私の郷里四国今治に墓参りを兼ねて、2泊3日のドライブでした。
運転手は妻、私はナビ。
山陽自動車道で柳井まで、松山までフェリー3時間弱の船旅で、このルートが一番楽ちん。
松山の三津浜港に着いたのが昼ごはん時で、以前食べて美味かった三津浜の「踊るうどん」に立ち寄り、やはり美味いと腹ごしらえ。
夕方今治に着き、叔父と叔母に挨拶。
叔父は私より一回り年上で、私が68歳のため、80歳。
今も元気で、元軍手工場の跡地に井戸水を汲んだ池を作り、ビオトープに。
茅葺の小屋も作り、ここに叔父の友達が7人毎週集まり、ヨガをやっているとのこと。
特に呼吸法(腹式呼吸)が役立っている等、話しが弾みました。
晩ご飯は、知り合いのWT氏、NI氏ご夫妻と。
WT氏は、15年近く前、介護施設にお世話になっている両親の様子見に今治に帰った際、立ち寄った居酒屋で、私の先に入った若い人が財布を落としたので、拾って渡した時、成り行きでカウンターに座ったら、その隣で偶々飲んでいた方。
話しが弾み、結局今治に帰る都度、今に至るまで一緒に食事。
拾った財布をネコババしなくて良かった、ネコババしていたら、こうした付き合いは広がらなかったとWT氏に会うたびに、良かったよかったです。
(はーばりー)
夕食は、今治港の港務所を建て替えたとき、思い切って、船のデザインにした4階建の建物で。
多目的ビルになっており、4階がレストラン。
この変わったビルの名前が「はーばりー」とのこと。
6人で四方山話で、今治には日本で一番のものが17ある。
「タオル」「造船」が有名だが、そのほかにも日本食研の焼肉のタレ等。
最近話題の加計学園の獣医大学は、13年前から準備を始めて、他のライバルの自治体が撤退して、目処が立ってきたら、中央で政争の具にされ、地元は、半分呆れてコメントする気にもならん、ということらしい。
このレストランの前の港の防波堤から、夏花火が14,000発打ち上げられ、見物客が松山からも出かけてくるとのこと。
関門海峡の打ち上げ花火は、北九州市・下関市合同の大イベントだが、ここの花火は13,000発で、さらに1000発多い。
サッカーの岡田監督の所有のサッカーチーム、J3に今一歩のところまで来て、サッカー場も出来、今治市民も熱く応援のしているとのこと。
元気があると、感心。
愛媛国体のポスターからも市民の熱が伝わってくる。
(加計学園 獣医学校の建物)
WT氏、NI氏に教えてもらって、翌日、墓参りの帰りに、問題の獣医学校の建築現場の近くを車で走ってみました。
大分出来上がっていて、まだ認可されていないのに、なぜ工事をしているのか、NI氏に聞くと、開業の年月は決められており、その日までに、建物が使用可能になっていないと、認可取り消しになり、大学を新設するには、認可前から建物を建築するのが、当たり前とのこと。
関係の自治体と、監督官庁(文部科学省)との下打ち合わせは、頻繁に並行して行うとのこと。
(サイクリングのメッカ)
今治はしまみな街道の起点で、サイクリングのメッカになりつつある。
私が泊まった駅前のホテルにもサイクリングでやってきた客が多く、ロビーには自転車置き場や、部屋の中にも自転車を持ち込みOK。
駅の建物には、台湾の世界的な自転車の会社(ジャイアン)の店舗があって、自転車、部品を販売。
(魚デザインのタオル)
タオルの販売店に寄り、魚をデザインしたタオル無いか、ブラブラ。
ありました、鯛デザインのハンカチ。
昨年買った、タオルも一緒に、購入。
釣りの縁起物にボケットに入れる予定。
(中華そば)
10年ほど前、WT氏ご夫妻に連れて行ったもらった、中華そば屋さん、とても美味しい。
お昼は、妻とこの中華そば屋の「京屋」に。
近所の方が多いと思われるが、12時前から満員。
汁にうま味があり、満足の味。
(水の町、西条)
せっかく今治に来たので、まず、今治の隣りの西条市に。
ここは、打ち抜き井戸という、ポンプ無しで噴き出す井戸が有名で、一度見てみたいと。
驚いた、市内をめぐる、川の水は石鎚山系から流れてくる水が市内のあちこちで自噴して、手で掬って飲める、集まった水の掘割は、透明な豊かな水流、鯉、ハヤが元気よく泳いでいる。
(広瀬宰平)
別子銅山を住友のドル箱に仕上げた江戸末期から明治27年まで住友を導いた名番頭の広瀬宰平の住まいが記念館として公開されているらしい。
ここも訪ねる。
新居浜市の山に迫る緩い傾斜地にある。
人となりが伝わってくるような、無駄のない、飽きない豪邸。
明治27年67歳で引退、本人は不本意だったらしいが、兵庫の須磨にきれいに引き上げたとのこと。
業績には、頭が下がるが、人間味も感じて親しみも。
(道後温泉)
二日目の泊りは、松山の道後温泉。
宿は、道後温泉本館の真横にあるビジネスホテル。
アルカリ泉、二階にある座敷で浴衣を借り、湯上りにお茶とせんべい。
落ち着く。
お客は国際色豊かで皆さんマナーがよい。
正岡子規の野球姿の銅像も。
(交通事故目撃)
帰りは、来た道をたどって、ひたすら車を走らせる。
いい加減ドライブに飽きて、関門橋を渡ると、上りの対向車線に横倒しになったトラック。
その後ろは、多分2キロは車が渋滞。
テレビでも報道、トラックにはとらふぐを積んでおり、路上に散乱、しかしけが人は無かったらしい。
