田舎生活実践屋

釣りと農耕の自給自足生活を実践中。

黒ラベルの会、熊本バス旅行

2008-11-10 14:49:06 | 酒蔵を不良爺さん達と訪ねる
田舎生活の好きな皆さんお元気ですか。
黒ラベルの会という、札幌ビールしか飲まないという、あまり意味のない目的の会の面々と昨日の日曜日、熊本日帰りバス旅行に行ってきました。

(横井小楠旧宅)
私が旅の行程表を作る係りで、当初、無難に萩の吉田松陰の史跡を回ろうと思っていたら、チャレンジ好きの小倉室町のラーメン屋のI氏、萩は3年前行ったから、今度は熊本に行こう、本丸御殿もあるし、草枕温泉もいいぞと。
「熊本にねー」と、私は今一意欲が出ない。
松陰がいいのにと、熊本のサントリービール工場の近くの名所をインターネットで探していると、「横井小楠(よこい しょうなん)の記念館と旧宅」があるではないか。
それでまず横井小楠記念館に。
61才で明治2年に暗殺されたが、明治維新の思想的リーダーだったとのこと。
坂本龍馬や吉田松陰と面談した落ち着いた自宅の座敷(当時のまま)を見学したり、勝海舟からの手紙を見たり、暗殺されたとき、暴漢6人の振るう刀を防いで3箇所刃こぼれの出来た短刀だの実物を目の前に。
明治の中ごろ、息子の横井時雄、徳富蘆花が私の生れ故郷の今治にキリスト教伝道に2年ほど(?)滞在して布教したことを思い出し、
「横井時雄の子供(小楠の孫)が私が高校生の時まで今治で暮らしていた、道で見かけことがある、骨太の80歳くらいの堂々としたお年寄りだった、苗字は伊勢といった」と説明員の方に申し上げると、
「おー、そうですか」と懐かしそうな笑顔。

(浮島公園)
熊本は阿蘇からの湧水で有名。
これもホームページのグーグルの地図で拡大してみると、浮島という名の池がある。
15万トン/日の湧水と。
ここにバスを停めてお弁当という計画で細い車道を運転手さんの巧みな技術で走り、たどりつく。
浮島公園。
雨降ったりやんだりで、公園のベンチで弁当は叶わず、バスの中で弁当を食べる。
次のサントリー工場への時間から、今が池を見るラストチャンスだと、食べかけの弁当をバスのシートにおいて、皆さん、池のほとりに。
池の底の方まで見え、さすが湧水の池、透明度が素晴らしい。
釣り人の姿もちらほら。(池のほとりでパチリ。下に)

(サントリー工場見学)
評判のサントリー熊本工場の見学と試飲をやってみようと、見学申し込み。
予定時刻に工場に着く。
受付で申し込むと
「黒ラベルの会、というのでは、館内アナウンスはまずい、ライバルメーカーの商品名、他の名前、ありませんか」
ということで、小倉の歴史と文化を考える会、を会の名前に。
同行の江藤正翁(もと南海ホークスのエース 86歳)は
「見学はずっと立ちっぱなしできついので、ここで休む」と待合コーナーで待つことに。
試飲はいっしょにしたいと、係りの方に頼むと、すぐ連絡をとりあってくれて、試飲時間に江藤翁を案内してくれる。
我々の席まで、スタッフの男性が案内してくれる。
「いい体格をしていますね」とスタッフの男性が話しかけてきて、南海時代の野球談議になり、野球ファンだったので、大喜びで、試飲を終わってからも、出口の玄関まで見送ってくれる。
気持のいい工場でした。(江藤翁と試飲室でパチリ 冒頭の写真)

(草枕温泉) 
錦龍のI氏から「いい温泉、露天風呂から普賢岳が見える」と聞いた、草枕温泉に熊本から向かう。
バス会社(タイガーバスという、いつもお世話になるバス会社)の方は熊本市からここに入ったことがないと、心配。
地図をチェックしながら走ると、段々山道になり、曲がりくねった道路。
離合もままならない。
草枕温泉はかって夏目漱石が滞在した温泉で、
小説「草枕」(山路(やまみち)を登りながら、こう考えた。
智(ち)に働けば角(かど)が立つ。
情(じょう)に棹(さお)させば流される。
意地を通(とお)せば窮屈(きゅうくつ)だ。
とかくに人の世は住みにくい。」が有名。)
の着想を練った温泉で、正式には小天温泉というらしい。
急なカーブに「ウワー」と皆で声をあげながら、小説「草枕」に出てくる山道とは、今バスで走っている熊本~小天温泉のルートに違いないと確信。
無事ついた温泉は、落ち着いた近代的な温泉で、今までのバス旅行では、温泉に遠慮してはいらなかった、江藤正翁も
「おれも入る」
「温泉は気持ちのいいもんじゃ」と。

(江藤正翁)
西小倉駅で解散し、帰りは妻運転の車で、江藤正翁の自宅まで。
道中、バス旅行の話題になり、
「観光バスの運転手さん、大変な仕事じゃ。
細い道も文句を言わずに走り、いつもニコニコしておる。」と。
「プロ野球選手を辞めて、電電公社でサラリーマン生活を始めて、回された仕事が、組合運動で荒れる事業所の労務担当。
何度辞めようかと思ったことか。
運転手さんを見ていて、そう思った」とのこと。
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2 コメント

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わたしもサントリーは行きました。 (当馬敏人)
2008-11-11 05:06:30
お久しぶりです。
サントリー工場、わたしも数年前にお邪魔した事があります。
あの時は、手違いで試飲用の缶ビールが2セット(8本)も回ってきて、それをすべて飲んでえらい目にあった記憶があります(笑)。
しかし、江藤さんも引退後は結構大変だったようですね。労使交渉担当はかなり恨めしいと聞きますから…。
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ご無沙汰しています (takeda)
2008-11-11 22:14:58
日田の札幌ピール園が我々のホームグランドで、次のバス旅行は、日田を考えています。江藤正翁、電電公社に入ったのは、プロ引退後、電電近畿チームのコーチを3年間引受、池西増夫という、名監督が現れたので退いたとき、当時、電電公社のホープの、遠藤正介氏(遠藤周作の兄上)が「江藤さん、これからどうしますか」と、「これから考えます」と答えると「これから電電公社は素晴らしく伸びるから、残りなさい、私がお世話します。」ということで、厚生部だろうと、入った職場が労務部だったそうです。会社側の矢面に立ち、往生したそうです。暑いさなか、冷房もく、組合はランニングシャツ、会社側はワイシャツにネクタイが常。江藤さん、次の会合でランニングシャツで出席したそうです。「なんじゃ、お前、ネクタイせんか!」と組合。「おまえらもランニングじゃろうが」で大喧嘩。その晩、組合書記長から「江藤さん、今日は申し訳ありませんでした」と電話も。一緒に飲み屋で飲んだり、サラリーマンとは違ったはたから見ると面白人生だったようです。組合の依頼で、運動会で、仮装コンテストで女装して、ヤンヤだったことも。六大学の優勝投手、兵役で台湾、プロ野球、故障、電電公社の組合窓口、田舎ののんびり暮しと競馬・パチンコと人の2倍、3倍生きた人生だったようです。今度の24日も、ご自宅の隣の竹田農園で30名の秋の収穫祭の主賓でカッポ酒で大騒ぎを予定しています。当馬さんも、遠いですが、一度お越しください。
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