田舎生活実践屋

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毎日新聞に江藤正翁(2014/8/12)

2014-08-12 23:17:17 | Weblog
先日、江藤正翁(元南海ホークスのエース、92歳)を紹介した毎日新聞の記事がありました。
下のような内容。(転載は著作権上問題ありだが、読んでいるのは、北九州の釣りバカ親父が大半で、ご勘弁)


毎日新聞2014/8/3 北九州版 

ペン&ペン コラム

野球今昔裏話

飯田、山本、別当、大下、中谷、飯島、土井垣、江藤、木塚。
冒頭から名前ばかりで恐縮だが、もう少し続ける。
青田、千葉、岩本、藤村、川上、小鶴、荒川、別所、平井。
1951(昭和26)年7月4日、甲子園であった第一回プロ野球オールスターゲームの先発オーダー。前者がパ・リーグのスタメンである。
昨秋、川上哲治さんが亡くなり、両軍18人のうち17人が鬼籍に入った。1人はまだ存命である。行橋市にいる。江藤正さん、91歳。パの先発だった。
「あの日? 甲子園は白一色だったなあ」
当時の毎日新聞によると、観客は約6万人。江藤さんは初回に決勝点となる1点を失い、救援第一号の敗戦投手になっている。適時打をかっ飛ばしたのが川上さん。こちらはMVPの第一号。
「おれが哲ちゃんに打たれた?」。少し意外そうな顔をした。
八幡中から法政大に進んだところで学徒出陣。
台湾で終戦を迎え、復員後、大洋漁業などで投げた。
当時、職業(プロ)野球は今ほど人気はなかった。
しかし、50年の2リーグ化を前に、プロ野球が企業の人材を根こそぎさらった。
当時、子供のメンコにも登場した江藤さんの争奪戦は激しく、本人の関知せぬ間に南海、阪神が契約をかわした。
これが二重契約と認定され、南海入団の年にいきなり1年間の出場停止処分をくらっている。
「当時は2軍なんてなかった。来る日も来る日も空き地でボール投げだったな」
しかし、プロデビューの50年には14勝。
「これには裏話があるんだ」と笑う。
「僕が投げる前、親分(故鶴岡一人監督)が、これをポケットにしのばせておけって紙包みをくれたんだ」
中身は鶴岡さんが拝み倒して”入手”した大阪芸者のアンダーヘアーだった。
鶴岡さんの戦友が件の品を弾よけのお守りにしていたらしい。
1年のブランクを心配しての親心だった。
効果のほどはさておき、オールスターのこの年に24勝で最多勝のタイトルを手にした。
そんな大エースも、今は市内の福祉施設でひっそりと余生を送っている。
(薮田尚之 記者)

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昨晩、このブログで連絡がついた、昭和10年、20年代の最強の打者と名高い、大岡虎雄氏のお孫さんから電話があり、三重県にお住まいで、大岡虎雄氏の墓参りと、江藤正翁に会ってお爺さんの話しを聞きたいとのこと。月末に見えるとのことで、私も加わることに。

コメント
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