駆け足の、楽しい旅でした。
運転手は妻、私はナビ。
山陽自動車道で柳井まで、松山までフェリー3時間弱の船旅で、このルートが一番楽ちん。
松山の三津浜港に着いたのが昼ごはん時で、以前食べて美味かった三津浜の「踊るうどん」に立ち寄り、やはり美味いと腹ごしらえ。
夕方今治に着き、叔父と叔母に挨拶。
叔父は私より一回り年上で、私が68歳のため、80歳。
今も元気で、元軍手工場の跡地に井戸水を汲んだ池を作り、ビオトープに。
茅葺の小屋も作り、ここに叔父の友達が7人毎週集まり、ヨガをやっているとのこと。
特に呼吸法(腹式呼吸)が役立っている等、話しが弾みました。
晩ご飯は、知り合いのWT氏、NI氏ご夫妻と。
WT氏は、15年近く前、介護施設にお世話になっている両親の様子見に今治に帰った際、立ち寄った居酒屋で、私の先に入った若い人が財布を落としたので、拾って渡した時、成り行きでカウンターに座ったら、その隣で偶々飲んでいた方。
話しが弾み、結局今治に帰る都度、今に至るまで一緒に食事。
拾った財布をネコババしなくて良かった、ネコババしていたら、こうした付き合いは広がらなかったとWT氏に会うたびに、良かったよかったです。
(はーばりー)
夕食は、今治港の港務所を建て替えたとき、思い切って、船のデザインにした4階建の建物で。
多目的ビルになっており、4階がレストラン。
この変わったビルの名前が「はーばりー」とのこと。
6人で四方山話で、今治には日本で一番のものが17ある。
「タオル」「造船」が有名だが、そのほかにも日本食研の焼肉のタレ等。
最近話題の加計学園の獣医大学は、13年前から準備を始めて、他のライバルの自治体が撤退して、目処が立ってきたら、中央で政争の具にされ、地元は、半分呆れてコメントする気にもならん、ということらしい。
このレストランの前の港の防波堤から、夏花火が14,000発打ち上げられ、見物客が松山からも出かけてくるとのこと。
関門海峡の打ち上げ花火は、北九州市・下関市合同の大イベントだが、ここの花火は13,000発で、さらに1000発多い。
サッカーの岡田監督の所有のサッカーチーム、J3に今一歩のところまで来て、サッカー場も出来、今治市民も熱く応援のしているとのこと。
元気があると、感心。
愛媛国体のポスターからも市民の熱が伝わってくる。
(加計学園 獣医学校の建物)
WT氏、NI氏に教えてもらって、翌日、墓参りの帰りに、問題の獣医学校の建築現場の近くを車で走ってみました。
大分出来上がっていて、まだ認可されていないのに、なぜ工事をしているのか、NI氏に聞くと、開業の年月は決められており、その日までに、建物が使用可能になっていないと、認可取り消しになり、大学を新設するには、認可前から建物を建築するのが、当たり前とのこと。
関係の自治体と、監督官庁(文部科学省)との下打ち合わせは、頻繁に並行して行うとのこと。
(サイクリングのメッカ)
今治はしまみな街道の起点で、サイクリングのメッカになりつつある。
私が泊まった駅前のホテルにもサイクリングでやってきた客が多く、ロビーには自転車置き場や、部屋の中にも自転車を持ち込みOK。
駅の建物には、台湾の世界的な自転車の会社(ジャイアン)の店舗があって、自転車、部品を販売。
(魚デザインのタオル)
タオルの販売店に寄り、魚をデザインしたタオル無いか、ブラブラ。
ありました、鯛デザインのハンカチ。
昨年買った、タオルも一緒に、購入。
釣りの縁起物にボケットに入れる予定。
(中華そば)
10年ほど前、WT氏ご夫妻に連れて行ったもらった、中華そば屋さん、とても美味しい。
お昼は、妻とこの中華そば屋の「京屋」に。
近所の方が多いと思われるが、12時前から満員。
汁にうま味があり、満足の味。
(水の町、西条)
せっかく今治に来たので、まず、今治の隣りの西条市に。
ここは、打ち抜き井戸という、ポンプ無しで噴き出す井戸が有名で、一度見てみたいと。
驚いた、市内をめぐる、川の水は石鎚山系から流れてくる水が市内のあちこちで自噴して、手で掬って飲める、集まった水の掘割は、透明な豊かな水流、鯉、ハヤが元気よく泳いでいる。
(広瀬宰平)
別子銅山を住友のドル箱に仕上げた江戸末期から明治27年まで住友を導いた名番頭の広瀬宰平の住まいが記念館として公開されているらしい。
ここも訪ねる。
新居浜市の山に迫る緩い傾斜地にある。
人となりが伝わってくるような、無駄のない、飽きない豪邸。
明治27年67歳で引退、本人は不本意だったらしいが、兵庫の須磨にきれいに引き上げたとのこと。
業績には、頭が下がるが、人間味も感じて親しみも。
(道後温泉)
二日目の泊りは、松山の道後温泉。
宿は、道後温泉本館の真横にあるビジネスホテル。
アルカリ泉、二階にある座敷で浴衣を借り、湯上りにお茶とせんべい。
落ち着く。
お客は国際色豊かで皆さんマナーがよい。
正岡子規の野球姿の銅像も。
(交通事故目撃)
帰りは、来た道をたどって、ひたすら車を走らせる。
いい加減ドライブに飽きて、関門橋を渡ると、上りの対向車線に横倒しになったトラック。
その後ろは、多分2キロは車が渋滞。
テレビでも報道、トラックにはとらふぐを積んでおり、路上に散乱、しかしけが人は無かったらしい。
駆け足の、楽しい旅でした。