蚊帳を作る作業場だったとのこと)
アメリカから来た若者が起こした、メンソレータムの近江兄弟社もこの街並みにあり、気品を添えている。
ここは掘割が町を横切る水郷。
説明パネルを見ると、昭和40年代、ヘドロが1.6メートル堆積、悪臭と蚊の巣窟で、埋め立ての計画が進んでいたとのこと。
しかし、町の有志で、ヘドロを浚渫し、立派な掘割の景色を取り戻したのこと。
目先の利益を追えば、国の予算もついた埋め立てをしたほうが正解だが、これを跳ねのけて手弁当で浚渫を選んだ近江八幡の人は偉い。
遊覧船で掘りめぐりの楽しみ、フナずしを昼食に堪能して、よみがえった掘割が地元に観光客を呼び、金を落とさせているのを目の当たりにして、近江商人の心意気は今も健在と感心。
(下は、きれいな掘割を川船で遊覧。1000円/人で3月から乗せてくれる。瓦ギャラりーの横に船着き場。水郷に出る船は4月からがメインでこちらはもっと野趣に富むとのこと)
夕方には我が家に。
今度の日曜日、山陰汐巻に鯛釣りの予定。
釣り日よりになりますように。