田舎生活の好きな皆さんお元気ですか。
この週末は昨年の夏相次いで亡くなった父母の一周忌で、故郷の四国今治に二泊してきました。
一族のリーダーのT叔父と二日間ゆっくり昔話やら今の生活やら見聞きしてきました。
(ハスの花の開花)
T叔父は私の一回り違いの71歳。
50年前は香川大学の学生で、悪友と掛けをしたそうな。
悪友はハスの花が開くとき、「ポン」と音がする、叔父は、音などしない。
次回の居酒屋での支払をかけ金に、勝負で、高松にある栗林公園に夜中もぐりこみ、明け方まで池のハスの花のつぼみを前に、目と耳をこらしたとか。
藪蚊が襲来で、かゆいかったこと。
結論は、花は静かに音もなく、開いたで、T叔父の勝ち。
(ビオトープ)
T叔父は祖父の事業を引き継いで、軍手の製造販売を50年近く。
最近工場を郊外に建て、息子さんに仕事を譲り、今は、市街地にある旧工場の跡地(300坪程?)に残る大木(50年前近くの中学校の木の実を食べた鳥が運んできた種から大きくなった)を中心に、地下水を15分間隔でポンプでくみ上げ、7メートル四方の泉を作り、その周辺に畑や芝生、生垣をせっせと構築中。
もう2年になる。
透明な泉の中には、メダカがスイスイ。
この夏は蛍を繁殖させようと、友達が川二ナ(蛍の幼虫のえさ)を3000個持ちこんで放流。
蛍の幼虫はネットで見ると一匹160円で販売していたので、それを100匹ほど購入して放流。
川二ナを食べにくるシラサギ防止のネットを張ったりして苦労するも、誰も蛍を見たもの無し。
立派なビオトープだが、T叔父はそれがビオトープというものと知らずに始めた。
殺風景な更地だったが、周りは病院で長期入院の患者さんが退屈そうにしているので、目に楽しい庭にして喜んでもらおうと始めたとか。
一人で、石ころや瓦を除いてやっていると、知り合いやら、そのまた知り合いが次々やってきて、手伝ったり、真土を100袋持ち込んだり、アイデアを出したりで、賑やかなたまり場になったとのこと。
病院の窓から泉や美しい緑の芝生を楽しそうに皆さんみているとのこと。(下にビオトープの写真)
(人に喜んでもらう)
私の父やT叔父の父親は、喜平という名で、私の祖父。
T叔父はこの喜平氏を尊敬していて、「オヤジは、周りの人がよろこんでくれるのが、一番の生甲斐で生きる目的であったようだ」と。
難病の若い人の手術費用に寄付したことがあり、それを聞いた、見ず知らずのお坊さんが「喜博菩薩」(喜びを広げるという意味)という名前を送ってきてくれたことがあり、面白がった祖父は、この名前を石に刻んで自宅の庭に立てていたが、荒れ果てていた。
これをこのビオトープにT叔父は移設、昨日私が訪ねて行くと、ちょうど祠を自分で建てている最中(冒頭の写真)。
T叔父もこのような「人に喜んでもらうのを一番の楽しみにする人生の境地になりたいもの」と。
禅宗では、最後の境地を牛に例え、この境地に至る第一ステップを「尋牛」というそうで、T叔父かビオトープ内に最近建てた2階建の可愛いたまり場に「尋牛小屋」と命名、85歳の叔母に大きな門札を書いてもらい吊るしている。
来る人は「何で、牛小屋か?」と尋を飛ばして読むと、ブツブツ。
楽しい2泊3日の今治行きでした。
この週末は昨年の夏相次いで亡くなった父母の一周忌で、故郷の四国今治に二泊してきました。
一族のリーダーのT叔父と二日間ゆっくり昔話やら今の生活やら見聞きしてきました。
(ハスの花の開花)
T叔父は私の一回り違いの71歳。
50年前は香川大学の学生で、悪友と掛けをしたそうな。
悪友はハスの花が開くとき、「ポン」と音がする、叔父は、音などしない。
次回の居酒屋での支払をかけ金に、勝負で、高松にある栗林公園に夜中もぐりこみ、明け方まで池のハスの花のつぼみを前に、目と耳をこらしたとか。
藪蚊が襲来で、かゆいかったこと。
結論は、花は静かに音もなく、開いたで、T叔父の勝ち。
(ビオトープ)
T叔父は祖父の事業を引き継いで、軍手の製造販売を50年近く。
最近工場を郊外に建て、息子さんに仕事を譲り、今は、市街地にある旧工場の跡地(300坪程?)に残る大木(50年前近くの中学校の木の実を食べた鳥が運んできた種から大きくなった)を中心に、地下水を15分間隔でポンプでくみ上げ、7メートル四方の泉を作り、その周辺に畑や芝生、生垣をせっせと構築中。
もう2年になる。
透明な泉の中には、メダカがスイスイ。
この夏は蛍を繁殖させようと、友達が川二ナ(蛍の幼虫のえさ)を3000個持ちこんで放流。
蛍の幼虫はネットで見ると一匹160円で販売していたので、それを100匹ほど購入して放流。
川二ナを食べにくるシラサギ防止のネットを張ったりして苦労するも、誰も蛍を見たもの無し。
立派なビオトープだが、T叔父はそれがビオトープというものと知らずに始めた。
殺風景な更地だったが、周りは病院で長期入院の患者さんが退屈そうにしているので、目に楽しい庭にして喜んでもらおうと始めたとか。
一人で、石ころや瓦を除いてやっていると、知り合いやら、そのまた知り合いが次々やってきて、手伝ったり、真土を100袋持ち込んだり、アイデアを出したりで、賑やかなたまり場になったとのこと。
病院の窓から泉や美しい緑の芝生を楽しそうに皆さんみているとのこと。(下にビオトープの写真)
(人に喜んでもらう)
私の父やT叔父の父親は、喜平という名で、私の祖父。
T叔父はこの喜平氏を尊敬していて、「オヤジは、周りの人がよろこんでくれるのが、一番の生甲斐で生きる目的であったようだ」と。
難病の若い人の手術費用に寄付したことがあり、それを聞いた、見ず知らずのお坊さんが「喜博菩薩」(喜びを広げるという意味)という名前を送ってきてくれたことがあり、面白がった祖父は、この名前を石に刻んで自宅の庭に立てていたが、荒れ果てていた。
これをこのビオトープにT叔父は移設、昨日私が訪ねて行くと、ちょうど祠を自分で建てている最中(冒頭の写真)。
T叔父もこのような「人に喜んでもらうのを一番の楽しみにする人生の境地になりたいもの」と。
禅宗では、最後の境地を牛に例え、この境地に至る第一ステップを「尋牛」というそうで、T叔父かビオトープ内に最近建てた2階建の可愛いたまり場に「尋牛小屋」と命名、85歳の叔母に大きな門札を書いてもらい吊るしている。
来る人は「何で、牛小屋か?」と尋を飛ばして読むと、ブツブツ。
楽しい2泊3日の今治行きでした。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます